2019年5月1日に皇太子様が新天皇に即位され、雅子様が皇后になられます。

いよいよですね~!

皇太子ご夫婦は、2018年6月9日にご結婚25周年を迎えられました。

皇太子様と雅子様の馴れ初めや、これまで2人で歩んだ道のりはどのようなものだったのでしょうか。

特に、馴れ初めについては興味深いです!

そこで今回は、皇太子様の即位を目前に控え、ご夫婦の馴れ初めから現在までの歩みを振り返ってみたいと思います。

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プロフィール

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皇太子様と雅子様の馴れ初めや現在までの歩みを振り返る前に、お2人のプロフィールを簡単にまとめてみました!

皇太子様

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お名前:徳仁(なるひと)

称号:浩宮(ひろのみや)

※称号とは、日本の皇族の幼少時に与えられる呼び名のことで、現在は天皇または皇太子の子女のみに与えられており、宮家の子女には与えられていません。

誕生日:1960年2月23日(59歳)

学歴など

・学習院大学文学部史学科  卒業 

・英国オックスフォード大学マートンカレッジ  留学

・学習院大学大学院人文科学研究科博士前期課程  修了

・学習院大学史料館 客員研究員

お印:梓(あずさ)

※お印とは、日本の皇族が身の回りの品などに用いるシンボルマークのことで、御印章とも呼ばれます。

総裁職など

・日本赤十字社名誉副総裁

・国連「水と衛生に関する諮問委員会」名誉総裁


1989年1月7日に、父である明仁親王が天皇に即位したことより皇位継承に伴い皇太子となられ、1991年に立太子の礼が行われました。

皇太子となられてからの正式表記は「皇太子徳仁親王」とされています。

雅子様

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お名前:雅子(まさこ)

続柄:小和田恒氏長女

誕生日:1963年12月9日(55歳)

学歴など

・米国ハーバード大学経済学部  卒業

・東京大学  中退

・外務省 入省(1993年退職)

・英国オックスフォード大学ベーリオールカレッジ  留学

お印:ハマナス

総裁職など

日本赤十字社名誉副総裁


雅子様は幼少期から海外と交流があったため語学能力にはとても優れており、大学時代にはフランス語のサークル活動にも参加されていたそうです。

東京大学法学部に外部学士入学をしましたが、在学中に外務公務員採用Ⅰ種に合格し外務省へ入省することが決まると、女性初のキャリア官僚として注目が集まりました。

現在の雅子様のイメージとは違い、独身時代の雅子様はスーパーエリートと世間から称賛されていました。

雅子様の正式表記は「皇太子徳仁親王妃雅子」とされています。

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皇太子ご夫婦の馴れ初めから現在までの歩み

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馴れ初め

1986年10月、皇太子様と雅子様は東御所で開催されたスペイン・エレナ王女の歓迎パーティーで出会いました。

皇太子様は留学先の英国から帰国した26歳の時で、雅子様は外交官試験に合格したばかりの22歳の時でした。

まだ皇太子となる前の出会いだったんですね~!

その後、東宮御所や高円宮邸などで面会をして交際を重ねられたお2人ですが、雅子様が英国に留学するなどして一時交際が途切れた時期もあったようです。

1992年8月にお2人が再会すると、2ヶ月後の10月に皇太子様が千葉県市川市の新浜鴨場で雅子様にプロポーズをされました。

当時、皇太子様の配偶者選びには3種類の方法が行われました。

①今上天皇の成婚時に名前のあがったお妃候補リストからその娘についての追跡調査を行う。

②今上天皇の学習院初等科時代以来の学友グループの郁沃会を中心に、その子女について調査を行う。

③皇太子様ご自身の個人的な交友関係から友人知人など、好ましい女性を探す。

雅子様は、パーティーには小和田条約局長令嬢として参加したにすぎませんでしたが、この中の③から選ばれたわけですね~!

それにしても、このような配偶者選びの方法があったとは驚きました!

