2000年代に起こった事故で、異例の出来事として、現在に至っても語られるのがJR福知山線脱線事故です。
事件の反響は大きく、この事件が起こった原因について色々な説が出ているほどです。
また、最近になって被害者の遺族が、福知山線の鉄道会社を訴えているニュースがありました。
このニュースを報道番組で見て、事故から12年経った現在に至っても、事故の被害者の事を思い、事件の惨劇を風化させてはいけないと強く思いました。
今回はJR福知山線脱線事故が何故、起こったのかに焦点を当てて、地図の画像とともに紹介していきます。
福知山線脱線事故の概要
出典:http://up.gc-img.net/post_img_web/2016/04/4144981ece57e3769df083caee9233d0_7371.jpeg
まずJR福知山線脱線事故で亡くなった方に心よりご冥福お祈りします。
JR福知山線脱線事故が起こった年は2005年です。ちなみに、JR福知山線は西日本旅客鉄道の鉄道路線の事です。
2005年4月25日にJR福知山線は、塚口駅から尼崎駅に向かおうとしていました。
途中で、電車がオーバーランを起こしてしまい、ブレーキが効かず電車がレールから、横にそれてしまい、カーブの近くにあったマンションに衝突しました。
この時の衝撃は瞬間的に起こり、時間の感覚が止まった乗客が数多いそうです。当時の状況を考えると、思わず恐ろしくなってしまいますよね?
この衝突により、マンションに住んでいた人、乗客や運転手に甚大な被害が出ます。
具体的な被害数ですが、死亡者数が107人、負傷者数が562人といわれています。
この事故があった後、ケガを治す為に、手術を受けた人が多数です。現在に至っても、この事故により、精神に深い傷を残した人もいます
当時のJR福知山線は、7両編成でしたが、このうちの1両から2両までの電車がマンションにぶつかってしまいます。そして、3両ら5両までの電車も脱線してしまい、衝撃的な揺れが乗客を襲いました。
この車両のうち、1両目と2両目の電車がマンションにぶつかってしまい、乗客に被害が出ます。
1両目と2両目の電車での乗客に出た被害は骨折や失血、窒息死、筋肉の壊死などです。
このうち、クラッシュ症候群は福知山脱線事故の甚大な被害を伝える惨事です。
クラッシュ事故は長い間、体が重い物によって圧迫され、その圧迫から放たれた後に様々な症状が出る事です。
具体的な症状は筋肉や骨のダメージ、失血、心停止などです。
この症状が出て数時間経った後に、急性の症状が出てしまう事もあります。聞いてるだけで、怖くなってきますよね?
当時の事故についてのインタビュー動画があったので、貼っておきますね。
現在に至っても、当時の状況を風化させない為の動画は今見ても、考えさせられる深い内容だと思います。
JR福知山線脱線事故が起こったいくつかの原因について
JR福知山が脱線した理由については、いくつか説があると考えられています。
非常ブレーキ説
一つ目は非常ブレーキ説です。列車がカーブを通過しようとしている間に、非常ブレーキをかけると、脱線してしまうという説です。
この説は事故が起こる前から、すでにあったみたいなので、当時、列車の運転を担当していた運転士は、列車の速度を調整する必要があったみたいです。
しかし、この説は、その後の調査で常用ブレーキをかけていた事が判明したので、この説は否定されているみたいです。
個人的に非常ブレーキは、安全が確実に保障されているという前提で行うというイメージがあるので、もしも、この説が本当だったとしたら、私自身も不安な気持ちになってきます。
せり上がり脱線説
二つ目はせり上がり脱線説です。
この説は、カーブで曲がる寸前に非常ブレーキをかけてしまい、車輪の所と、線路の間で強い摩擦が発生して、車輪がせり上がって事故に至ったという説です。
当時この説が原因で事故が起こったという可能性は少し確信度がなかったらしいですが、事故が起こった後、現場に起こった走行跡から、この説は可能性としてあるかもしれないと言われました。
横転脱線説
三つ目は横転脱線説です。
この説は急な非常ブレーキにより、列車が極端に揺れて、そのまま横転したと言う説です。
しかし、当時の運転士は常用ブレーキを使用していたので、この説は、否定されています。
油圧ダンパー故障説
四つ目は油圧ダンパー故障説です。
この説は、事故が起こる列車に乗っていた人が「油のような匂いがした。」という意見があり、出てきた説です。油圧ダンパーは列車に取り付けられている物です。このダンパーが何らかの原因でつぶれてしまい、空気バネを作動させる事が出来なくて、事故に至ったという考えがあります。しかし、後になるにつれて、この説は否定されていきます。
日勤教育問題
JR福知山線が脱線する以前から、乗務員は徹底した日勤教育や指導を受けていたようです。
日勤教育と聞くと、難しいイメージがありますよね?日勤教育というのは、社内用語の事らしいです。
この教育について、問題が起こっています。それは、教育の仕方が徹底しすぎていて、鉄道会社の社員が自殺した問題です。自殺していた社員は、精神に応えるような嫌がらせを受けていたらしく、給料面でも差別待遇を受けていたようです。事故の事を考えたら、緻密で用意周到な教育も必要かもしれないですが、脅迫的に新しく入ってきた社員をこういう形で指導させるのは、個人的にかなり複雑な事だと思いました。
私は、こういった教育は、社員にプレッシャーと恐怖を与える物だと思うので、このプレッシャーと恐怖により、社員のストレスがたまるので、社員も安心して業務に勤められるようにして欲しいと強く思いました。
結局原因は?
