2020年東京オリンピックが近づいてきましたが、みなさんは何に注目していますか?

私は、前回のリオオリンピックで大活躍をした男子体操を実際に観戦してみたいなぁと思っています。

特に、白井健三選手には個人金メダルを期待しています!

2020年東京オリンピック開催には、施設や道路の整備などまだまだ問題が多いようですが、1964年に開催された東京オリンピックはどのようなオリンピックだったのか気になります。

そこで今回は、1964年に開催された昔の東京オリンピックについて、開会式や閉会式、聖火コース、経済効果などをまとめてみました!

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昔の東京オリンピックはどんな開会式や閉会式だったの?

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オリンピックでは競技だけでなく、開会式や閉会式にも注目している人が多いのではないでしょうか。

そこで、昔の東京オリンピックの開会式と閉会式の様子をまとめてみました。

1964年東京オリンピックの開会式は、10月10日に国立競技場で行われました。

開会式前日は台風の影響を受けて雨でしたが、開会式当日は雲ひとつ無い晴天だったようです。

当日、開会式の様子はテレビ各局で生中継され、多くの人たちが見守りました。

開会式には昭和天皇や香淳皇后ご夫婦、当時の皇太子ご夫婦も出席されて、開会宣言は昭和天皇が述べられました。

聖火の最終ランナーは坂井義則氏で、選手宣誓はオリンピックで合計13個のメダルを獲得した体操の小野喬氏が大役を務めました。

この時代は、アメリカとソビエト連邦の冷戦状態が世界に影響を及ぼしていましたが、スポーツの場では関係ありませんでした。

分裂状態の西ドイツと東ドイツは、合同で東西統一ドイツとして選手団を派遣し、英語のアルファベット順で選手団が入場するため、アメリカとソビエト連邦が続けて入場するなどしました。

開会式では、参加94ヵ国・7,060人の選手団が入場行進をしました。

有名なのは、航空自衛隊の展示飛行チームのブルーインパルスによって、五輪マークが空に描かれたことです。

彼らは開会式を多いに盛り上げてくれたようです。

閉会式ではとびきりのハプニングが!?

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現在のオリンピックの閉会式では、各国の国旗を掲げた旗手たちが行進した後に、参加選手が国順ではなくバラバラに混じり合って入場してくる風景はおなじみですよね。

実は、あの閉会式のバラバラの入場が1964年東京オリンピックから始まったことをご存じでしょうか?

それ以前のオリンピックの閉会式は、開会式と同じように国別に別れて並び入場していました。

もちろん、1964年東京オリンピックでもその光景を見る予定だったのですが…。

いざ閉会式が始まってみると、各国の選手たちがバラバラに入り混じり腕や肩を組んだり、観客席に手を振ったり万歳をするなど、とても感動的な光景だったのです。

これは、とびきりのハプニングですよね!

ではなぜ、このようなハプニングが起きたのでしょうか?

その真相は、なんと!

お酒でした(笑)。

実は、入場を待つ選手たちにお酒がふるまわれており、それを飲んだ選手たちはすっかり上機嫌に!

そのため、閉会式が始まると選手たちは誘導の指示に従うことなく自由に飛び出していったのだとか…。

この光景はもちろん、運営側の人たちにとっては許すべきではない、とんでもないハプニングだったそうです。

しかし、人間味の溢れた光景は世界の人たちに感動的な光景として受け入れられ、現在まで続いているそうです。

オリンピックの重圧からしばし開放されてリラックスしている選手たちの表情が見られて、このような閉会式も良いですよね~!

しかし、お酒で閉会式まで変わってしまうとは、お酒の力恐るべしです(笑)。

昔の東京オリンピックの聖火コースは?

