1980年代の漫才ブームの最中に『ツービート』で人気者になり、その後は映画界でも才能を発揮している北野武(芸名ビートたけし)さんのことは、みなさん良く知っていると思います。
明石家さんまさん、タモリさんと並んで芸人としては「ビッグ3」に位置付けられていて、映画監督としても国内だけでなく、海外でも多くの賞を受賞している、超有名人です。
そんな北野武さんが、1986年にフライデー襲撃事件を起こして、前科持ちであることを知っていますか?
先日放送された「FNS27時間テレビ」(2017年9月9日~10日)では、北野武さんご本人からその事件について、新たな真相が語られ話題になりました。
そこで今回は、1986年に起きたフライデー襲撃事件をまとめ、真相に迫ってみたいと思います。
フライデー襲撃事件とは?
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フライデー襲撃事件とは、1986年12月9日に、北野武をはじめ「たけし軍団」ら合わせて12人が、写真週刊誌『フライデー』(講談社)の編集部を襲撃した事件です。
別名『フライデー事件』、『ビートたけし事件』、『たけし襲撃事件』などと呼ばれることもあります。
1987年6月10日に、北野武に懲役6ヶ月執行猶予2年の判決が下されました。
当時人気絶頂期であった北野武は、レギュラー番組を抱えていたが、その番組への出演は執行猶予の判決が確定するまでの約8ヶ月間は謹慎することとなりました。
そして、当時北野武と交際していると噂された専門学校生の女性に対しての障害で告訴された記者は、1987年12月12日に、罰金10万円の判決を受けました。
その後、その記者は控訴するも棄却されて判決が確定しています。
フライデー襲撃事件の概要
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1986年12月8日、東京都渋谷区の路上で北野武(芸名ビートたけし)当時39歳と、交際していたとされる専門学校生の女性(当時21歳)に対して、フライデーの契約記者が、専門学校の校門付近で北野武との関係を聞こうと声をかけました。
しかしそれに対して、女性が避けて逃げようとしたため、記者が前方に立ちふさがって彼女の顔の前にテープレコーダーを突きつけた上に、手を掴んで引っ張るなどしました。
これにより、記者は女性に頸部捻挫や腰部捻傷で全治2週間の怪我を負わせました。
女性に対して、これはとても酷いですよね!
これに対し北野武は怒って、フライデーの発行元の講談社に電話をかけて、強引な取材を抗議しました。
そして、「今から行ってやろうか」と言い、翌日の12月9日の午前3時過ぎに、北野武は弟子の集団のたけし軍団である11人と手を組んで、タクシー3台を使って講談社本館にあるフライデー編集部に押し掛けました。
その後、それが暴行傷害事件に発展しました。
田中康夫による裁判傍聴記録によると…
北野武はたけし軍団のメンバーに、「手は出さないように」と言っておいたが、当時の編集部の次長による「自分は空手が得意だ」などの挑発的な言動がきっかけで暴行に至ったと記されています。
テレビなどの報道によると…
北野武が「担当者を出せ!」と迫ったら、どちらからともなく一斉にもみ合いになったそうです。
そして、北野武とたけし軍団メンバーが「ブチ殺すぞ、この野郎!おれらは刑務所行きも覚悟している!」など怒鳴りながら立ち向かいました。
その後、粉末消火器を噴射したり、室内にあった拳や雨傘などで、殴ったり蹴ったりして助骨骨折など、相手に全治1週間から1ヶ月の傷害を負わせました。
そして、北野武とたけし軍団メンバーは大塚警察署により、住居侵入や器物損壊、暴行の容疑で現行犯逮捕されました。
事件後
講談社は、「言論、出版の自由を脅かす暴挙に対して、断固たる態度で臨む」とコメントを出しました。
その後、講談社は記者会見を開いて負傷した様子を公開しました。
事件後のフライデーの第一報では「本誌編集部で集団暴行した『一部始終』」と題して、釈放されて車に乗り込む北野武の姿を掲載しました。
フライデーは写真週刊誌ですが、フライデー側はなんと、襲撃の様子を1枚も写真に撮っていませんでした。
当時、偶然編集部にカメラマンが一人もいなくて、編集部員もカメラを持っている人が一人もいなかったからです。
編集部にカメラマンがいなくても、1台ぐらいカメラがあっても良いと思いますが、フライデーはさぞかし残念だったでしょうね。
北野武とたけし軍団のメンバーは、逃亡のおそれが無いとされて、釈放されました。