航空・鉄道事故調査委員会による最終報告では、
「脱線した列車がブレーキをかける操作の遅れにより、半径304mの右カーブに時速約116kmで進入し、1両目が外へ転倒するように脱線し、続いて後続車両も脱線した」
という単純転覆脱線と結論づけしました。
運転士の操作ミスということですね。。。
問題は、なぜ運転士が操作ミスをしたのかですが、前述の「日勤教育」つながると個人的に思いますがね。。
JR福知山線脱線事故が起こった場所について
出典:http://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/i/iwase_akihiko/20110930/20110930205721.jpg
こうしてみると、かなり複雑な地図のように見えますね。
この地図の六つの角を持った星の所が事故の発生地点です。
JR福知山線事故、その後
出典:http://i.huffpost.com/gen/5362682/images/n-FUKUCHIYAMA-large570.jpg
JR福知山線事故が起こった後、鉄道会社の人が取り組んだ対策について書いていきます。
この事故が起こった後、安全面を最大限に考慮して尼崎駅から宝塚駅まで走行する福知山線の運転を止めました。
その後に事故が起こった場所を復興させる為に工事が行われます。復興工事が行われた年月日は2005年5月31日である。その後、試運転や厳密なチェックが行われ、そして同年の6月19日に福知山線が動きます。
まず、発車を再開した福知山線の運転速度がゆっくりになります。
これはもちろん、安全面を目指した為の結果です。最高速度は120km/hから95km/hに引き下げられます。
そして、事故が起こったカーブ地点での速度も引き下げられます。
ちなみに、Km/hという単位の事を調べてみました。すると、この単位の意味は1時間の間に、数字で表した距離を進むという意味です。なので120km/hという意味は、1時間の間に120kmの距離を進むという意味になります。
やっぱり速度の単位って難しい・・・。
私は鉄道会社の人が事故の状態の事を考えて、安全面の配慮や工夫の仕方を変えるなどの努力が思い浮かんで、思わず感涙してしまいました。
ちなみに列車というのは、それぞれ番号が付けられています。事故を起こした列車の番号は5418Mです。
さて、JR西日本は、公式のサイトで、事故後の対応として、画期的な対策を行っています。
それは、地域にJR西日本あんしん社会財団を建てる対策です。この財団は事故を未然に防ぐ為の安全確保を目指したセミナーや救命処置の体験を行う事が出来るイベントを実施しています。
このイベントは地域の人に向けた活動を積極的に行う事で、事故を未然に防ごうとする、財団の事業なので、市民の事を考えた画期的な事業だと言えると思います。
JR福知山脱線事故の悲劇を風化させない為に、こういった活動が行われていたとはびっくりしますよね?
JR福知山線事故が起こった後の場所は、今どうなっているの?
出典:http://www.osaka-minkoku.info/zukan/files/image110.jpg
上で記載していなかったので、ここで触れてしまいますが、福知山線がぶつかったマンションの名前はエフュージョン尼崎という名前です。
事故の後、JR西日本は、エフュージョン尼崎を買取り、事故の犠牲者の事を想って慰霊碑を建てる事に決めます。しかし、当時のマンションの住民の反対意見が強く、撤去は10年先になっても見送られる事になります。
そして、2016年にマンションの一部を工事して慰霊施設にする事に決めました。マンションの一部を慰霊施設にする為には、大規模な工事が必要になってくるので、完全に工事が終了するまでに、もう少し時間がかかるみたいです。
まとめ
出典:http://4.bp.blogspot.com/-zXBnKTCtZY0/
私はJR福知山脱線事故の事を初めて、ニュース番組で見た時、複雑な感情が出てきました。
この事故の被害者のインタビューを見て、痛ましい気持ちになり、復興支援の為に協力出来したいという願いでした。
列車事故によって失った事は、非常に多く、悲しみの連鎖しか生み出さないと思いました。
事故の後の再教育に関する話題も非常に胸を痛めて、「事故を防ぐ為には、共同で助け合う事が大事になってくる」と思いました。
常に当たり前のようにある安全で安心のある生活を目指すのは、非常に難しい事かもしれないですが、皆で協力しあう事によって、最悪の事態を防げる可能性があるかもしれないと思いました。少し、きれいごとかもしれないですが、凄く大事だと思いました。
この事件があった事を知って、少しでも、皆様に事故の全貌を知ってもらい、安心して暮らせる事を実感してもらえたらと思いました。
記事を最後まで読んでいただき、ありがとうございました。