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開会式の約2ヶ月前の1964年8月21日に、東京オリンピックのための採火式がギリシャのオリンピアにあるヘラ神殿跡で行われました。

そして、古代オリンピアの競技場で安川組織委員会会長や、高島文雄聖火空輸派遣団長たちに聖火が引き継がれました。

その後、聖火リレーが行われアテネに聖火が到着すると、聖火空輸特別機であるシティ・オブ・トウキョウ号にて、東京を目指しました。

聖火のアテネから日本までの道のり

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アテネから日本までは、①イスタンブール、②ベイルート、③テヘラン、④ラホール、⑤ニューデリー、⑥ラングーン、⑦バンコク、⑧クアラルンプール、⑨マニラ、⑩ホンコン、⑪台北の11の中継地を順に経由して沖縄に9月7日に到着しました。

記録によると、海外聖火リレーの空輸距離は1万5,508kmとなっています。

地上リレーの総距離は732kmで総区間は870区間、参加リレー走者は870人となっています。

国内聖火リレー

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当時の沖縄はアメリカによる占領下にありましたが、沖縄が日本体育協会に加盟していたため、聖火リレー特別委員会が国内聖火リレーを沖縄から開始することを決定しました。

その記念すべき第1走者は、宮城勇氏が務めました。

9月9日午前6時58分に沖縄を出発した全日空の聖火号は、鹿児島に寄った後に宮崎を経由して北海道の千歳に向かいました。

そして、この鹿児島、宮崎、千歳が国内聖火リレーの3つの起点となりました。

国内聖火リレーでは、全都道府県を回ることを前提として4つのコースが決められていました。

第1コース  期間:9月9日(水)~10月9日(金)

鹿児島→熊本→長崎→佐賀→福岡→山口→広島→島根→鳥取→兵庫→京都→福井→石川→富山→新潟→長野→山梨→神奈川→東京

第2コース 期間:9月9日(水)~10月8日(木)

宮崎→大分→愛媛→高知→徳島→香川→岡山→兵庫→大阪→和歌山→奈良→京都→滋賀→三重→岐阜→愛知→静岡→神奈川→東京

第3コース 期間:9月9日(水)~10月7日(水)

北海道→青森→秋田→山形→新潟→群馬→埼玉→東京

第4コース 期間:9月9日(水)~10月7日(水)

北海道→青森→岩手→宮城→福島→栃木→茨城→千葉→東京

これら4つのコースの空輸総距離は2,692kmで、地上リレー総距離は6,755kmで総区間は4,374区間、参加リレー走者は10万713名となっています。

そして、最終的に各コースの聖火は東京都庁に集められ、9日に皇居前に設置された聖火台にて集火式が行われました。

10日午後2時35分から、皇居前から国立競技場まで6.5kmの最終聖火リレーが男子5名と女子2名によって行われ、10万713人目の最後の聖火ランナーは坂井義則氏に託されました。

午後3時03分、坂井義則氏が国立競技場に到着してバックスタンド中央の階段を登りきって聖火台への点火が行われました。

このように、聖火はたくさんの人々の思いを乗せて長い道のりを進んで来たんですねぇ~!

聖火を見る目が変わりました!

昔の東京オリンピックの記念切手とは?

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1964年の東京オリンピック開催に合わせて5種類の記念切手と、開会式当日には記念切手を1枚のシートにまとめた小型シートが発行されました。

発売日当日には全国の郵便局には、記念切手を買い求める人たちで行列ができたようです。

そして今回、2020年の東京オリンピック開催が決定してから、再び昔の東京オリンピックの記念切手に注目が集まっているようです。

現在、その記念切手の価値は値上がりしているのでしょうか?

調べてみたところ、どうやら発行当時に収集や値上がりを目的とした購入者が多く、大量に出回っているためプレミアは付いていないようです。

未使用品が大量に出回っている状態のため、当時の消印が押されていた方が高値の場合も…。

しかしながら、2020年東京オリンピックの開催に向けて昔の東京オリンピックにも注目が集まっているので、少しでも高く売りたいなら今がチャンスなのかも!?

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1964年東京オリンピック開催での経済効果はどれぐらいあったの?

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オリンピックが開催されると経済効果が期待されますよね~!

