近年の森友学園や桜を見る会問題や新型コロナウイルスへの対応などで批判が集まっている現在の安倍政権ですが、長期政権の終わりが見え始めているとの声も上がってきています。

安倍総理も長期政権ですが歴代総理大臣の中での最長・最短在任期間の総理は誰だったのでしょうか。

今回は、歴代総理大臣在任期間最長・最短ランキングベスト5をまとめてみました。

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歴代総理大臣最長在任期間ランキングベスト5

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まずは、歴代総理大臣最長在任期間ランキングベスト5を紹介します!

第5位 吉田 茂 2,616日

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第5位は、第45・48・49・50・51代内閣総理大臣吉田 茂(よしだ しげる)で在任日数は2,616日です。

在任期間は1946年5月22日~1947年5月24日、1948年10月15日~1954年12月10日です。

吉田茂は東京大学卒業後に外務省に入り、中国やイギリスで活躍したのちに定年で外務省を退官しました。

その後、吉田が強く反対していた第二次世界大戦が始まり67歳の時に終戦を迎えましたが、吉田の外交官時代の活躍に注目が集まり外務大臣に就任し翌年には総理大臣に就任しました。

そして、GHQのマッカーサー元帥と戦後処理をし日本国憲法をスタートさせ、これまでの軍事力を否定して平和主義と民主化に向けて力を注ぎました。

吉田が73歳の時にはサンフランシスコ平和講和会議にて平和条約と日米安全保障条約を結び日本の独立が認められ、85歳の時に衆議院が解散するとともに政界を引退しました。

吉田は67歳で政界入りした遅咲きの人物で強烈に自己主張を通したことから「ワンマン宰相」や、体型や葉巻がトレードマークだったことから「和製チャーチル」とも呼ばれ親しまれました。

第4位 伊藤 博文 2,720日

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第4位は、第1・5・7・10代内閣総理大臣の伊藤 博文(いとう ひろぶみ)で在任日数は2,720日です。

在任期間は(第1次)1885年12月22日~1888年4月30日、(第2次)1892年8月8日~1896年8月31日、(第3次)1898年1月12日~6月30日、(第4次)1900年10月19日~1901年5月10日です。

伊藤博文は日本の近代化の必要性に気づき、憲法を作るために海外へと調査に行きました。

その後、海外で得た知識や経験を活かして宮中改革・体制官制・内閣制度の導入し、初代内閣総理大臣に就任し大日本帝国憲法の立案を主導しました。

全4回の総理を務めたのちには韓国統治の責任者となり韓国併合の推進者として暗殺されてしまいましたが、近年の研究では伊藤博文は韓国併合に反対していたとの声も上がっています。

第3位 佐藤 栄作 2,798日

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第3位は、第61・62・63代内閣総理大臣の佐藤 栄作(さとう えいさく)で在任日数は2,798日、在任期間は1964年11月9日~1972年7月7日です。

佐藤は戦後の総理として7年8ヶ月もの長期政権を維持しました。

その理由としては、高度経済成長の波に乗ったことやライバルが不在だったことが挙げられています。

佐藤は総理としてさまざまな功績を残しており、国際労働条約の承認や日韓基本条約の調印、大学臨時措置法の成立、沖縄返還も実現しました。

これらの中でも沖縄返還は総理就任前から自身の課題とし長期にわたり取り組んだ政策でした。

また、「人事の佐藤」と呼ばれるほど適材適所への人材配置が優れ、どのような実力者でも人事はみずから決める姿勢をつらぬいた総理でした。

第2位 桂 太郎 2,886日

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第2位は、第11・13・15代内閣総理大臣の桂 太郎(かつら たろう)で在任日数は2,886日です。

在任期間は(第1次)1901年6月2日~1906年1月7日、(第2次)1908年7月14日~1911年8月30日、(第3次)1912年12月21日~1913年2月20日です。

