大きな地震と津波といえば2011年3月11日に起こった「東日本大震災」を思い出される方が多いと思います。

「3.11を忘れない」という言葉があるように、死傷者・行方不明者が約25,000人出た大災害です。

 

その約18年前に起こった「北海道南西沖地震」を覚えていますか?

 

北海道の南西部・日本海側に浮かぶ島・奥尻島で推定震度6の地震が起こった直後に、大きな津波が奥尻島を襲いました。

震源が奥尻島に近かったため、津波の被害を防ぐことが出来なかった地震です。

 

そんな北海道南西沖地震を振り返ってみたいと思います。

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北海道南西沖地震の概要

(出典:http://www.banei.nu/cgi-bin/diary/diary.cgi?mode=read&page=20&y=2009&m=4

1993年7月12日22時17分12秒。

北海道南西部にある日本海側にある島である奥尻島の北方沖、日本海の海底で発生した地震が「北海道南西沖地震」です。

 

震源の深さは、34km。マグニチュードは7.8という大きな地震でした。

最大震度は、推定震度6の奥尻町です。

奥尻島全部が奥尻町で構成されています。震源に近かったため、最大震度を記録しました。

 

震度よりも記録と記憶にも残る被害が出たのが、津波です。

震源域が奥尻島の近くだったため、地震発生から数分で高い津波が襲ってきました。

 

地震の揺れによる被害、津波による被害。そして津波によって火災という2次災害も発生しました。

また、がけ崩れによる被害も起こります。

 

この地震で死者230名、行方不明者29名、負傷者は323名にもなりました。

ロシアでも行方不明者が出た大きな地震です。

 

奥尻島付近は、1984年に群発地震がありました。

しかしそれ以降の地震活動は少なく、北海道南西沖地震でも地殻変動や前震は確認されませんでした。

 

そして現在でも地震の原因となった活断層は、わかっていません。

 

地震による揺れ

 

最も大きな揺れが起こった奥尻町は、推定震度6と言われています。

「推定」という表現になっているのは、1993年当時、奥尻島に地震計が無かったからです。

奥尻島に面している、北海道本土の寿都町の震度から推定される震度として「震度6」が発表されました。

 

北海道南西沖地震は、日本海側の観測史上最大の地震です。

 

震度6(推定):奥尻町

震度5:江差町・小樽市・寿都町・青森県深浦市

震度4:函館市・倶知安町・室蘭市・苫小牧市・青森県むつ市

 

やはり北海道の日本海側に面している地域が、大きく揺れた地震です。

 

奥尻島に押し寄せた津波

(出典:http://www.bo-sai.co.jp/sub8.html

北海道南西沖地震の津波は震源が奥尻島に近かったため、10時22分に大津波警報が発表される前に第1波が到達しました。

 

北海道本土のせたな町は、地震から4~5分後に津波が到達しています。

 

北海道南西沖地震は、夜間の発生でした。

またデジタルカメラ、カメラ付携帯電話やスマホはこの時代にはなく、津波発生の写真や動画などの記録が全く残っていません。

 

奥尻島の西側にある藻内地区が最も高い津波を観測。

その高さは、30mを超えたと言われています。

稲穂地区では8.5m、奥尻地区では3.5m、初松前地区では16.8mの津波が到着しました。

(調査機関によって、津波の高さは誤差があります)

奥尻島の青苗地区では車で逃げようとした車列に津波がきて飲み込まれ、多数の犠牲者を出しました。

 

津波は奥尻島だけではなく、北海道の日本海側から本州の日本海側にまで押し寄せ、能登半島、九州北部の沿岸にまで到達しました。

 

津波が起こった原因は、藻内西方沖約15kmで発生した海底地すべりと推定されています。

 

火災・土砂崩れ

(出典:http://www.mod.go.jp/msdf/oominato/about/index.html

北海道南西沖地震が起こって約20分後、青苗地区で火災が起こりました。

プロパンガスのボンベや、北海道なので暖房用の燃料タンクが各家に置いてあります。それが次々に爆発していき、広範囲で火事が発生しました。

 

青苗地区にも津波が押し寄せたため、消火活動を阻みました。

最終的には消防団が江戸時代のように建物を破壊することで、第1出火点から約11時間後の翌朝9時20分に鎮火しました。

 

また奥尻地区では大規模ながけ崩れが起こり、ホテル・レストランが倒壊し、28名が死亡しました。

 

奥尻島の被害を知らせた定期フェリー「ニューひやま」

 

北海道南西沖地震が起こった直後、定期フェリー「ニューひやま」が奥尻港に停泊していました。

この時の船長がかつて起こった日本海中部地震で津波を経験していたため、地震で大きな揺れを感じた時に、すぐに奥尻港から出港することを決めました。

 

第1波をなんとか突破し、無事に船長・船員全員が沖へ避難することが出来ました。

沖に到達後、すぐに小樽市にある第一管区海上保安部に船舶電話をし「奥尻島に大津波襲来、被害多数。救援求む」という連絡をしたのです。

 

これが北海道南西沖地震で奥尻島に大きな被害が出ているという第一報になる、貴重な連絡だったのです。

 

北海道南西沖地震の被害状況

(出典:http://www.hp1039.jishin.go.jp/eqchr/f3-15.htm

北海道南西沖地震が起こった当時、奥尻島に地震計がなかったこと。

地震発生が夜だったため、奥尻島の被害状況がすぐには分からない状況でした。

フェリー・ニューひやまが第一管区海上保安部に連絡したことをきっかけに、被害状況が分かっていきました。

 

被害状況

 

北海道南西沖地震の被害状況は、死者230名(青森県1名)行方不明者29名、負傷者323名です。

 

