ホテルニュ-ジャパンの火災事件とは?

これまでに何度かテレビでも世紀の大火災事件の一つとして取り上げられたことのある「ホテルニュージャパンの火災事件」ですが、皆さんはご存知でしょうか。
時とともに風化していってしまうのは仕方ありませんが、今なお教訓とすべきところも多くありますので、改めて今回はこの痛ましい事件「ホテルニュージャパンの火災事件」について、詳しく紐解いていきたいと思います。

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ホテルニュージャパンの悲劇

ホテルニュージャパンの火災事件は、今から遡ること35年前の1982年(昭和57年)2月8日に発生しました。
主に火元となった9階と10階を中心に火は7階まで燃え広がり、同日の0時半過ぎまで、実に9時間にわたって燃え続けたといいます。延焼面積は約4,200平方メートルに達し、ホテルの宿泊客を中心に死者33名、負傷者34名を出す大惨事となりました。

なお、死者の中には日本人11名のほかにも、台湾人12名、韓国人8名、アメリカ人1名、イギリス人1名が含まれていました。
というのも、その日ホテルには、大学受験のため上京していたという男性や、貿易会社を営む日系二世のアメリカ人社長とその部下、地方から出張で上京していた会社社長や、夫婦で泊まっていた方など、国内外から376人もの人たちが宿泊していたのでした。

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ホテルニュ-ジャパンが建てられた時代とは

60年代から70年代というのは、東京オリンピックや大阪万博などと国際的なイベントが相次いでいたことから、宿泊客の増大により日本はホテルブームの真っただ中にありました。
大広間での豪華な披露宴が人気を博していたのもこの頃であり、都心には次々と高級ホテルがオープンしていました。当時、ホテル業界は「金のなる木」とも言われるほど湧いていたそうです。
そんな時代の風を受けて1960年に建てられたホテルニュージャパンは、都心の一等地である赤坂に地下2階、地上10階の当時としては高層ホテルとしてオープンしました。ヨーロッパ製の格式高い家具や煌びやかなシャンデリアがあり、大宴会場や高級レストランやバーのほか、宝石店や郵便局までも揃えられた、ひときわ高級志向に拘られており、3方向に伸びる廊下の両側に客室が並ぶ造りで客室は全フロアで400室以上あったというから驚きです。
一流の高級志向ホテルというだけあって、シングル1泊が14,000円といいますから、当時の大卒の初任給が12万円だったことを考えるととても一般庶民が泊まれるようなホテルではありませんでした。
歌舞伎役者や芸能関係の人たちが結婚披露宴を催すことも少なくなく、地下2階にあったナイトクラブ「ニューラテンクォーター」は政治家や芸能人などの各界の著名人を常連客にもつ高級クラブだったようです。
このようにホテルニュージャパンは当時、一流ホテルとして名を馳せていました。

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この大事件の火災の原因とは

そんな一流ホテルのホテルニュージャパンで、なぜこのような火災が起きてしまったのでしょうか。それでは事件当時のことを順を追って見ていきましょう。

事件当日、事の発端はホテルのある1室でした。裁判記録によると、一人のイギリス観光客が泥酔して9階にある自分の部屋に戻ったあと、寝タバコをしたことが出火原因だとされています。
その後、すべての宿泊客のチェックインを確認してから仮眠を取ろうとたまたま通りかかったフロント係がドアから漏れる煙に気づき、フロントへと戻り火災を知らせました。この時、時刻は午前3時17分頃だったといいます。

すぐさまフロントマンたちが急ぎマスターキーを持って9階に向かいましたが、問題の出火している部屋938号室はすでにヘッドサイドから炎があがっていました。消火器を手に取り消火活動を行うも、一度は消えるも火は衰えるどころか再び燃え上がってしまい、慌てて他の消火器を取りに引き返すことにします。
この時フロントマンたちは出火原因となった938号室のドアは解放したまま退室してしまいました。

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なお、フロントマンはこの時警備室に連絡をしていました。しかし実は警備員たちは、火災通知ベルの鳴らし方や、消火栓箱からホースの取り出し方、使い方を知らなかったということが、のちの裁判で判明しています。また警備員たちは防火戸の存在も知らなかったため、火は封じられることなくどんどんと燃え広がっていくことになります。

燃え広がった炎は938号室から廊下へと噴出し、この頃になって異臭や煙で火災に気付いた宿泊客がようやく避難を開始します。廊下の炎は各部屋に燃え移り、壁だけではなく天井も焼き落とす勢いになり、やがては各部屋の窓から炎が噴き出し始めます。
この時点で、最初にフロントマンが煙を発見してからすでに20分が経過していました。そしてようやくここで燃え盛る炎を目撃した通行人により、午前3時39分に消防庁に通報が入るのでした。

