1995年1月17日午前5時46分52秒に淡路島北部沖の明石海峡を震源として、マグニチュード7.3の兵庫県南部地震が発生しました。

この地震では、兵庫県を中心として大阪府、京都府も大きな被害を出しました。特に震源に近い神戸市市街地の被害は甚大で、日本国内だけではなく、世界にも衝撃を与えました。

また、戦後に発生した地震災害では、東日本大震災に次ぐ2番目の被害であり、また自然災害では伊勢湾台風より大きな被害者を出し、東日本大震災が発生するまでは、過去最大の被でした。

ここでは地震の詳細や被害状況、復興までに歩みについて紹介したいと思います。

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地震の特徴について

この地震の揺れは最大深度7を記録し、東は福島県いわき市、西は長崎県佐世保市、北は新潟県新潟市、南は鹿児島県鹿児島市で揺れを観測しました。

戦後に発生した地震では、当時の地震災害で最大規模でした。

被害の特徴として、都市の直下で発生した地震による災害です。

また、福井地震(1948年)を契機に震度7が作られましたが、初めて阪神淡路大震災に適用されました。震度7は後に発生した新潟県中越地震、東日本大震災、熊本地震でも計測されました。

もともと、日本は昔から地震が多い国でしたが、日本の大型建造物は大きな地震に耐えられない構造があることがわかって、1981年に建築基準法が改正されました。

しかし、阪神淡路大震災で大きな揺れにあった建物は1982年以降(建築基準法改正後)に建てられた建物についても広い範囲にわたって倒壊や全半壊などの被害が発生しました。

また、1981年より前に建てられた建物については、ビルの1階部分が潰れるなどの被害が出ました。

被害状況について

それでは具体的にどのくらいの被害が発生したのでしょうか?次の表に被害状況をまとめてみました。

項目 被害状況 備考
死亡者数 6434人  東日本大震災は15893人
行方不明者数 3人
負傷者数 43792人 うち重傷(10683人)
住宅被害 639686棟 うち全壊(104906棟)
焼損棟数 7574棟 うち全焼(7036棟)
 被害総額 約10兆円  国の国家予算のほぼ1割
災害廃棄物量 約2000万トン 東日本大震災とほぼ同じ(津波分を除く)

死亡者数は東日本大震災より少ないですが、それでも6000人以上の方が亡くなっています。

また、東日本大震災で亡くなられた方の9割は溺死であり、阪神淡路大震災で亡くなられた方の多数は圧迫死であったことがわかっています。

地震発生が早朝ということで、まだ就寝している方が多く、木造の建物等で1階部分が潰れる等の影響で亡くなった方が多くいました。

また、災害廃棄物量は東日本大震災とほぼ同じ量が出ていることもこの地震による被害の特徴だと思います。

次は、種類ごとの被害状況について紹介したいと思います。

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1)建物

<出典:http://kobe117shinsai.jp/area/nada/b013.php>

<出典:http://kobe117shinsai.jp/area/chuo/c155.php>

震源に近い地域には古くからの家屋が多く密集している住宅地もあったことから、木造家屋の全壊、半壊が多くみられました。また、老朽化した建物は、1階部分が潰れるパンケーキクラッシュという状態の建物もありました。

そのような中で1981年以降に建築された建物は被害が少なかったといわれています。

1978年に発生した宮城県沖地震の被害を踏まえて建築基準法が改正が大きく影響しています。

 2)道路

<出典:http://livedoor.blogimg.jp/kaigainoomaera/imgs/d/d/dd4dc937.jpg>

被災地域の高速道路では、土台から横倒しになるという光景が記憶に残っている方もいるかと思います。

被災地を中心に、高速道路、一般道路ともに通行止め区間が設けられました。

東西を結ぶ交通の大動脈が利用できないという状況だったため、迂回ルートには多くの車両が流れ渋滞が頻繁に発生するという状態でした。

最終的に高速道路全線が開通するまでに要した日数は622日でした。

3)鉄道

<出典:http://kobe117shinsai.jp/area/higashinada/a063.php>

<出典:http://kobe117shinsai.jp/area/suma/g026.php>

JR六甲道駅はホームと上屋が倒壊し、阪神電鉄は8カ所で高架が落下しました。 

神戸と大阪を結ぶ鉄道3線で1日45万人の足が奪われました

復旧は急ピッチで進み、震災発生から74日で在来線の復旧が完了し、山陽新幹線は4月に運転再開しました。

私鉄各社については、

阪急で展哲が地震発生から146日後、

山陽電気鉄道は152日後、

神戸電鉄は156日後、

阪神電気鉄道は160日後、

最後に復旧した神戸高速鉄道は208日後にそれぞれ復旧しました。

4)海上、空港

<出典:http://kobe117shinsai.jp/area/chuo/c114.php>

神戸港にはフェリーなどが四国、九州法眼を中心に多くの船が発着していましたが、壊滅的な損害を受けて使用不能に陥ったため、代替えとして一時的に大阪南港などに発着地を変更して運行されていました。

また、ウォーターフロントの地盤が陥没した岸壁に仮設の桟橋を設けて、大阪~神戸間、神戸~西宮間など短距離臨時航路も設けられて、代替交通機関として疎開する人・復興支援者の負担を少しでも軽減する努力を行っいました。。