そして、新聞などがテレビも問題当事者と取り上げたり、北野武が出演する番組がテロップ付きであるが放送されたり、一部番組収録に参加したことなどが、多くの批判をあびました。
これを重く受け止め、所属事務所の太田プロダクションは、北野武とたけし軍団メンバーの半年間芸能活動を自粛させることを発表しました。
北野武は12月22日に、記者会見を開き、それから半年間公式なメディアには登場しませんでした。
裁判
1987年6月10日、東京地方裁判所は北野武に対して、懲役6ヶ月、執行猶予2年の判決を下し、その後控訴しなかったため確定しました。
1987年3月2日、たけし軍団メンバーは、起訴猶予処分となりました。
判決を下した裁判官は、北野武とたけし軍団メンバーの行為を厳しく断罪しましたが、フライデーの過剰な取材にも苦言を呈しました。
その後、北野武とたけし軍団メンバーは芸能活動を再開していったが、しばらくの間はテレビ局や所属事務所などに各種団体が抗議に訪れるなどし、事件の影響はとても大きいものでした。
フライデー襲撃事件の背景
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フライデー襲撃事件の犯行動機は、北野武の交際女性に対する乱暴な取材でしたが、それ以外にも原因がありました。
当時、フライデーから北野武の家族に対して執拗な取材があったからです。
北野武が裁判で証言したことによると、北野武の妻が子供を私立校の面接に連れていく所を写真に撮られてしまい、「子供の写真を週刊誌に掲載されるようでは、入学させられない」と言われてしまいました。
その後、北野武はフライデー襲撃事件の時に、それまでの鬱憤がたまっていたと話しています。
しかし、子供がいるということは、北野武は既婚者だったんですね。
交際女性とは、今流行りの不倫だったわけです。
専門学校生に怪我を負わせた記者は、『GORO』という雑誌で、北野武の記事を何度か扱っていたことを認められ、フライデーに移籍した記者であることが、後日分かりました。
しかし、記者は移籍したことを北野武に知らせずに取材をしていました。
フライデー側はこのことを隠そうとしたことが、事件の引き金になりました。
ここまでが、今まで語られていたフライデー襲撃事件についてのまとめです。
先日放送された「FNS27時間テレビ」で北野武本人から真相が語られ話題になりました。
フライデー襲撃事件の真相
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先日放送された「FNS27時間テレビ」(2017年9月9日~10日)の中の「池上彰が見た!たけしと戦後ニッポン」で、北野武がフライデー襲撃事件についての真相について自ら語りました。
事件の発端は、フリーの記者だと名乗る人が「お金が無いから取材させてくれ。その記事を売ってお金にする。悪口は書きません」と言ってきたことが始まりだった。
かわいそうだと思って受けてやったが、確かに最初の記事は大したことなかった。
しかし、どんどん記者と親密になって楽屋にいつもいる関係になっていった。
その時期から、芸能界のスキャンダルがやたらフライデーに出るようになって、その記者がスパイをやっていたんじゃないかと疑い、調べてみたらそうだった。
それから、講談社と話し合いになり、その記者本人が出てこなかったため、暴力事件に発展した。
という内容でした。
私は、北野武本人からなぜ今頃になって、事件の真相が語られたのか疑問に残りました。
フライデー襲撃事件の真相
まとめ
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フライデー襲撃事件のまとめはいかがでしたでしょうか?
この事件の後に、北野武は伝説と呼ばれる会見を開きました。
そこでは、暴力を振るったことは悪かったとは言いながら、週刊誌の執拗な取材に対してどう対応すれば良かったのか?と、記者達に疑問を投げかけています。そこで、たけし軍団メンバーを巻き込んでしまったこと、怪我を負わせてしまったこと、愛人がいたことなどに対しての謝罪をしています。
会見では、男として守るべきものは守るという決意が鋭い眼光から伝わってきます。
暴力は良くありませんが、抗議をしてもムダで自分の子供にまで影響を与える相手だったとしたら…。
週刊誌の在り方など、色々考えさせられる事件ですね。
そしてなぜ今頃になって、事件の真相が語られたのか疑問ですね。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!