1992年12月、雅子様は熟考の末に「殿下のお力になれるのであれば、謹んでお受けします。」と皇太子様にお気持ちを伝えられました。

1993年1月、皇室会議が開かれ婚約が内定すると、日本各地は祝賀ムードに沸きました!

1993年2月、天皇皇后両陛下と皇太子様、秋篠宮ご夫婦、紀宮様、小和田夫婦、雅子様、雅子様の2人の妹さんが揃った夕食会が開かれました。

天皇家と一般人が夕食会を開くことは極めて異例なことでしたが、両陛下のはからいで実現されたようです。

その夕食会の席で、皇后様は歴代皇后からの伝来の品である7カラットのルビーの指輪を雅子様に手渡し、雅子様は左手の薬指にその指輪を付けて帰宅されました。

1993年6月9日、皇居で「結婚の儀」が行われると、皇居から東宮仮御所までの約4,2キロの道のりをオープンカーでパレードし、沿道には約19万人の市民が詰めかけました。

NHKで生中継された結婚の儀の視聴率は30%を超え、注目の高さを示しました。

雅子様のドレス姿はとても美しかったですね~!

愛子様が誕生されるまで

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1994年11月、結婚後初の海外訪問として11日間をかけて中東4ヵ国を訪問し、各国の国王や首長らと面会しました。

雅子様は皇太子妃として一挙一動が注目されましたが、皇太子様は同行した記者団に「大変良くやったという印象です。」と雅子様を労われていました。

元外交官の雅子様ですので、とても素晴らしいお姿を見せてくれたのでしょうね~。

1995年2月、皇太子ご夫婦は海外訪問の日程を繰り上げて帰国し、阪神大震災が発生した兵庫県を訪問し被災者の方々を激励されました。

皇太子様は避難所で男の子にサインを求められたノートに「がんばってください」と書かれたり、雅子様は被災者の手を握り励まされていました。

皇太子ご夫婦のお姿に多くの被災者が励まされたことでしょう。

1999年12月、雅子様に妊娠の兆候がみられることが明らかとなり報道が過熱しましたが、流産の手術をされたことがわかりました。

これを受けて、皇太子様が記者会見にて「この結果は私たちも静かに受け止めることができました。」としましたが、「不確かな段階で報道されてしまったことは誠に遺憾であります。」とも述べられました。

2001年5月、宮内庁が雅子様のご懐妊を正式に発表しました!

2001年12月1日、雅子様は宮内庁病院で身長49.6cm・体重3102gの元気な女の子を無事に出産されました。

そして出産から6日後に天皇陛下が名前を授けられる「命名の儀」が行われ、称号は「敬宮」(としのみや)、お名前は「愛子」(あいこ)に決定しました。

その後の記者会見で涙ぐみながら「本当に、生まれてきてくれてありがとうという気持ちでいっぱいになりました。」と表現した雅子様に、そっと手を差しのべられた皇太子様がとても印象的でした。

本当に良かったですよね~!(涙)

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皇太子様の「人格否定」発言

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皇太子ご夫婦に第1子となる愛子様が誕生日した後も、お世継ぎに対する重圧が容赦なくかかり続けました。

2002年12月、雅子様は海外訪問を前にした記者会見にて、外交官から皇室入りをされた生活の変化への戸惑いを「正直申しまして、適応することに大きな努力がいったということがございます。」と、吐露されました。

2003年12月、雅子様は帯状疱疹で入院されると、長期療養生活に入ることとなりました。

2004年5月、海外訪問前の記者会見で皇太子様は雅子様の体調について、「外交官の仕事を断念して皇室へと入り、皇族として国際親善を重要な役目と思いながらも、外国訪問をなかなか許されなかった状況に大変苦悩しておりました。」と代弁されました。

そして、雅子様が体調を崩された背景として、「この10年、自分を皇室の環境に適応させようと努力してきましたが、そのことで疲れきってしまっているようにみえます。それまでの雅子のキャリアや、その事に基づいた雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です。」と述べられました。

