みなさんは、バブル経済を知っていますか?

バブル経済は、近年の日本の不景気からは全く想像出来ないほどの勢いが国全体にあって、好景気に皆か浮かれていました。

知らない人は驚いてしまうかもしれませんが、日本にもそんな時代があったのです。

1980年代後半に起きたバブル経済ですが、どのように始まり、終わりはどうだったのか?意外とあまり知られていないと思います。

そこで今回は、バブル経済についての始まりや終わり、どんな影響を受けたのか?などをわかりやすくまとめてみました。

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バブル経済ってなに?

 

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バブル経済の流れをわかりやすく説明するために、まず始めにバブル経済とは何か?をまとめました。

バブル経済とは、一般的1980年代後半の好景気をさします。

バブル(bubble=泡の意味)は、株価や地価などの資産価格が、投機目的でそれらの合理的な評価の基礎となっている、経済成長率や物価上昇率、利子率などの経済の基礎的な諸条件を大幅に上回って、経済が実体以上に泡のように膨れ上がった状態のことを言います。

ものすごくわかりやすく言ってしまえば、1980年代後半に日本中がお金持ちになってしまった(ように見えてしまった)時代のことです。

そのため、世界中から不動産や物などを買いあさり、まれにみる好景気に皆がウキウキムードだったのです。

そんな時代に生きてみたかった…。

あっ!!生まれていましたけど、まだ自分でお金を使えない子供でしたので(笑)

バブル経済の始まりから終わりまでの流れは?

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バブル経済が始まる前の1980年代前半の日本は、円安の影響を受けて輸出産業がとても好調で、貿易の黒字国になっていました。

現在と比べれば、かなりの円安になっていたため、海外では質が良いのに安いと、日本の自動車や家電品などが飛ぶように売れていたのです。

逆にアメリカでは、日本の製品が売れてしまうため、自国の製品が売れなくなってしまい国内産業が悪化していました。

その結果、日本は大幅な黒字であるのに対して、アメリカは大幅な赤字になるという、とても激しい貿易の摩擦を起こしてしまいました。

この状態を打破するために、アメリカは円高に誘導するための政策を盛り込んだ、プラザ合意を凍結しました。

プラザ合意とは…

1985年9月22日に、先進5か国(G5)蔵相・中央銀行総裁会議によって発表された為替レート安定化に関する合意の通称です。

名前となっている「プラザ」は、アメリカのニューヨーク州ニューヨーク市にあるプラザホテルにちなんで付けられました。

このプラザ合意の効果は絶大でした。

プラザ合意が決まった翌日には、それまで1ドル235円だったが、20円近くも下落しました。

その後、どんどん円高は進んでいき、1年後には1ドル150円台になるほど、円高が進行していきました。

その結果、それまで好調だった輸出産業は大打撃を受けてしまい、円高を原因として倒産する企業が続発して、一時的に不況に陥りました。

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バブル経済の始まりのきっかけ

この不況をどうにかするために、当時の日銀は公定歩合という、一般的な銀行にお金を貸す時の利息を引き下げる政策を行いました。

金利が安くなれば、企業は銀行からお金が借りやすくなるため、それによって企業の経営は回復して、長期の景気拡大をもたらしました。

しかし、この日銀による金融緩和政策がバブル経済の始まりのきっかけとなったのです。

プラザ合意を影響とする円高倒産の不況から脱出して、景気は拡大しているのにもかかわらずに、金利がとても低いまま維持されていました。

そのため、銀行から安い金利でお金を借りられるのを喜んで、企業はお金を借りて、株や土地などに投資するようになりました。

その背景として、当時は土地神話と呼ばれるものが存在していて、「日本は国土が限られているため、土地は貴重で価格は下がることがないため、土地を買えば必ずもうかる」という、今ではウソでしょ!?と思ってしまうような話が信じられていたのです。

そのため、不動産を欲しがる人が増えたため、不動産の価格は上昇していきました。

そして、買った不動産を担保にしてさらにお金を借りて、それで買った不動産をまた次の担保にしてさらにお金を借りて…という動きが起きて、土地の価格は急激に高騰して、バブルが一気に膨れ上がっていったのです。

特に1980年代後半には、東京の山手線の内側の土地と同じ価格で、アメリカ全土が買えるほどの試算が出たほど日本の土地の値段は高騰していました。

その後も1990年までの間にものすごい勢いで土地の価格は上昇していきました。

現在は、土地の価格は年々下がると多くの人に認識されていると思います。

当時と比べると正反対ですよね!

