2001年9月4日にグランドオープンした東京ディズニーシーは、東京ディズニーランドと並ぶ大人気のテーマパークとなっています。
東京ディズニーシーは大人ディズニーとして、お酒が飲めることもよく知られていますよね~!
2016年には、開園15周年を迎えて「ザ・イヤー・オブ・ウィッシュ」をテーマとしさまざまなイベントが開催されました。
東京ディズニーシーは、最近開園したイメージだったので、すでに15周年を終えていたとは思ってもおらず、驚きました(笑)。
現在は大人気の東京ディズニーシーですが、開園当初は思ったよりも人気が出ずにパーク内はガラガラの状態だったようです。
今では考えられないですよね~。
そこで今回は、東京ディズニーシーの開園までの経緯などの歴史を振り返り、大人気パークにまで成長した秘密についても迫ってみました。
東京ディズニーシー開園までの経緯
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東京ディズニーシーの歴史を振り替えるために、まずは経緯をまとめてみました。
東京ディズニーランドに続く第二のパーク構想が発表されたのは、東京ディズニーランドが開園5周年の時の1988年でした。
ディズニーファンたちは、ディズニーの第二のテーマパークの開発のニュースに歓喜しました。
計画の名称は「ディズニー・ハリウッド・マジック」で、予定総事業費は約400億円、完成予定は5年後を予定していました。
その後、オリエンタルランド会長であった故・高橋政知会長を中心として計画の実現を目指して動き出しました。
計画としては、日本で2番目のディズニーパークとして映画スタジオ系の施設の建設が予定されていましたが、日本は映画文化にあまり馴染みがないため、将来性への不安から1992年1月に計画を白紙に戻しました。
その後、米国のディズニー社とオリエンタルランド社が再協議をしました。
そこで、かつてロサンゼルスのロングビーチに開園が予定されていた「ディズニーシー(仮称)」のコンセプトを流用することが決定しました。
1996年5月28日、ディズニー社と基本契約を結び、1997年3月25日、浦安市や千葉県と用地譲渡などの三者協定を結び3月末には構想のイメージ図が公表されました。
1998年10月22日に着工式が行われて、2001年9月4日にグランドオープンしました。
東京ディズニーシーのグランドオープンまでに、ミラコスタも含め約3380億円の費用がかかったそうです。
さすが、夢の国ですね(笑)。
東京ディズニーシーは、世界のディズニーテーマパークの中で唯一「海」がテーマとなっています。
「冒険とイマジネーションの海へ」をキャッチコピーとして、壮大な海の物語が始まりました。
なぜ、9月4日に東京ディズニーシーがグランドオープンしたのかというと、故・高橋政知会長の誕生日であるからです。
この人がいなければ、日本に東京ディズニーランドは存在しなかったと言って良いほどの偉業を成し遂げた人なのです。
高橋政知会長は東京ディズニーシーの完成を見ることがないまま亡くなってしまいましたが、これまでの偉業を称えて高橋政知会長の誕生日にグランドオープンしました。
東京ディズニーシーは、東京ディズニーランドのコピーにならないように、開園当初から差別化を図っています。
その中でもディズニーキャラクターの露出を減らすということが、一番の差別化でした。
全くミッキーたちに会えないわけではないなのですが、東京ディズニーランドに比べれば露出は押さえられていて、ミッキーたちは親善大使という扱いでした。
キャラクターの露出を減らした分、東京ディズニーシーは、大人向けのアトラクションやショーなどが強化されました。
このコンセプトは、何があっても開園から5年間は曲げないと決められていたそうです。
2002年7月7日に、東京ディズニーシーの入園者数は1,000万人を突破しました。
その後、11月には東京ディズニーランドと東京ディズニーシーを合わせて、累計入場者数が3億人の記録も出しています。
東京ディズニーシーは方向転換をしていた!
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東京ディズニーシーの開園当初は、大人向けがコンセプトだったため、ディズニーキャラクターの露出やアトラクションの数も少なく、入場者数が伸び悩んでいました。
いくら大人向けとはいえ、ディズニーリゾートに来たらディズニーキャラクターに会いたいと思うのは当然なことですよね。
そのため、オリエンタルランドは東京ディズニーシーの方向転換を図っていきました。
ガラリと変えるわけではなく、これまでの東京ディズニーシーの魅力である、大人向けや異国情緒は残しつつ、キャラクターの色の強いアトラクションやショーの導入を進めて行きました。
2006年7月4日には、ディズニーキャラクターが一切登場しなかった「ブロードウェイ・ミュージックシアター」のショーである、「アンコール!」をクローズしました。
そして、新しくミッキーたちがパフォーマンスを行う「ビックバンドビート」など、ディズニーキャラクターが活躍するショーが増えていきました。
その結果、これまで少なかった家族客も東京ディズニーシーを訪れるようになったのです。
この、かなり思いきった方向転換がなければ、現在の東京ディズニーシーの人気はなかったかもしれませんね。
東京ディズニーシーは東京ディズニーランドとイベントを共通化した!
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開園当初は、東京ディズニーランドとの差別化を図る目的もあって、東京ディズニーシーでは大人向けのイベントを開催していました。
しかし現在は、東京ディズニーシーらしさは残していますが、東京ディズニーランドと同じイベントを行う方向に変化しています。
同じイベントの方がどういうイベントなのか、想像しやすいメリットもありますよね~!
