多くの人たちから愛され大人気の東京ディズニーランドは、2018年4月15日に35周年を迎えます!
開園してから長い歴史がありますが、衰えることを知らない人気はすごいですよね~!
来年は35周年のお祝いとしてテーマを「Happiness celebration」とし、期間限定のイベントやグッズ、フードなどの販売も発表されています。
ファンの人たちは待ち遠しくて仕方がないのではないでしょうか。
しかし、東京ディズニーランドは知っていても開園した経緯などまでは知らない人も多いのではないでしょうか。
実は私も詳しくは知りません。
そこで今回は、来年35周年を迎える東京ディズニーランドの歴史を経緯などをもとにして振り返ってみました。
今でも人気の秘密が分かるかもしれませんよ~!
東京ディズニーランド開園までの経緯
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まずは、歴史を語る上では書かせない経緯についてまとめました。
東京ディズニーランドが開園する20年以上前に京成電鉄という会社が、千葉県浦安沖を埋め立てて、大規模レジャー施設や商業地や住宅地の開発を計画していました。
当時の京成電鉄社長の川崎千春氏は1958年にアメリカに出掛けて、開園したばかりの夢のようなディズニーランドに出合い衝撃を受けました。
そして、川崎千春氏の「このような夢のような世界を日本の子供たちにも見せたい!」との強い思いから計画が進められていったのです。
1960年、東京ディズニーリゾートを経営している株式会社オリエンタルランドが設立されました。
そして、川崎千春氏がアメリカのディズニーランドを日本に誘致するべく、アメリカのディズニー本社に交渉に行きましたが、その答えは「NO!」と門前払いされてしまいました。
なぜかというと、国内のある会社がカリフォルニアのディズニーランドを真似して、遊園地をなんと!無断で作ってしまっていたため、ディズニー本社は怒っていたのです。
それは怒って当然ですよね…この件は東京ディズニーランドの歴史を振り返る上で、出てきてしまうのです。
しかも、アイディアを盗まれた上にクウォリティーが低すぎるという結果に(苦笑)、著作権を必死に守っていたのです。
そのようなことがあったため、全く信用してはもらえず諦めるしかない状況でした。
1970年代になると、ディズニー本社の姿勢に変化が見え始めました。
それまでは、世界中から誘致のオファーを断りフロリダのディズニーワールドの建設に力を注いでいましたが、それが成功して一段落着いたのです。
そんな、隙があったディズニー本社にオリエンタルランドの話が再び持ち込まれたのです。
しかし、国内には他にも候補地のライバルがいて浦安市舞浜以外にも清水市がありました。
これについてディズニー本社は、都心に近い立地の良さから、早々からすでに舞浜に決めていたそうですが、オリエンタルランドから少しでも良い条件を引き出すために最後まで2ヵ所の候補地を残していたそうです。
最終結果としてディズニー本社は、「清水市は富士山が常に見える場所なので、ディズニーランドが引き立たない」との表向きの理由を残して浦安市舞浜に決定しました。
その後、京成電鉄は本業の仕事が不振になりディズニーランドの誘致を全てオリエンタルランドに任せることになりました。
京成電鉄はディズニーランドの誘致交渉にとても支援的でしたが、もう一つの親会社の三井不動産は住宅地などの土地開発を優先に考えていたため、ディズニーランドの誘致を妨害することが何度かあったようです。
1980年12月3日、東京ディズニーランドの着工式が行われました。
着工式の終了後には着工記者会見も行われ、約250人の報道関係者が集まって期待の大きさを物語りました。
1981年1月、東京ディズニーランドの工事が本格的に始まりました。
1982年4月、アトラクションの備え付け工事が始まりました。