桂内閣は発足翌年に日英同盟を結び、1904年には日露戦争に国の総力をあげて臨み外交面や軍事面など全てにおいて挙国一致体制をしいて指導しました。

1908年には韓国併合を行い、国内では社会主義運動をおさえつけるなどしました。

1912年には軍部の力を借りながら第3次桂内閣が発足しましたが、反対運動が政党内で起きたため53日で総辞職となりました。

桂太郎は相手がたとえ政敵であってもニコニコと笑い背中をポンと叩くことから「ニコポン宰相」と呼ばれ、その温厚な人柄に多くの人たちが親しみを持っていたそうです。

第1位 安倍 晋三 3,018日(2020年6月1日時点)

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歴代総理大臣最長在任期間ランキングベスト5の第1位は、第90・96・97・98代内閣総理大臣を務める現総理の安倍 晋三(あべ しんぞう)です。

在任日数は3018日(2020年6月1日時点)、在任期間は(第1次)2006年9月26日~2007年9月26日、(第2次)2012年12月26日~2014年12月24日、(第3次)2014年12月24日~2017年11月1日、(第4次)2017年11月1日~現在までとなっています。

安倍総理が初めて総理大臣に就任したのは小泉純一郎の任期満了に伴う総裁選で自由民主党総裁に選出され、臨時国会にて戦後最年少の52歳という若さでした。

しかし、体調不良により1年で辞任をしその後再び安倍内閣を発足させました。

2019年11月19日に桂太郎と並び史上最長の2,886日となり、現在は歴代最長となっています。

歴代最長任期期間の安倍総理ですが、近年の森友学園や桜を見る会についての問題や新型コロナウイルスへの対応などで支持率にも大きな影響を与えています。

安倍総理の任期期間は2021年9月末までとなっていますが、延長はあるのでしょうか…。

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歴代総理大臣最短在任期間ランキングベスト5

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続いて、歴代総理大臣最短在任期間ランキングベスト5を紹介します!

第5位 林 銑十郎 123日

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第5位は、第33代内閣総理大臣の林 銑十郎(はやし せんじゅうろう)で在任日数は123日、在任期間は1937年2月2日~6月4日です。

1931年に関東軍が満州事変を起こした際に林は陸軍中将で朝鮮軍司令官でした。

林は満州の国境まで朝鮮軍を送り国境を越えるための天皇の裁可をへずに独断で満州出兵し、「越境将軍」と呼ばれることになりました。

1932年に大将に進み1934年には斎藤実内閣の陸軍大臣に就任し統制派の立場に立った軍政を推し進めました。

1937年に総理大臣に就任し初めて迎えた議会で予算が成立しましたが、議会の閉会直前に「政党が議会に対して不誠実だった」とし衆議院を突然解散させ予算通過後の突然の解散に非難されることに。

国民も林の独断の決断に支持することはなく、総選挙で野党勢力が圧倒的な勝利をおさめ総辞職に追い込まれました。

第4位 宇野 宗佑 69日

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第4位は、宇野 宗佑(うの そうすけ)で在任日数は69日、在任期間は1989年6月3日~1989年8月10日です。

宇野はリクルート事件などにより竹下登首相が退陣しポスト竹下だった安倍晋太郎らも事件への関係を指摘され後継者選びが難航しましたが、事件への関係性が薄いとされた竹下内閣で外務大臣を務めていた宇野が後継の総理大臣に選ばれました。

宇野内閣発足当初には知名度が低かったためメディアでも宇野について紹介する特集が多く組まれましたが、リクルート事件との関係の薄い人物を優先したためクリーンな内閣とのイメージ作りにつながりました。

そして、宇野内閣発足翌日に中国で発生した天安門事件やサミットでの対応などで外務大臣を務めていた強みを生かした政権運営が評価され、順調なスタートを切ったように見えていました。

しかし、サンデー毎日により宇野の愛人問題が発覚し翌月に控えていた衆議院議員選挙に大直撃することに!