1964年に開催された東京オリンピックでは、どれほどの経済効果があったのでしょうか?

それを知るために大きなポイントとなってくるのは、1964年が第2次世界大戦から19年後ということです。

戦後は何もない環境でした。

そこから日本は、人の手で大きく成長してきたのです。

当時、オリンピックの開催に向けて産業や経済の基盤を形成するための道路や鉄道、病院、公園などの大規模なインフラ整備が行われました。

そして、それらの建設に伴う雇用が増えるため、戦後職を失ってしまった人にとってはとても嬉しいことでした。

また、オリンピックを開催するためには交通の便も発達させなければなりません。

そのため、首都高速道路の建設やモノレール、東海道新幹線を開通させるなど、現在の交通の基盤が作られたのもこの頃でした。

潤ったのは建設業界だけではありません。

オリンピックを観戦するために多くの人たちが訪れるため、観光業界やホテル業界、サービス業界も多きな利益を得ました。

国立競技場や日本武道館などの施設の建設に164億円、オリンピックの運営には94億円以上が投じられました。

そして、1964年東京オリンピックの経済効果は1兆円とも言われています。

当時の1兆円はなんと!現在の30兆円に相当するそうです。

そう言われても規模が大きすぎて全く実感がわきませんが、すごいことだけはわかります(笑)。

戦後の日本が東京オリンピックの開催をきっかけとして、一気に先進国に発展していったわけですが、良いことばかりではありませんでした。

それは、オリンピック後の赤字や短期間雇用であったこと、税収率の定価などのデメリットもあり、1965年には国債が発行されています。

全てが良いことばかりではなかったようですね。

2020年東京オリンピックでは、その後も経済効果が続くことを願います。

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2020年東京オリンピック開催による経済効果の予想は?

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2020年東京オリンピックの開催も近づいてきましたが、どれくらいの経済効果があると予想しているのな気になりますよね~!

調べてみたところ、その経済効果は約7兆円から32兆円ぐらいまで、さまざまな予想がされていました。

そもそも、経済効果の基準とは一体何なのでしょうか?

オリンピックでの収入でわかりやすいものでは、スポンサー収入やテレビの放映権料金、入場料金や記念グッズの販売などがありますよね。

その他に、施設の建設費や観客たちや旅行者たちの宿泊代や飲食費なども、オリンピックにより増えた需要として経済効果になります。

さらに、経済効果にはオリンピック関連の労働者たちの消費の拡大や、交通インフラの整備、バリアフリーの対策、スポーツ人口の増加などなど…。

こうして見てみると、加え始めたらキリがないくらい、経済効果はどんどん拡大していくようですね。

みなさんは、インバウンドという言葉を聞いたことがありますか?

これは、内向きに入ってくるという意味で、外国人が訪日することも含まれます。

2020年東京オリンピックでは、開催後に日本がインバウンド大国になることが期待されています。

日本政府は、2020年の訪日外国人観光客の目標を4,000万人と掲げています。

世界的に見てみると、観光客の人数はフランスが年間8,000万人を超えてトップに立っています。

気になる日本は、昨年に過去最高の2800万人を超えましたが、世界ランキングでは16位で、まだまた観光客が多いとは言えないようです。

2020年東京オリンピックの開催は、日本の良いところを世界中の人に知ってもらう特大のチャンスです!

日本の素晴らしい所を知ってもらい、オリンピック後の経済効果に期待したいですね!

まとめ

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昔の東京オリンピックのまとめはいかがでしたでしょうか?

開会式や閉会式、聖火コース、記念切手の発行など、東京オリンピックの開催が戦後の日本をどれほど盛り上げたのかを理解して頂けたかと思います。

昔の東京オリンピックの経済効果はすごいものがありましたが、翌年には国債が発行されています。

2020年東京オリンピックでは、経済効果が続き観光客が増えて、インバウンド大国になれると良いですよね~!

2020年東京オリンピックの開催には、大きな期待がかかっています!

最後まで読んで頂き、ありがとうございました!

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