この通報により、東京消防庁は第4出場といって東京23区の消防車両を総動員する最高ランクの出動形態を出し、消防車両123台とヘリコプター2機、消防職員、消防団員合わせて649人をホテルニュージャパンに集結させました。
しかしホテルの構造的に、低層階が張り出した造りは大型はしご車のはしごが要救助者のもとに届きづらく、炎や黒煙に堪えられなくなった宿泊客が次々と窓から逃げ出そうとして転落する事態も起きたといいます。
最終的にはシーツやカーテンをつないで脱出した宿泊客が多くいたと言われています。
そうして火災自体は0時36分に鎮圧されたのでした。

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ここまで悲惨な大惨事となった原因とは

直接的な原因は、先程も述べたように、一人の宿泊客の寝タバコが原因でした。
しかしここまで大惨事になってしまったのには、そのほかにも複数の要因があったことはご存知でしょうか。

ホテル従業員の初期対応ミス

先程ご説明していたところでお気づきと思いますが、フロントマンが出火原因となった部屋のドアを解放したままであったり、警備員も火災通知ベルの鳴らし方や消火栓の使い方を知らなかったりと、ホテルニュージャパンの従業員たちは最初の火災における初期対応を誤っています。
というのも、彼らホテル従業員たちは、実はまともな消防訓練を受けておらず、それが消化どころか通報することさえままならなかった要因とされ、結果、ここまで短時間で炎が拡大してしまった原因とされています。

設備の不備

実はホテルニュージャパンのスプリンクラーは一部を除いて客室部分には備えられておらず、またスプリンクラーがあったところも一部、配管がなくダミーで付けられていただけという有様だったといいます。そのため炎は消化されることなく、延焼していったというのです。

また、通常ホテルなどは屋外の空気を取り込んで、そこに水をかけて加湿し適温に温めて暖房として各部屋に送る仕組みが多い中、ホテルニュージャパンは外気を取り込み加湿する装置を停止し、各部屋の空気を巡回させて加熱だけを繰り返していたといいます。そのため、空気は乾燥しきって火事が起こりやすい環境となってしまっていたのです。

そして防火戸ですが、この防火戸が正常に作動していれば延焼を最低限に食い止めることができたものの、実はこの防火戸にも不備があったことが分かっています。というのは裁判資料によると、両扉が自動的に閉鎖する仕組みになっていたものの、床面の絨毯が防火戸の下部に引っかかり、閉鎖の妨げになっていたために正常に作動しなかったというのです。

これらはすべて社長である横井社長の徹底した資質の削減、コストカットによるもので、所轄の消防署に再三注意されていたにもかかわらず、横井社長は改善することなく放置し続けたともいわれています。

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内装の欠陥

また通常ホテルやマンションなど複数の部屋がある場合、ひとつの部屋で火災が発生しても、炎や煙を通さないよう各部屋が密閉されるような造りになっているもので、仮に廊下に燃え移ったとしても、防火戸で一定区画を仕切ることができ、延焼を防ぐ構造になっているものです。
しかしホテルニュージャパンの内装を見てみると、壁の間仕切りに使用されたブロックを積む際にすき間があり、壁紙などを燃やした炎がそのすき間を通って隣の部屋に燃え移ったとされています。
さらに使用されていた壁紙は可燃性の壁紙であったこと、ドアも木製であったことで、次々に燃え落ち、延焼を食い止めることができなかったと推定されます。

このような様々なことが重なった結果、多くの人の命を奪う大惨事へと発展してしまったのでした。

ホテルニュ-ジャパン火災のその後、跡地には

ホテル社長であった横井社長こと横井秀樹さんは、コストカットのためとして安全対策を軽視し続けたと糾弾され、ホテル自体も行政からも営業禁止処分を受けた後に廃業しました。
そして横井秀樹さんは逮捕され、火災から11年後の1993年、業務上過失死傷の罪で禁固3年の実刑判決を言い渡されました。
ホテルニュージャパンのその後はというと、しばらくは廃墟が放置されていたこともあり心霊スポットとして有名になっていましたが、1996年に解体され、2002年には高層オフィスビルが建てられました。

また、この大惨事となったホテルニュージャパンの第二第三の火災を出さないために、東京消防庁、ならびに国は、防火体制不備の指摘・改善指導に再三に渡って応じない事業所は、その名前を実名公表・刑事告発するようになりました。

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まとめ

改めて振り返ってみると、直接的な火災の原因だけではここまでの大きな火災になることはなかった可能性が高く、一人の経営者の経営方針が招いた行き過ぎたコストカットや人員削減、安全対策の軽視により、尊いたくさんの方の命が失われてしまった、悲惨な事件だったと感じられます。

現在ではこの昭和の大火災と言われるホテルニュージャパンの火災事件を教訓に、どこも防火対策がきちんとなされていると思いますが、古い建物や小規模な建物に関してはいまだ対策がされていない場合も考えられます。今でも建物の防火対策が万全ではなかった故の火災など、報道されていることもありますよね。
ですから、一昔前のことだと関係ないことのように受け取るのではなく、たとえば旅行先で泊まる宿泊施設では必ず避難経路を一度は確認する、など自分でできる予防や対策は事前に取るようにしていくのが良いでしょう。

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