津波被害での死者・行方不明者は、奥尻島の人口の4%にあたる198人に及び、せたな町でも死者がでる被害でした。

火事で沢山の家屋が燃え広がりましたが、火災が直接の原因での死者は出ませんでした。

 

津波などによる家屋の倒壊は601棟、半壊が408棟、一部損壊が5490棟、浸水被害が408棟。

火事による焼失が192棟。道路の損壊が630箇所、港・漁港被害は80箇所にまで及びました。

 

特に火災が起こった青苗地区は民家が多数あり、漁協・農協・診療所・郵便局・学校などの公共機関や、飲食店・宿泊施設が多数あり、壊滅状態になりました。

 

消火活動・救助活動

 

消火活動・救助活動は奥尻島だけではなく、札幌消防局をはじめ函館・苫小牧・旭川・釧路など北海道の主要都市の消防本部が奥尻島にやってきて、救助活動を行いました。

また東京消防庁から航空隊・特別救助隊・水難救助隊184名が救助にかけつけました。

 

奥尻島の復興と教訓

(出典:http://www.shinsaihatsu.com/photo/20050814okushiri.html

1993年7月12日に起こった北海道南西沖地震。

その被害の中心にあった奥尻島の復興状況と、教訓をまとめました。

 

奥尻島の復興

(出典:http://smune.la.coocan.jp/west.html

北海道南西沖地震で壊滅的な被害を受けた青苗地区・稲穂地区・松苗地区。

地震・津波・火災の被害を受けた住宅・施設は新しい街づくりに向かって動き出します。

将来の災害を見越し、各種防災設備を構築した新しい街づくりです。

 

1993年10月に北海道から4名と、町職員10名の14人体制で「災害復興対策室」が設置されました。

「5年で奥尻島を完全復興させる」という計画を策定します。

 

「生活再建」「防災まちづくり」「地域振興」の3本柱で進めていくことになります。

 

各地から集まった190億円を超える災害義援金が奥尻島の復興と、災害対策、被害者への見舞金の一部として使われました。

 

奥尻島の復興のために作られた主な施設です。

 

・防波堤:総延長14kmで高さは1番高いところで11m、南西沖地震の津波の高さに合わせて造られる。

・人口地盤「望海橋」:漁港に作られた、一時避難のための構造物

・避難路

・奥尻島津波館

・慰霊碑

・町立青苗小学校:1階部分が空洞のピロティー構造

・奥尻生涯学習センター

 

復興は地元の人たちと関係機関の他、救援に駆けつけた警察・保安庁・自衛隊・消防団・国・北海道だけではなく、各地から駆け付けた学生・一般の方のボランティアが多くの支援があったため、災害復興対策室が掲げた目標より早く復興が進んでいきました。

 

そして北海道南西沖地震から5年後に「完全復興宣言」をするのです。

 

奥尻島津波館に象徴されるように「北海道南西沖地震を風化させない」「津波の怖さを忘れない」「復興の手助けをしてくれたボランティアの人たちなどの恩恵、感謝の気持ちを忘れない」

奥尻島では、現在も1年に1度津波を想定した防災訓練を行い、北海道南西沖地震を忘れずに次に起こるかもしれない自然災害の教訓を、後世に伝えています。

 

北海道南西沖地震の教訓

 

北海道南西沖地震が起こったことにより、地震・津波への対応が変わりました。

そして同時に震源がものすごく近い地域の場合は、津波情報の限界があるという現実を突き付けられたのです。

 

それでも大きな地震や津波に遭った時の対応を、この地震から行われていきました。

 

まずはTV・ラジオ・防災無線などの津波の伝え方です。

北海道南西沖地震当時の大津波警報が発表された時の予報文は「津波は高いところで3m以上に達する」だけでした。

現在では、まず大きな揺れを感じた時点でTVでは「揺れが大きかったため、今後の情報に注意してください」とテロップが出るようになりました。

 

大津波警報が発表されると、ニュース速報でこのような言葉がアナウンサーから繰り返し伝えられるようになります。

「海岸部にいる人は、直ちに高台や高い建物に避難してください」

「場所によっては、予想される高さの津波より大きな津波が来ることがあります」

「第1波よりも第2波以降が高くなることがあります」

「津波は、何回も来ることが予想されます」

 

北海道南西沖地震の翌年に北海道東方沖で発生した地震で、根室市に1m73cmという高さの津波が来ましたが、北海道では犠牲者が出なかったのは北海道南西沖地震の教訓が生きたからと言われています。

 

海岸に面した街では津波対策として海抜を表示、またハザードマップも全国で作られるようになっていきました。

地震や津波の被害で家を失った人がすぐに入居できるような仮設住宅の完成も目指しました。

 

そして奥尻島では、防災ハンドブックの全世帯への配布・ヘルメットを全町民へ配布。

毎年、防災訓練を行うなど、地震と津波から身を護るための対策を行っています。

動画について

地震発生時の状況がよくわかる動画です。

改めて、地震・津波の恐ろしさが確認できます。

北海道南西沖地震のまとめ

(出典:http://blog.goo.ne.jp/mrsfarmer/e/d0d7a55eddcd4e4a492fd1328bb7d97d

北海道南西沖地震で被害に遭った奥尻島の2017年現在は、観光にも力を入れています。

奥尻島観光協会では、あわび狩り体験やマリンレジャー、釣りなど海に近い離島ならではの観光スポットが人気です。

 

1993年に壊滅的な被害を受けた奥尻町も復興し、優しい町民の方々の笑顔も見ることができるようになりました。

 

災害はいつ起こるか分かりません。

いつどんな被害に遭うか分かりませんが、奥尻島を襲った北海道南西沖地震が津波に対する教訓を生んだ災害だったことを忘れないでいただければと思います。

 

最後まで読んで頂き、ありがとうございました。