日頃からニュースを騒がせている北朝鮮ですが、日本の近くでありながら日本では考えられないような独裁政治が行われています。
そのためか、ニュースなどで北朝鮮の映像が流れると、日本とは全く別の世界のような気がしてしまいます。
北朝鮮に独裁者はなぜできたのでしょうか。
また、初代の独裁者から現在までどのようにして独裁国家を維持をしてきたのかも気になります。
そこで今回は、北朝鮮に独裁者はなぜできたのか、現在までの経緯をわかりやすくまとめてみました。
北朝鮮に独裁者はなぜできたの?
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北朝鮮では、金日成(キムイルソン)、金正日(キムジョンイル)、金正恩(キムジョンウン)という流れで、現在の独裁体制がとられています。
北朝鮮に独裁者はなぜできたのかをわかりやすくまとめるために、金日成が独裁者に選ばれたころから解説していきたいと思います。
現在の北朝鮮からは想像ができないかと思いますが、第二次世界大戦の時代には北朝鮮は日本の支配下になっていました。
しかしながら、1945年8月15日に日本が第二次世界大戦に敗北すると、朝鮮半島のほぼまん中の北緯38度線より北側をソ連が、南側をアメリカが占領して軍事統治を受けることになりました。
その後、1947年1月に国連の監視のもとで朝鮮半島に統一政府を樹立するために南北総選挙を実施することになりましたが、1946年2月にすでに朝鮮半島の北側では北朝鮮臨時人員委員会が発足していました。
この北朝鮮臨時人員委員会の委員長だったのが、金日成でした。
南北総選挙は、ソ連が絶対にやらないと拒んだため、最終的に南側だけで1948年5月に実施され、1948年8月に大韓民国が成立し、1949年9月に朝鮮民主主義人民共和国が成立しました。
この時、北朝鮮の首相に就任したのが金日成でした。
金日成(キムイルソン)
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金日成が首相に選ばれた理由としては、「伝説の人」や「金日成将軍」としてすでに有名人だったためです。
ちなみにどんな伝説を持っていたかと言いますと、「1932年から1945年の間に日本軍と10万回戦い全勝した!」など、絶対ウソでしょ!?と言いたくなるようなとんでもない伝説があるのです。
この伝説はなんと、北朝鮮の公式の伝記にも書かれているそうで…。
金日成が民衆の前に初めて姿を現したのは1945年10月の平壌でソ連軍を歓迎する式典が開かれた時の演説でした。
この時、金日成の年齢はなんと33歳!
伝説の金日成であれば、どんなに若くても50歳を超えていると思われていたため、初めて姿を現した時の民衆の反応はとても冷ややかだったようです。
そして、金日成の演説が始まると朝鮮語もたどたどしく、偽者だと疑い会場から出ていく人もいたとのエピソードも残されています。
実際に、伝説の金日成はソ連の大尉で、18歳の時に南満州で朝鮮人が組織した坑日遊撃隊に参加しました。
坑日撃隊は中国人が総指揮官を努めていた東北坑日連軍に統合されましたが、満州で日連軍に弾圧を受けたため、伝説の金日成はソ連に向かいました。
ソ連では日本と戦うことを想定し、中国人や朝鮮人を呼び寄せて、伝説の金日成もソ連軍の大尉として訓練をしていましたが日本と戦う前に終戦したため、力は発揮されませんでした。
これらの話しは闇に葬られていたため、ソ連が崩壊してから少しずつ明らかになってきた話です。
ではなぜ、伝説の金日成とは違う私たちが知っている金日成が指導者に選ばれたのかと言うと、ソ連のスターリンによって自分たちの命令を聞いて思い通りに動いてくれる指導者だと選ばれたからだそうです。
わかりやすく言ってしまえば、金日成はスターリンのあやつり人形と言えば良いのでしょうか。
なんと、私たちが知っている金日成は替え玉だったとされているのです。
伝説の金日成はどこに行ってしまったのかは不明だそうで、ソ連で処刑された説もあります。
う~ん…。闇はかなり深そうですね。
1950年には南北統一をするために南側に侵攻して、朝鮮戦争を起こしました。
北朝鮮はアメリカ軍と戦いましたが、1953年に停戦となり南北統一はされていません。
その後、金日成は反対派を排除しながら独裁的な地位を固めていきました。
金日成は独自の理念として主体(チュチェ)思想を掲げました。
主体思想は、朝鮮労働党の独自の指導理念です。
もともと朝鮮労働党はソ連共産党の指導により結党されたもので、スターリンの影響下にありました。
