グリコ森永事件を知っていますか?
1984年と1985年に、食品会社を標的にして起きた企業脅迫事件です。
犯人が「かい人21面相」を名乗ったため「かい人21面相事件」とも呼ばれています。
また、現在全ての事件公訴の時効が成立したため、未解決事件となって、真相が分からないままになってしまいました。
そこで今回は、グリコ森永事件とはどんな事件だったのか振り返り、事件の真相についても迫ってみたいと思います。
グリコ森永事件の概要
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グリコ森永事件のきっかけは、1984年3月に江崎グリコ社長を誘拐して、身代金を要求した事件です。
その後、江崎グリコに対して脅迫や放火を起こしました。
それに続いてまたもや食品企業を、次々と脅迫していきました。
犯人は次々と指定場所を変えて、現金の引き渡しを要求したが、結局一度も現金の引き渡し場所には現れませんでした。
途中で、犯人らしき人物が目撃されたことが何度かあったが、逃げられてしまったため、最終的には犯人の正体は分からないままになっています。
その他にも、1984年の5月と9月、1985年の2月に、犯人が青酸入りの菓子を小売店に置いて、日本全国が不安に陥りました。
1984年4月12日に『警視庁広域重要指定事件』に指定され、世間に大きな影響を与えた事件です。
2000年2月13日には、東京と愛知で起きた、「青酸入り菓子ばら撒き事件」の殺人未遂罪が時効を迎えたため、グリコ森永事件に関する全ての事件の公訴時効が成立しました。
これにより、『警視庁広域重要指定事件』として初めて未解決事件となり、犯人を検挙出来ませんでした。
2005年3月には、損害賠償請求権が民法上で消滅しました。
食品会社への脅迫状だけでなく、社会一般を巻き込んだり、挑戦状を報道機関や週刊誌などにまで送りつけたりしたことから、「劇場型犯罪」と評論家の赤塚行雄により名付けられました。
グリコ森永事件で江崎グリコが関係する事件
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①江崎グリコ社長誘拐事件
1984年3月18日、犯人は江崎グリコ社長である、江崎勝久宅の隣にあった実母宅に勝手口から侵入しました。
犯人はそのまま社長の実母を縛って、社長宅の合鍵を奪いました。
その目的は、社長宅にはセコムの防犯放置があり直接侵入してしまうと、防犯放置が作動してしまうからです。
合鍵で入れば、防犯放置は作動しないようです。
その後、合鍵を使って社長宅に侵入し、社長婦人と長女を縛りトイレに閉じ込めました。
そして、長男と次女と一緒に入浴中だった社長を全裸のまま誘拐したのです。
このことで、身代金が目的ならば、最初に鉢合わせした社長婦人や長女を誘拐するはずだと、別の目的があるのでは?と騒がれました。
男性を誘拐する法が、力もあるので大変そうですもんね!
翌日になって、社長宅とは別の江崎グリコ取締役宅に犯人から電話が来ました。
指示により、捜査員が電話ボックスを確認すると脅迫状入りの封筒がありました。
その脅迫状の内容は、「現金10億円と金塊100Kgを用意しろ」というものでした。
現金10億円と言われても想像がつきませんが、高さ9.5mで重さは130Kgもあるそうです。
しかも、金塊100Kgなんてすぐに入手出来るとは限りませんし、運搬が困難です。
しかし、グリコ側は要求通りそれらを本当に用意しました。
すごいですよね!