空港については、揺れの激しかった大阪国際空港の滑走路、誘導路に亀裂が生じました。

また、空港ターミナルビルも外壁などが損傷しました。

震源地から離れていた関西国際空港も空港ターミナルビルや関西空港駅、駐車場の建物にも損傷が確認されています。

しかし、どちらの空港ともに、航空機の運航当に影響は出ませんでした。

5)火災

地震の影響で、特に神戸市長田区では木造家屋が密集していたところに火災が発生して、とても大きな被害が出ました。火災原因の約半数が電気による発熱体によるものという調査結果が出ています。

また、消火活動が思うように進まなかったことから、火災が広がったことも被害が大きくなった原因の1つです。

地震によって断水したため消火活動自体が出来なかったことや、消火活動を続けていたが、火の勢いが強くなりすぎて、人命救助を優先するようにしたためなど様々な理由があります。

最終的に鎮火したのは地震発生してから2日後でした。

 

復興について

ライフラインの復興までにかかった日数等についてまとめてみました。

種類 被害状況 復興日数 備考
電気 停電(260万戸) 6日 倒壊家屋を除く
ガス 供給停止(約86万戸) 84日 倒壊家屋を除く
水道 断水(約50万戸) 90日
下水道 被災管渠(約164km) 93日 仮普及日数
電話 故障回線(10万二千世帯) 14日 倒壊家屋を除く

いち早く復旧したのは電気でした。

震災当初は約4000本の電柱が倒壊しましたが、6日後には倒壊家屋を除き灯りがともりました。

ガスは全国各地の事業者の協力を得て震災から3か月経たないうちに復旧しました。

水道は震災直後神戸市全域で断水となりました。

東京、大阪など全国各地の水道局の応援を受けながら、 復旧作業を進めましたが、配水池から各地域に水を流す排水管は 約4000キロメートルもある上に、水が漏れている場所の特定から始めなければならず作業は難航しました。

川の水で洗濯する人もおり、トイレやお風呂など生活用水の確保という課題を突き付けられました。

最終的には、震災発生から3か月後に復旧しました。

1)住宅

家が全壊、半壊した住民は避難所での生活になりました。震災直後の避難者は最大31万6千人にもなりました。

自治体などは学校や公共施設を避難所に指定していましたが、想定以上の避難者が発生したことから、現場では混乱が生じました。

そして地震発生から3日後には、早くも仮設住宅の建設が始まりました。

しかし土地が足りないという問題に直面し、大阪府内や兵庫県加古川市、姫路市など周辺の自治体でも仮設住宅を作るという流れになりました。

最終的に仮設住宅は約48000戸発注されました。

入居のピーク時には46667戸に入居していました。

おびただしい数の被災者を出した地震だと思いませんか?

その後、徐々に復興が進んでいき、設住宅に入居していた住民が退去するまで約5年の歳月が流れました。

当初仮設住宅建設時に2年間という期限を設けていましたが、3回の延期延長が行われました。

その間に災害復興公営住宅の提供が行われました。

2)企業

この地震で兵庫県に本社を構えていた大手流通ダイエーやローソンは社長の指示で、被災地でも営業できる店舗を開けて、住民向けに格安で商品を販売する活動を行いました。

また、他の企業でも商品の無料提供、寄付等行い、被災者向けにバックアップを行いました。

経済面についてですが、震災の影響で大きく落ち込みました。

震災後2年程度は復興特需もありましたが、震災前の水準まで経済が回復するのに10年超かかりました。

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震災の影響について

震災の情報はテレビやラジオでも大きく取り扱われました。

地震発生後3日間はすべてのチャンネルでほぼ新笹井関連の特別番組が放送され、CMもほとんど放送されませんでした。

震災後1週間後には近畿圏の放送局では一般放送を流し始めましたが、お笑い番組は放送されなかったとのことです。

それほど人々を傷つけることになった地震だったと思いませんか?

また、震災後には次のような教訓が生かされるようになりました。

1)学校の耐震化

震災の直後に亡くなった人の9割が、住宅や建築物の倒壊によるものだったことから、被害の軽減には建物の耐震化が欠かせまないことから、避難所となる公立学校の耐震化が進められました。

全国の公立小中学校の耐震化率は2014年4月時点で92.5%となり、 調査開始以来初めて9割を超えました。 現在も耐震化工事を進めており、早く100%になることを祈っています。

2)市民救命士の育成について

神戸市は応急手当の知識と技能向上のため、「市民救命士」の講習会を実施しています。
11世帯に1人を合言葉にして、受講者は延べ50万人以上となりました。
震災以降は職場単位で受講する職場おあります。
通報者への口頭指導や、AED(自動体外式除細動器)の普及などから、 心肺停止した人に家族や居合わせた人が応急手当てする率も上昇しています。

動画

まとめ

阪神淡路大震災について少しはご理解いただけたでしょうか。

東日本大震災が発生するまでは近年まれにみる大きな被害を出しましたが、それを契機に社会も対応していったと思います。

防災の意識を再認識させられた地震だったと思います。

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