選挙ではリクルート事件などの問題に宇野の愛人問題が加わったことにより自民党に大逆風が吹く結果となり、30議席以上のマイナスとなりその責任をとり退陣を決断しました。

退陣表明会見での宇野の「明鏡止水の心境であります」との言葉が有名になりました。

第3位 石橋 湛山 65日

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第3位は、第55代内閣総理大臣の石橋 湛山(いしばし たんざん)で在任日数は65日、在任期間1956年12月23日~1957年2月25日です。

石橋は戦前は言論人として活躍し戦後に混乱した日本経済の立て直しに尽力するために政界入りしざいせいました。

第1次吉田茂内閣の大蔵大臣に抜擢されると緊縮財政を要求していたGHQに対し、積極財政を主張したため国民から‘心臓大臣’と呼ばれましたがGHQから敵対視され4年間の公職追放となりました。

追放が解除されてからは鳩山一郎内閣の通産大臣に抜擢され、鳩山が退陣後の総裁選にて勝利し総理大臣に就任しました。

しかし、総理大臣就任直後の就任祝賀会に出席後に風邪をこじらせて肺炎を起こし脳梗塞の兆候もあるとし、2ヶ月の絶対安静との診断を受け寮養のために潔く退陣を決断しました。

石橋の病気療養のための国会欠席理由には野党からも寛大な声が上がっていましたが、「私の政治的良心に従う」との潔い決断には見事な出処退陣と称賛の声があがりました。

石橋は歴代総理大臣の中で、国会で一度も演説や答弁をしないまま退陣した唯一の総理大臣となっています。

第2位 羽田 孜 64日

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第2位は、第80代内閣総理大臣の羽田 孜(はた つとむ)で在任日数は64日、在任期間は1994年4月28日~1994年6月30日です。

羽田は田中角栄元総理や竹下登元総理を師とし、橋本龍太郎・小渕恵三・小沢一郎らとともに「竹下派七奉行」と呼ばれ農林水産大臣や大蔵大臣らを歴任しました。

1992年に竹下派会長のヤミ献金問題に端を発した竹下派分裂により小沢一郎とともに羽田派を結成し、1993年に宮沢喜一内閣不信任案に賛成し新生党を結成し党首となりました。

その後、衆院後に誕生した非自民連立の細川政権に参画し副総理兼外務大臣を務め、細川総理が退陣後の1994年総理大臣に就任しました。

しかし、社会党が連立から離脱し少数与党となり政権運営に苦しみ、内閣不信任案が可決される見通しとなったため64日で内閣総辞職をすることになりました。

第1位 東久邇宮 稔彦 54日

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歴代総理大臣最短在任期間ランキングベスト5の第1位は、第43代内閣総理大臣の東久邇宮  稔彦(ひがしくにのみや  なるひこ)で在任日数は54日、在任期間は1945年8月17日~1945年10月9日です。

東久邇宮は太平洋戦争が始まった時に防衛総司令官に就任し、1945年8月14日にポツダム宣言が受諾されると17日に敗戦後の混乱収拾のための役目を受け総理大臣に就任しました。

東久邇宮は総理大臣として終戦後の混乱収拾のために力を注ぎましたがGHQの強権的な指示に対応しきれないとし、54日で内閣総辞職をすることになりました。

歴代総理大臣のなかでは最短の54日の在任日数となりましたが、終戦後の混乱収拾や新体制へスムーズな移行を試みたとして一定の成果を上げている総理大臣です。

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まとめ

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歴代総理大臣在任期間最長・最短ランキングベスト5をまとめてみましたが、いかがでしたでしょうか。

在任期間が最長だから最高の総理というわけではありませんが、現総理の安倍晋三が歴代最長総理大臣となっています。

任期期間最短ランキングでは、短期間になった理由はさまざまでしたが愛人問題が一因となっていたことには驚きました。

近年では文春砲により多くの有名人が大打撃を受けていますが、週刊誌恐るべしですね…。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。

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