この「人格否定発言」は大きな波紋を呼ぶことになりました。

心配された両陛下が側近を通じて「国民が心配するので、改めて説明しなければ!」と伝えると、皇太子様は文書にて「個々への批判ではなく、現状について皆さんに分かって頂きたいと思ってしたものです。」と公表しました。

雅子様・闘病生活から回復の兆し

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2004年7月、宮内庁が雅子様の病名を「適応障害」であると公表し、長い闘病生活は現在に至るまで続いています。

2006年8月、皇太子ご一家でオランダ静養をされました。

2007年6月、皇太子様が十二指腸ポリープ手術のために入院されました。

2010年1月、阪神大震災から15年の追悼式典に出席されました。

2010年3月、宮内庁が学習院初等科2年生の愛子様が通学に強い不安を訴え学校を休まれていることを公表し、雅子様が通学や授業に付き添われていた時期もありました。

2011年4月、3月に発生した東日本大震災により福島県などから避難してきた人々が身を寄せていた東京都内の施設を訪れた、被災者を励まされました。

2011年6月~8月、皇太子ご夫婦で東日本大震災の被災3県である宮城県、福島県、岩手県をそれぞれ日帰りで訪問し、被災者を励まされました。

このような状況の中、東宮職医師団は雅子様の体調について心身の状態に波はあるとしましたが、被災地訪問については着実な回復の兆候だと指摘しました。

2013年4月~5月、雅子様は約11年ぶりの海外公式訪問となったオランダへの訪問を実現されました。

翌6月、皇太子様が記者会見にて「オランダ訪問が1つの自信になったと思います。」と述べられました。

2013年8月~11月、皇太子ご夫婦は東日本大震災の被災3県を再訪問され、そのうちの岩手県の訪問は雅子様にとっては3年9ヶ月ぶりとなる宿泊を伴う地方公務となりました。

この公務の後から、雅子様の活動の幅が徐々に広がっていきました。

2014年10月、オランダ国王が国賓として来日し、雅子様は皇居の宮殿で行われた各行事に出席されました。

雅子様が歓迎行事に参加するのは5年半ぶりで、宮中晩餐会については11年ぶりのことでした。

2015年7月、雅子様は5日間に及ぶトンガへの訪問や、11月には秋の園遊会に12年ぶりに出席を果たされました。

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皇太子様の即位が正式決定

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2016年8月、天皇陛下がビデオメッセージにて、高齢となり象徴としての役目が十分に果たせなくなることなどを案じ、退位の意向を示唆されました。

2017年2月、皇太子様の57歳の誕生日に先立った記者会見では、天皇陛下のお言葉にとても心を揺さぶられました。」と振り返られました。

その上で、「国民に寄り添って、人々と共に喜び、共に悲しむことを続けていきたい。」と、新天皇となる決意を述べられました。

2017年6月、皇室典範に関する特例法が成立し、2019年4月の天皇陛下の退位と5月の皇太子様の即位が正式に決定されました。

2018年5月、皇后様が皇太子ご一家を皇居内にある「紅葉山御養蚕所」へと案内し、皇后様から施設や作業の説明をされました。

皇后様が長年携わってこられた養蚕は、雅子様が継承されることになっています。

さらに、雅子様は同月都内で開催された全国赤十字大会に出席され、皇后様が雅子様を壇上で紹介される場面もありました。

この皇后様のご配慮には、雅子様も感謝されていたとのこと。

現在、日本赤十字社の名誉総裁は皇后様が務められていますが、天皇陛下の退位後は雅子様に引き継がれる見通しとなっています。

まとめ

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皇太子様の即位を目前に控え、ご夫婦の馴れ初めから現在までの歩みを振り返ってみましたが、いかがでしたでしょうか。

皇太子ご夫婦はご結婚してから様々な困難が押し寄せてきましたが、その度に強い絆で支え合い乗り越えようとされてきました。

雅子様の体調も改善されてきたとのことで、なりよりです。

皇后様になられてもご無理はなさらないでもらいたいですね。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました!

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