その後、犯人から再び電話があり、別の指定場所に身代金を持ってくるように言われたが、結局犯人は現れませんでした。
この事件は重大事案として、兵庫県警察本部と大阪府警察本部によって、合同捜査体制が始まりました。
合同捜査本部では、抵抗の恐れのある社長をわざわざ誘拐した点や、身代金が普通ではすぐに用意可能な金額ではない点から、身代金目的の犯行ではなく、怨恨が原因の犯行ではないかと考えました。
そして、事件は誘拐から3日後に急展開しました。
誘拐されていた社長が、摂津市にある倉庫から自力で脱出して、裸足でロープを手首から垂らして、薬物中毒者のようにふらついていた所を、国鉄大阪貨物ターミナルで保護されたのでした。
②江崎グリコ脅迫事件
1984年4月2日、脅迫状が江崎宅に届きました。
脅迫状の内容は、「現金6000万円を指定場所に持ってこい」というもので、脅迫状と一緒に、塩酸の入った目薬の容器が入っていました。
しかし、4月8日に犯人は指定場所に現れませんでした。
そして、同じ日に犯人からマスコミ宛に、世間一般にも公開することを前提とした挑戦状が初めて届きました。
その後、4月23日には江崎グリコに脅迫状が届きました。
脅迫状の内容は「現金1億2000万円を用意しろ」というものでした。
現金の受渡日は翌日の4月24日に指定されていたが、受け渡し場所をあちこち変えられたあげく、結局犯人は現れませんでした。
そして、この日も犯人から2回目となるマスコミ宛の挑戦状が届き、この時から犯人は「かい人21面相」を名乗るようになりました。
さらに、5月31日に江崎グリコに脅迫状が届きました。
脅迫状の内容は「現金3億円を用意しろ」というもので、受け渡し日は6月2日でした。
指示通りに、指定のレストランに3億円を積んだ車を用意して、大阪府警察による万全な体制で犯人を待ち構えました。
車には、後部トランクに捜査員が忍び込んでいて、捜査員がスイッチを押すとエンジンがストップする細工が施されていました。
20時45分頃、不審な男が現れて車に乗り込みましたが、後部トランクの捜査員が無線機のトラブルで連絡が取れなくなってしまったため、当初の予定よりも早くエンジンをストップさせました。
そして、男は無事に取り押さえられましたが、男は犯人から車に乗って運転して、別の指定場所に行けと指示されていただけで、事件とは全くの無関係なことが分かりました。
その男から事情を聞き出し、車に乗って行こうとしていた場所に急行すると、不審な車両が1台走り去ろうとしたため追跡したが、見失ってしまいました。
6月26日に、再び犯人からマスコミに挑戦状が届きました。
挑戦状の内容は「江崎グリコゆるしたる」というもので、脅迫の終わりを宣言し「ヨーロッパへ行って、来年1月に帰って来る」とも書かれていました。
しかし、後日再び挑戦状が届き、内容が「警察がうるさくて行けなかった。もうすぐ一仕事してから行くつもりだ」というもので、国外への逃亡を断念したことが分かりました。
③江崎グリコ本社放火事件
1984年4月10日の20時50分頃、江崎グリコ本社で放火が発生しました。
その後、21時20分頃、約3Km離れているグリコ栄養食品でも、すぐに火は消し止められたが車庫に止めてあったライトバンが放火されました。
そして、不審な男がバックを抱えて逃げる所を、出火直後に目撃されています。
グリコ森永事件に関係するその他の事件
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①兵庫県青酸菓子ばら撒き事件
1984年5月10日に、かい人21面相から挑戦状が届きました。
挑戦状は毎日新聞、読売新聞、サンケイ新聞、朝日新聞の4社にあてたもので、「グリコのせい品にせいさんソーダいれた」というもので、全国にばら撒くと予告もされていました。
その後、グリコの製品が全国の大手スーパーなどから姿を消していきました。
②寝屋川アベック襲撃事件
1984年6月2日、江崎グリコ脅迫事件と同日、寝屋川市で男性と恋人の女性が車でデートしていた所を、見知らぬ男3人組により襲撃されました。
一人の男は女性を連れ去り、残りの2人の男が男性に、江崎グリコ脅迫事件で、現金の受け渡し場所に指定された場所付近まで運転しないと、女性の命が危ないと脅迫され、指示通りに行動しました。
その後も男の指示通りに、捜査員が後部トランクに忍び込んだ車を運転して、警察に犯人と間違われて一旦身柄を確保されてしまったが、間違いであるとすぐに分かり、すぐに解放されました。
③丸大食品脅迫事件
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1984年6月22日、大阪府高槻市にある丸大食品に脅迫状が届きました。
脅迫状の内容は「グリコと同じ目に遭いたくなければ、5000万円用意しろ」という内容のもので、大阪府警察に相談してこの要求に応じることにしました。
その後、犯人から女性の声を録音したテープを利用して、現金の受け渡し場所を指定する電話がありました。
捜査員が電車に乗って指定の場所に到着したが、その後の「走行中の電車から現金を詰めたバックを投げろ」という要求には応じませんでした。