それにより、開園当初にはなかったハロウィンのイベントを2009年から開催し、2014年からは七夕のイベントを、2015年からはイースターのイベントも東京ディズニーシーでも開催しています。
同時に同じイベントを開催しているとは、どちらに行こうか悩んでしまいますよね~。
出来ればどちらにも行きたいですが(笑)。
東京ディズニーシーで大人気のダッフィーは、誕生当初は人気がなかった!?
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現在、東京ディズニーシーにはダッフィーがなくてはならないキャラクターとなっていますが、実は開園当初にはいませんでした。
ダッフィーが誕生したのは2004年で、誕生したばかりの頃は、ダッフィーが歩いていても写真を撮る人があまりいないほどだったそうです。
ダッフィーの生みの親とされているのは、オリエンタルランドの後藤達美という男性です。
後藤達美は、2003年にフロリダのウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートで販売されていたぬいぐるみ“ディズニーベア”を見て、商品化へ動き出したそうです。
ダッフィーの誕生に、オリエンタルランドの社員が関わっていたとは知りませんでした。
スゴいですよね~!
実は、ダッフィーと名前が付けられたのは2005年12月のことで、それまではディズニーベアと呼ばれていました。
ダッフィーの人気に火がついたのは、2008年の東京ディズニーリゾートの25周年のイベントだとされています。
この時期から、ダッフィーのめいぐるみを抱っこしてパーク内を歩くゲストが増えて、カチューシャを身につけることと同じように、楽しみの1つとなっていきました。
メディアでダッフィーが取り上げられたことも、人気が出たきっかけとなりました。
フィギュアスケートで大人気の浅田真央さんにダッフィーのめいぐるみが贈られたことでも、注目を集めたようですよ!
浅田真央さんの国民的人気もスゴいですよね~。
ダッフィーは東京ディズニーシーでしか買うことが出来ない限定品のため、ダッフィーのグッズを買うために、パークを訪れるゲストも増えていきました。
限定という言葉にはやはり弱いものですね(笑)。
2009年からは、「スウィート・ダッフィー」というダッフィーのイベントも毎年開催されるようになりました。
2014年には、なんとダッフィーのぬいぐるみと同じ生地で車体がラッピングされている「ダッフィーバス」も登場し、多くのダッフィーファンが駆け付けたようです。
気になるダッフィーバスのビジュアルはこちら!
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いかがでしょうか?
さすが、ダッフィー!バスになっても可愛いですよね~。
ダッフィーの人気は本当にスゴいです!
そのため、ダッフィーの誕生は現在の東京ディズニーシーの歴史には欠かすことの出来ない重要な出来事でもあります。
ダッフィーの仲間たちも次々誕生!
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ダッフィーの人気が上昇していくと共に、ダッフィーの仲間たちも誕生して人気を集めています。
2010年1月15日には、ダッフィーのお友達として「シェリーメイ」が誕生しました。
シェリーメイは、東京ディズニーシーの完全オリジナルで、女の子のためダッフィーより少し小さめに作られています。
2014年6月30日には、ダッフィーのお友達として猫のキャラクターの「ジェラトーニ」が誕生しました。
女の子にも見えますが、ジェラトーニの性別は男の子です。
美しいエメラルド色の瞳で、長いしっぽがチャームポイントです。
2017年3月23日には、ダッフィーのお友達としてうさぎの女の子「ステラ・ルー」が誕生しました。
ラベンダー色の可愛いうさぎで、大人気となっています。
東京ディズニーシー開園当初には年間パスポートがなかった!
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東京ディズニーランドでお馴染みとなっている年間パスポートは、東京ディズニーシー開園当初からあったのかと思いましたが発売されたのは、2003年7月12日からでした。
発売当初の年間パスポートの料金は40,000円でしたが、現在は63,000円です。
ちなみに、東京ディズニーランドの年間パスポート発売されたのは1988年4月15日で、当時の価格は25,000円という今と比べると激安価格でした。
現在はパスポートの料金が高いため仕方がない料金なのでしょうが…。
東京ディズニーシーは、唯一無二のパークだった!
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実は、東京ディズニーランドはアメリカ・フロリダにある、マジックキングダムをモデルにして造られました。
そのため、マジックキングダムもシンデレラ城がシンボルとなっているのです。
東京ディズニーシーは、過去にロサンゼルスのロングビーチに開園が予定されていた「ディズニーシー(仮称)」のコンセプトを流用しましたが、モデルとなった実在するパークはありません。
そのため、東京ディズニーシーは世界に一つだけしかないディズニーのテーマパークです。
そのため、外国からも多くのゲストが訪れています。
さらに、東京ディズニーランドと同様に、ゲストを飽きさせないため開園から徐々にアトラクションを増やしています。
現在大人気の
タートル・トークは2004年11月16日に、
レイジングスピリッツは2005年7月21日に、
タワー・オブ・テラーは2006年9月4日に
追加されました。
唯一無二の存在で、何度行っても楽しめる東京ディズニーシーは、無敵の存在ではないでしょうか。
まとめ
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東京ディズニーシーの開園までの経緯などの歴史や、大人気パークにまで成長した秘密についてのまとめはいかがでしたでしょうか?
現在は東京ディズニーランドと並び、大人気となっていますが、開園当初は思ったよりも客足が伸び悩んでいたんですね~。
やはり、大人だって夢の国に行ったらミッキーたちを見て、はしゃぎたいんです!
現実逃避がしたいんです!(笑)
また、東京ディズニーシーをここまでの人気パークに成長させたのは、ダッフィーの存在が大きいです。
多くの人たちを飽きさせないディズニーですが、今後もダッフィーの仲間たちは増えていくのでしょうか。
これからの東京ディズニーシーの成長が楽しみですね~!
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!