また、銀行から安い金利で借りたお金は、株式市場にまで流れていき、金利が安いうちに買えるだけ株を買っておこうという現象も起こって、株価も高騰していきました。

1986年には13000円台にだった、日経平均株価も一気に高騰していき、1989年12月には、統計史上最強の38957円を記録しています。

3年間の間に3倍近くも株価が急騰するという現象が起きたのです。

そして土地や株で大儲けをした人たちの、お財布の紐がゆるゆるになりました。

ある人は高級車を買いあさり、ある人は海外の著名な絵を競り落とすなどして、企業も儲かるため社員のボーナスも増えて…と国全体の消費も活発になったため、日本中が盛り上がり笑いが止まらない、ウキウキな時代だったのです。

バブル経済の終わり

日銀は不動産や株の価格が、実体の経済とあまりにもかけ離れていると懸念をして、金融の引き締め政策をしていきました。

1990年3月、銀行が土地の売買に関するお金の融資を規制するための「不動産融資総量規制」が制定されたことによって、不動産を買うための資金が借りづらくなりました。

そして、公定歩合の引き上げが影響して、金利が大幅に上がったため、銀行から資金自体を借りることすら難しくなっていきました。

その結果、実体の経済をかけ離れていた高値の不動産や株の買い手を失って、値下げしても売れないまま、価格がどんどん下落していきました。

投機の目的で資金を借りていた企業は倒産して、踏み倒されてしまった多数の不良債権によって、多くの銀行の経営も悪化してしまいました。

さらに、ボーナスの減少やリストラなども影響して、国内の消費も一気に冷え込みバブル経済は終わりをむかえました。

資産の価格高騰を抑えるための、日銀による締め付け政策でしたが、それが急激な景気後退をもらたしてしまったのです。

バブル経済の終わりから現在までは、長い経済停滞の時代に突入し、「失われた20年」とも言われています。

バブル経済の期間は一般的に1986年~1991年2月までの4年3ヵ月のことを言って、1991年3月~1993年10月までの期間をバブル崩壊と呼んでいます。

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バブル経済崩壊が日本に与えた影響

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バブル経済崩壊後、1990年代の日本の経済は、深刻な長期の不況に陥りました。

金融機関かバブル期に行った過剰な融資によって、土地や株を大量に買った不動産会社や建設会社などは倒産したり、借金の返済が出来なくなったために、回収が困難な不良債権が発生して、多くの金融機関が破綻しました。

それにより、金融機関は貸し渋りをおこなって、一般企業の資金繰りが悪化していき株価は下落し、リストラも行われて失業率もはね上がりました。

1993年の実質成長率はマイナス0.5%となって、1974年以来マイナス成長を記録しました。

そして、1997年に消費税の引き上げがされたことで、さらに景気の悪化に拍車がかけられました。

需要は冷え込んで、円高が影響して安価な製品を輸入して物価は下落し、企業の収益も悪化、所得が減少して、さらに需要が冷え込んで続く景気低迷の悪循環に陥り、デフレスパイラルが発生しました。

その後、景気対策として公共事業が大規模に展開されましたが、それによって大量の赤字国債が発行されることになってしまいました。

大手の銀行は、他の銀行と統合を行って企業集団の枠組みを超えての金融機関の再編成が進みました。

2002年2月以降、景気の拡大が続きました。

2006年11月には、1965年11月から1970年7月まで続いた、「いざなぎ景気」と呼ばれた、戦国最長の高度経済成長時代の好景気をも抜いたが、実質の成長率は2%と低くて、実感なき景気回復と言われました。

そして、2008年には世界金融危機が起こって、再び不況に戻ってしまいました。

ジュリアナ東京はバブル経済の象徴ではなかった!?