1982年9月、東京ディズニーランドのシンボルとなっているシンデレラ城が完成しました。
当初の予算は1000億円を予定していましたが、総額はなんと!1800億円を超えました。
金額が大きすぎて、想像が全く出来ません(笑)。
当時の高橋正知社長は、いくらお金がかかっても良いから本物を作ることを大切にしていたため、その結果が現れた形になりました。
1983年3月、竣工式が行われました。
1983年4月15日、グランドオープンセレモニーが2万6000人のゲストを迎えて開催されました。
この段階でディズニー本社からは、「どうせ失敗する」など温かい声はありませんでした。
その後、東京ディズニーランドは夏休みを迎えて平均入場者数は5万7000人に到達して、アトラクションには常に長い行列が出来ました。
1980年代は時期的にも、景気が上向きの頃でレジャーに掛ける費用も増えていたのでタイミングも良かったのかもしれません。
今考えれば、ディズニー本社に始めて交渉して断られてから開園まで長期間掛かってしまったことも、タイミングだけ考えれば良かったのかもしれませんね。
オープンを春休みが終わって客数が落ち込む時期に設定したのも戦略で、徐々になれて準備が整ってからピークのお客様を迎えることに徹底しました。
これにより、不手際によるトラブルを少しでも防ぐことが出来ますよね。
初年度の入場者数は、目標の1000万人を上回る1036万人で目標を達成しました。
なかでもお土産の購入代金が予想の4割以上と、驚きの結果となり売上高は800億円に到達しました。
アメリカではお土産を買う習慣があまりないそうで、これにはディズニー本社も驚いたそうです。
確かに私は、お土産にとチョコクランチ買い込みます!(笑)
オープン当初のアトラクションの数は32個、レストランは29個、ショップは39個でした。
2017年11月現在の時点でのアトラクションの数は37個、レストランは45個、ショップは45個でただ単に数を増やしているだけではなくて、その他もリニューアルを続けています。
東京ディズニーランド開園当初のテーマランドの数5つ!
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今では考えられませんが、開園当初の東京ディズニーランドのテーマランドの数は5つしかありませんでした。
アトラクションの数なども少なかったため、当たり前と言ってしまえば当たり前かもしれませんが…(笑)。
開園当初の東京ディズニーランドのテーマランドは①ワールドバザール、②トゥモローランド、③ファンタジーランド、④ウエスタンランド、⑤アドベンチャーランドの5つでした。
その他にも、今ではそれ目当てで訪れる人も多い、エレクトリカルパレードも開園当初にはありませんでした。
東京ディズニーランドは遊園地などのテーマパークでよく言われる2年目のジンクスをとても恐れていました。
開園当初は物珍しさで人がたくさん集まりますが、2年目以降は一度見たからもういい…と客数が極端に減ってしまうのです。
それを防ぐためにも、東京ディズニーランドは開園以降もアトラクションなども増やし続けています。
今では大人気のエレクトリカルバレードも誕生したのは、開園から2年後の1985年です。
これ以外の開園してしばらく後に誕生した人気なものとしては…
1987年 ビックサンダーマウンテン 誕生
1989年 スターツアーズ 誕生
1992年 スプラッシュマウンテン 誕生
などがあります。
これらをみても、何年たってももう一度訪れたくなる秘密が分かりますよね~。
東京ディズニーランドはゲストを飽きさせることはありません!
東京ディズニーランドの開園当初のパスポートの料金は?
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東京ディズニーランド開園当初のワンデーパスポートは3,900円でした。
現在と比べると、とっても安いですよね~!