この時に、電車の中で捜査員を監視しているキツネ目の不審な男(その外見からその後「キツネ目の男」と呼ばれる)を発見し、その男は何もしなかったが、不審だったため、警察が改札口を出る所で取り押さえようとしたが見失ってしまいました。
そして、7月にも脅迫状が届き、同じように女性の声を録音したテープを利用して犯人から電話があり犯人の要求に応じたが、この時も結局犯人は現れませんでした。
キツネ目の男と疑われた『宮崎学』
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宮崎学は、1945年10月25日生まれで、父が京都・伏見のヤクザ寺村の初代組長で、4人兄弟の末っ子です。
日本の評論家、ノンフィクション作家、小説家として知られています。
丸大食品脅迫事件で犯人の一人がキツネ目の男だったと伝えられ、その後似顔絵が公開され、宮崎学によく似ていると話題になりました。
宮崎学は、当時は解体業者をしていて、地上げなどにも携わっています。
宮崎学は事件当時39歳で、身長178cmという体格もキツネ目の男と一致していました。
それ以外にも、宮崎学は江崎グリコの労働争議に関わっていたり、事件現場付近に土地勘があることや、事件に使われた車と似ている車を親族が持っていたことなど、事件と結び付く点がありました。
しかし、宮崎学に直接繋がる証拠が何もなく、キツネ目の男が目撃された当日に、東京都内の音楽大学の労働組合会議に出席していたことなど、決定的なアリバイがありました。
そのため、宮崎学に対しての捜査は1990年頃打ち切られています。
宮崎学は、1996年に作家としてデビューしていますが、「キツネ目の男」というフレーズは代名詞として使われて、本人も好んで使用しているようです。
④森永製菓脅迫事件
1984年9月12日朝、大阪府大阪市の森永製菓に脅迫状が届きました。
脅迫状の内容は「グリコと同じような目に遭いたくなければ1億円出せ、要求に応じなければ青酸ソーダを入れた製品を店頭に置く」というもので、脅迫状と一緒に青酸入りの菓子が入っていました。
また、本当かはわからないが、グリコは犯人に6億円支払ったと書かれていました。
9月18日に、犯人から電話があり、子供の声での録音テープで現金の受け渡し場所を指定する内容で5回繰り返し再生されました。
その後も、指定場所の変更があったが結局犯人は現れませんでした。
⑤二府二県青酸入り菓子ばら撒き事件
1984年10月7日から13日にかけて、大阪府、京都府、兵庫県、愛知県のスーパーから森永製品で不審なものが発見されました。
その不審なものとは、森永製品に「どくいり きけん たべたら しぬで かい人 21面相」と書かれた紙が貼ってあるもので、調べてみると菓子の中にいる青酸ソーダが混ぜられていました。
そしてその青酸ソーダ入りの菓子は13個発見されました。
10月8には、阪急百貨店などほかのお店にも脅迫状が届き、その内容は森永製品を置かないように要求するものでした。
10月15日には、NHK大阪放送局に青酸ソーダの錠剤が送り付けられました。
そして、新聞各社に挑戦状が送られました。
挑戦状には、「この青酸ソーダで何人殺せるか」とクイズが出され、正解した時の賞品は「青酸入りの森永製品」と書かれていました。
宛先には「刑死ちょう そうむ部 きかく課長」(原文のまま)と書かれていました。
事件の終わり
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グリコ森永事件は、その他にも明治など他の食品会社にも脅迫状が届きましたが、結局犯人は一度も現れませんでした。
1985年、滋賀県警本部長が退職日に自殺しました。
これは、ハウス食品事件で、犯人の車を取り逃してしまった責任を取っての自殺や、ハウス食品事件の責任を全部背負わされたことによる抵抗のための自殺など、色々憶測が飛びました。
その後、犯人から自殺した滋賀県警本部長の香典代わりという理由で、終息宣言が送りつけられ、それ以降何も事件は起きませんでした。
まとめ
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グリコ森永事件についてのまとめはいかがでしたでしょうか?
時効が成立したため、真相はわかりませんが、社会一般まで巻き込んだ重大事件で、今後も語り継がれるべき事件だと思います。
犯人は何度も現金を要求しましたが、一度も姿を現さないことや、森永製品に青酸ソーダを混入しても、わざわざ分かりやすく、ご丁寧に毒入りシールを貼っていたことで犠牲者が出なかったりと、犯人の目的が全く分からない事件でした。
その他に数々の陰謀説も出ています。
実際に誘拐された江崎グリコの江崎勝久社長は、事情聴取中に会長と密談したあと、急に口を閉ざしたとされています。
全ての事件の時効が成立したため、真相は分かりませんが、態度が急に変化したため、犯人の顔も見ているはずですし、私は江崎勝久社長が事件の秘密を握っているような気がしてなりません。
そしてこの事件は、犯人を追い詰めて取り逃すこともあり、警察は本当の犯人はすでに分かっているのに、わざと演じているのではないか?と警察の茶番だとも言われました。
真相は分かりませんが、一般社会も巻き込んだ重大事件なので、警察の茶番ではないことを願います。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!