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バブル時代を紹介する映像などで、必ずと言っていいほど出てくるのが、ジュリアナ東京です。

ワンレン、ボディコンでジュリ扇と呼ばれる羽が付いた扇子を振りかざして踊っている姿を、TVなどで1度は見たことがあると思います。

ジュリアナ東京は、1991年5月15日~1994年8月31日までの間、東京都港区芝浦にジュリアナ東京ブームを築いた伝説となっているディスコです。

1980年代後半~1990年代前半は、このジュリアナ東京があったエリアはウォーターフロントと呼ばれていて、最先端の人気のあるスポットでした。

現在は、ベイエリアと呼ばれています。

ジュリアナ東京がオープンしていた期間を見てあれっ!?と思う人も多いと思います。

バブル期の象徴として紹介されるジュリアナ東京ですが、オープン時にはバブル経済は崩壊していたのです。

それは、バブル崩壊はある日に突然起きたことではないからです。

一番最初に株価や地価が下がり始めてから、解決策の手を打って、その次の問題が出てからまた次の解決策の手を打って…を繰り返して、それがもうどうにもならなくなって社会問題に発展したのが1993年頃なのです。

そのため、ジュリアナ東京はバブル経済の象徴ではなくて、正確にはバブル経済の余韻に浸っていた頃に流行ったものと言えば良いでしょうか。

ジュリアナ東京のド派手ぶりが、バブル経済を連想するのにピッタリでわかりやすく、バブル経済の象徴的存在になったのかもしれませんね。

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バブル経済が影響して生まれた、信じられないエピソード!?

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バブル経済は、まれにみる好景気で世間はウキウキモードでした。

その時に生まれた、今では信じられない数々のエピソードがありましたのでまとめてみました。

本当に日本にこんな時代があったなんて、バブル経済を身をもって体験出来なかった私には、到底信じられません!(笑)

バブル経済が与えた影響~会社編~

・毎日会社までタクシー通勤をしていた

・ほんの少しの残業で、残業代は数万円!

・入社して最初のボーナスが150万円

・飲み会の帰りは必ずタクシー券が配分

・忘年会はもちろん会社のお金で、しかも料亭

・交際費を使って、赤坂の寿司屋で優雅にランチ

バブル経済が与えた影響~デート編~

・アッシー(女性が移動手段として考えている男性のこと)やメッシー(食事に付き合ってくれて、それを奢ってくれる男性)がいて当然

・男性がおごるのが当たり前の時代で、女性は財布なしで過ごすことが出来た

・クリスマスに過ごすためのホテルの高級スイートルームは、前年の12月26日から予約の取り合い

・彼氏が海外出張する時におねだりすれば、高級化粧品などをプレゼントしてもらえた

バブル経済が与えた影響~経済編~

・銀行に100万円預けたら、利息は25万円

・100万円で売れない商品を200万円に値上げすると、どんどん売れた

・日給が4万円のバイトがあった

・高級クラブのアルバイトで、初日に10万円のチップがもらえた

・今では数百万円のゴルフの会員権が、数億円

・ただ久しぶりに会えて嬉しいという理由だけて、1万円もらえた

バブル経済が与えた影響~世の中編~

・ラーメンが食べたくなれば、日帰りで北海道へ

・一週間に2回は、1~3万円のホテルディナー

・1枚6000円のシャツでもシリーズ全色買い

・深夜のタクシーはなかなかつかまらないため、万札を扇子のように振って捕まえる

・LAのビバリーヒルズで、友達に遭遇

・雑誌で見たデザイナーのジャケットは50万円でも衝動買い

・銀座豪遊、クルーザーでパーティは当たり前

・海外に別荘を購入する人が続出

以上、まだまだありますがいかがでしたでしょうか?

これらは、実際にバブル時期を体験した人たちのエピソードですが、どれも凄いですよね!

オーバーに言っているのもあるかもしれませんが…。

これは全国民ではなく、一部の人たちだけだとは思いますが、バブル経済によってどれだけ日本が好景気になっていたかが伝わってきます。

しかも、この好景気がずっと続くと思っていた時代なんです。

羨ましいなと思ってしまいます。

まとめ

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バブル経済についての始まりや終わり、どんな影響を受けたのか?などをわかりやすくまとめてみましたが、いかがでしたでしょうか?

現在とバブル経済当時とでは、環境は大きく違っています。

企業のリスクの管理の体制が進展したり、監督官庁による金融機関に対しての管理体制も厳格化しています。

そして、バブルの崩壊も経験していますので、もう一度同じレベルのバブル経済が起きるのは考えにくいですよね。

プチバブルぐらいは起きるのでしょうか?

今後何か起きたときに、私たちにも与えられる負担を少しでも減らすことが出来ることを願います。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました!

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