『オイルショック』と聞くと、「トイレットペーパーをまとめ買いする姿」をイメージする人が多いのではないでしょうか。

しかし、オイルショックとは日常生活に大きな影響を与えただけでなく、世界政治にも大きな影響を与えた出来事なのです。

そこで今回は、あまり理解されていないオイルショックについて、わかりやすくまとめてみました。

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オイルショックとは?

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オイルショックとは、1970年代に2度あった、原油の逼迫と価格の高騰によって世界の経済が混乱した騒動です。

第一次オイルショックや第二次オイルショックと呼ばれています。

また、石油危機や石油ショックとも呼ばれる場合があります。

1973年、OPEC諸国の国際収支黒字は10億ドルでした。

それが、1974には約700億ドルに急増しました。

そして、発展途上国向けの民間銀行貸し付け金額は、1970年には30億だったが1980年には250億ドルに跳ね上がっています。

日本だけでなく、世界の歴史に刻まれている大きな出来事です。

次からは、オイルショックをわかりやすく説明するために、第一次オイルショックと第二次オイルショックに分けてまとめていきます。

第一次オイルショックとは?

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1973年10月6日、第四次中東戦争が起こりました。

第四次中東戦争とは、イスラエルとエジプトやシリアなどのアラブ諸国との間で行われた戦争です。

これによって、石油輸出国機構(OPEC)に加盟しているペルシア湾岸産油の6ヵ国が、10月16日に21%の原油公示価格の引き上げを取り決めました。

さらに、原油生産の削減やイスラエル支援国への禁輸を取り決めました。

そして、1974年1月以降には、原油価格を2倍に上げると決められました。

日本は当時、中東の政治には深く関わってはいなくて、イスラエルを直接支援したこともない中立の立場でした。

しかし、日本はアメリカと同盟関係になっていたため、イスラエル支援国家とみなされてしまい禁輸される可能性がありました。

そのため、急いで中東諸国に三木武夫副総理を派遣して、日本の立場を説明しイスラエル支援国家から除外するように交渉しました。

それだけではなく、政府は国民生活安全緊急措置法と、石油需給適正化法を取り決めて、これ以上事態が深刻にならないように対応しました。

日本への影響

インフレーション

石油価格が上昇することは、それまでエネルギー源を中東の石油に依存してきた先進工業国の経済を脅かしました。

1960年代以降、エネルギー革命により、エネルギー源を石油に置き換えていた日本は、ニクソン・ショックから立ち直りかけていた景気を直撃しました。

日本では、列島改造ブームにより地価が急騰した影響でインフレーションが発生していました。

インフレーションとは何か、知っているかもしれませんが、わかりやすく言うとモノの値段が全体的に上がって、お金の価値が下がる社会現象のことです。

省略してインフレと呼ばれることが多いです。

 第一次オイルショックによって、便乗して値上げをすることが相次いで起こり、インフレが更に加速されていきました。

物価は20%も上昇して、『狂乱物価』という言葉まで生まれました。

インフレを押さえるために公定歩合の引き上げや、企業の設備投資を抑制するなどの対応をし、マイナス成長を記録しました。

これにより、戦後から続いていた高度成長期が終わりました。

『狂乱物価』について、専門家の意見は?

①経済学者の小宮隆太郎は『狂乱物価』について、日本銀行のオイルショック前に行っていた、行き過ぎた金融緩和政策とその後の引き締めが遅れてしまったことが、企業や労働組合などに製品価格の上昇や賃上げを走らせたとしています。

②経済学者の原田泰は、1970年代の日本の経済成長率の低下は、オイルショックでは説明できないとしています。

その理由として、欧米諸国は3分の2程度の低下で、アジア諸国はほとんど低下せずに、日本だけが長期的な経済成長率が3分の1に低下したこと。

そして、1980年以降に石油価格は実質、1970年代初めの水準に戻ったが日本の経済成長率はもどらなかったことを指摘しています。

日常生活への影響

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原油の価格とは直接関係のない、トイレットペーパーなどの買いだめ騒動がおこりました。

そして、買いだめはトイレットペーパーだけでなく、砂糖や醤油などにまで及んでいき、「今買わなければあとで買えない、物がなくなる」などの噂が広まりました。

そのため、スーパーでは開店前に行列が出来て、開店と同時に商品が売り切れるという状態が続き、お店側が「お一人様一点まで」と制限をかけたため、さらに消費者の不安をあおりました。