しかし、1953年にスターリンが亡くなると、ソ連でスターリンの批判が高まったため、独自の社会主義理論を造らなければならなくなったのです。
北朝鮮は主体思想によって、ソ連や中国とも一線を引いて個人崇拝を強めさせ権力を維持していきました。
その後、金日成は1994年に亡くなりましたが、作り上げられた北朝鮮の独裁体制は長男の金正日に受け継がれました。
金正日(キムジョンイル)
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金日成から長男の金正日に北朝鮮の独裁体制が受け継がれ、2002年2月には凍結していた核施設の運転を再開することを発表しました。
このことは、当時の日本でもニュースになりました。
そして2002年9月には、小泉元総理大臣が北朝鮮を訪問して金正日と会談し、日朝平壌宣言を発表しました。
この日朝平壌宣言では、日本側は北朝鮮に対して、過去に植民地支配をして大きな損害を与えたことを謝罪し、北朝鮮側は日本に対して日本人の拉致を認めて謝罪しました。
日朝平壌宣言によって、日本と北朝鮮は正常な関係を築き上げていくための話し合いを進めることに合意をしたことになりました。
しかし、北朝鮮は拉致問題に対して拉致被害者の多くは死亡と発表し日本からの反感が高まり、日本も一時帰国させた拉致被害者を北朝鮮に戻す約束を破ったとして抗議の声が上がりました。
そのため、交渉などの日程が決まらずに中断というかたちになってしまいました。
金正日は2008年に病で倒れて、2011年に心筋梗塞により亡くなりました。
金正恩(キムジョンウン)
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金正日の後継者が、現在の北朝鮮の総書記である金正日の三男の金正恩です。
金正日には長男の金正男(キムジョンナム)、次男の金正哲(キムジョンチョル)、三男の金正恩と息子がいますが、なぜ三男が後継者に選ばれたのでしょうか。
まず、長男の金正男が選ばれなかった理由としては、略奪愛だったため金日成に結婚を反対されたため、隠れて結婚し隠れて生まれた息子だからだそうです。
生まれてからも隠れながら生活していたため、後継者にはふさわしくなかったとされています。
そして、金正男は2017年2月にマレーシアの空港で、猛毒を顔に塗られて殺害された事件でも知られています。
先日、実行犯として殺人罪に問われていた女性2人の被告の公判が高裁で開かれ、審理を継続する判断が下されて話題になりました。
この先、この事件はどんな結末になるのでしょうか。
そして、次男の金正哲は謎に包まれた存在ですが、政治には関心がなく音楽の才能があり有能なギタリストとも言われており、後継者としてはふさわしくないと思ったのかもしれませんね。
こうなると、三男が選ばれた理由をわかりやすく言ってしまえば、消去法で金正恩が選ばれたということでしょうか。
金正日は生前から金正恩を軍事演習の視察などに同行させていたので、生前から後継者を決めていたようですね~。
そして、金正恩が総書記になった時には、北朝鮮と日本の関係も変化するのではとの期待もありましたが、拉致問題も解決せずにミサイルも発射されるなど、独裁体制は受け継がれています。
2018年に北朝鮮の独裁体制は崩壊する!?
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みなさんは、世界一当たる予言者として知られているクレイグ・ハミルトン・パーカー氏をご存知でしょうか?
彼は2017年に発表した「2018年の11の予言」の中で、「北朝鮮の金正恩政権は2017年末か2018年1月に、国内クーデターによって崩壊し、国際社会の経済制裁も役に立たないためアメリカは北朝鮮の鉄道を爆撃して破壊し、金正恩は中国に亡命する」と予言しています。
予言の時期はすでに過ぎており、北朝鮮の独裁体制に現在のところ変化はありませんが、この先何らかの動きはあるのでしょうか。
世界一当たる予言者との発表したことということなので気になります。
まとめ
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北朝鮮に独裁者はなぜできたのかを現在までの経緯とともにわかりやすくまとめてみましたが、いかがでしたでしょうか。
日本の近くでありながら、考えられないような独裁政治が行われている北朝鮮ですが、今後も受け継がれていくのでしょうか…。
今後も注目していきたいと思います。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!