しかしこれは、平日のみ使用可能なもので、休日や祝日、夏休みやゴールデンウィークなどは利用することが出来ませんでした。
開園当初の東京ディズニーランドは、入園料とアトラクションは別料金だったため、パスポートが主流ではありませんでした。
そのため、入園券とは別ににA~E(100円~400円)のアトラクション券があって、チケット毎に乗ることが出来るアトラクションが限定されていました。
その後、パスポートの料金は何度も値上げを繰り返しています。
1985年2月・4,200円、1989年7月・4,400円、1992年11月・4,800円と、開園から10年の間に3回少しずつ値上げをして、合計900円の値上がりがありました。
これでも、現在と比べるとまだまだ安いですが…。(笑)
その後もパスポートの値上げは続きました。
1996年4月・5,100円、1997年4月・5,200円、2001年4月・5,500円と値上げをして、2001年には完全に入園券&アトラクション券の制度が廃止され、パスポートに一本化されました。
1993年から10年間の間には、700円の値上げがありました。
日本の景気の状態などから大幅な値上げが出来なかったようですね。
その後もパスポートの値上げは続きました。
2006年9月・5,800円、2011年4月・6,200円と、2003年からの10年間の間には700円の値上げがありました。
開園当初は3,900円だったパスポートですが、30年間で6,000円台になってしまいました。
それからは、2014年4月・6,400円、2015年4月・6,900円、2016年4月7,400円と5年間の間にあっという間に7,000円台になりました。
これほどの値上げが出来るのも、東京ディズニーランドがそれほど多くの人達から愛される場所になったということですが、この先もまだまだ値上げは続くのでしょうか…。
今年も残りあと少しですが、2017年はパスポートの値上げはしないと発表されていますので、安心してくださいね。
個人的には…次に消費税が上がるタイミングでのパスポート値上げがあるのではないかと予想しています(笑)。
東京ディズニーランド開園当初に舞浜駅はなかった!?
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東京ディズニーランドの歴史や経緯を振り替える上で、舞浜駅の存在は多くのゲストを呼び込むためにとても重要なものとなっています。
東京ディズニーランドの開園当初には、舞浜駅はありませんでした。
そのため、電車で行く場合は浦安駅で降りたあと、浦安バスターミナルから路線バスで東京ディズニーランドに向かっていました。
車と比べると、とても不便だったんです。
現在は、舞浜駅があるのが当たり前ですので、なかった頃が全く想像出来ませんよね~!
舞浜駅が完成したのは1988年と、開園から5年後のことでした。
これによって、東京ディズニーランドの下車駅は舞浜駅となって、交通の便が大幅に良くなったのです。
今では、舞浜駅があっての東京ディズニーランドとなっています。
舞浜駅も重要な立役者ですね!
東京ディズニーランド開園当初のミッキーの顔は現在と違う!?
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開園当初から東京ディズニーランドを知っている人は気づいていると思いますが、開園当初と現在とではミッキーを始め、キャラクターたちの顔が違います。
上の画像が、開園当初のミッキーと仲間たちです。
現在の顔しか知らない人たちには、少し衝撃的かもしれませんが、現在のバランスのとれた顔と比べると、開園当初のミッキーは耳が大きくて、額も狭く輪郭も現在とは違います。
キャラクターの中でも私が衝撃的だった、開園当初のキャラクターはプーさんです。
その画像がこちら!
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…いかがでしょうか?
現在の姿はもう十分知っているとは思いますが、現在の姿の画像はこちらです。
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何だか落ち着きますよね~(笑)
現在と比べると、開園当初のプーさんは別人の域じゃありませんか…?
これだけ変更されれば、変更当時もこんなのプーさんじゃない!って言われたんでしょうね~!
歴史をたどってみると面白いですね。
キャラクターのデザインが変更されたのは1993年の東京ディズニーランド開園10周年を迎えた年からです。
10周年という記念すべき年に新しいデザインが起用されたのです。
開園当初から変化をし続けている東京ディズニーランドは、新しいキャラクターが増えるだけでなく、元祖のキャラクターのデザインも変更していたんですね~。
何年たってもゲストを楽しませる東京ディズニーランドならではですね!
まとめ
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東京ディズニーランドの歴史を振り返る、経緯などのまとめはいかがでしたでしょうか?
2018年4月15日に35周年を迎える東京ディズニーランドは、開園当初から現在まで多くのゲストを楽しませるために、進化をし続けています。
パスポートの料金が7,000円台を超えても、多くの人たちに愛され続けている秘密がそこにありました。
来年の35周年イヤーはどんな年になるのか、今から楽しみですね!
最後まで呼んで頂き、ありがとうございました!