紙資源の不足により、週刊誌や漫画雑誌のページ数が削減されて、子冊子程度の枚数となりました。

書籍では、文字を小さくし、ページ内にたくさん収めるために行数が増やされるなどの対策が行われました。

そのため、現在と比べてとても扱いにくい書籍が発行されました。

その他に行われた省エネルギー対策

①デパートのエスカレーターの運転を中止する。

②ネオンサインを早期消灯する。

③ガソリンスタンドは日曜日を休業にする。

④鉄道事業者は最終列車の繰り上げ処置などを行う。

⑤地下鉄事業者は駅の証明を間引きする。

⑥日本プロ野球、照明の消費電力をおさえるために、平日のナイターを19時開始から18時開始に繰り上げたり、週末や祝日は、薄暮を含めたデーゲームで開催するなどしていた。

⑦テレビの深夜放送は休止する。NHKは、教育と総合の両方で23時以降の放送を休止し、日中も時間帯により休止する番組もあった。

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第二次オイルショックとは?

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1978年、イランで革命が起こり、イランでの石油の生産が中断しました。

そのため、イランに大量の原油の購入を頼っていた日本は原油の需給が逼迫しました。

そして、年末に石油輸出国機構が、1979年から原油価格を4段階に分けて合計で14.5%値上げすることを決めました。

その結果、第一次オイルショックと同じくらい原油価格が高騰しました。

しかし、第一次オイルショックの時に日本は学習していたため、深夜番組を放送自粛したり、ガソリンスタンドを日曜休業にするなど、省エネルギー対策が浸透していたため、前回に比べ深刻な影響はありませんでした。

また、原油価格の高騰も長引くことはなく、イランも石油販売を再開しました。

数年後、原油価格は下落しオイルショックを乗り越えました。

オイルショックが与えた影響とは?

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第一次オイルショックと第二次オイルショックで、日本やその他の先進国の経済が極端に中東の石油に依存していることが分かりました。

そのため、油田の開発や調査などが、中東以外の地域でも積極的に行われるようになりました。

その結果、石油を使わない原子力や風力、太陽光、天然ガスなどのエネルギー活用の模索や、省エネルギーに対する技術の研究や開発の取り組みへのきっかけにもなりました。

石油を備蓄するための体制も整えられたりしました。

自動車の使用が拡大し、石油消費の比率の中で、自動車の消費する燃料である石油がとても高かったため、鉄道などの公共交通機関を再評価しようとする動きも出ました。

第一次オイルショックで学習したことは、とても大きいものだったようですね!

石油輸出価格の急騰によって、石油輸出国は政治と経済の両面で、力を持ちました。

原油の輸出で獲得したドルは、世界金融市場の中で存在感を強く発揮し、湾岸諸国では莫大な歳出が可能になったため、福祉の充実を達成することが出来ました。

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第三次オイルショックもあったの!?

 

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日本への影響はあまりなかったが、2004年頃~2008年秋頃にかけて、目立った供給の減少を伴わない原油の価格の高騰が世界的に続きました。

これを第三次オイルショックと呼ぶ者もいます。

ピークの時の価格は、第一次オイルショック、第二次オイルショックのピークと比べて、名目で3倍を越えて実質でも上回っていました。

しかし、第一次オイルショック、第二次オイルショックと比べると、価格の上昇スピードはとても緩やかでした。

そのため、あまり大騒ぎにならなかったのかもしれませんね。

第三次オイルショックの原油価格の高騰の原因は、産油国の生産能力の停滞や、先物取引による投機資金の流入などが影響しました。

まとめ

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オイルショックとは何か?について、わかりやすくまとめましたが、いかがでしたでしょうか。

オイルショックと聞くと、トイレットペーパーを買い占める姿を、テレビや新聞などで見たなんてことを思い出すかもしれませんが、実際はオイルショックの影響ではないんですね。

わかりやすく言えば、人の噂で広まってしまった騒動だったと言うことです。

噂がここまで大きくなってしまうと、収拾がつかなくなっていまい大変なことになってしまうんですね。

第一次オイルショックで学んだ省エネルギー対策は、今の生活にも役立っています。

これからも続けていければ良いですよね!

最後まで読んで頂き、ありがとうございました!

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