みなさんは、金賢姫(キム・ヒョンヒ)を知っていますか?
金賢姫は、「大韓航空爆破事件」を実行した北朝鮮の元工作員で、一度死刑判決を受けましたが、その後恩赦(おんしゃ)になりました。
恩赦とは聞き慣れない言葉ですが、刑の免除のことです。
多くの人が犠牲になった事件の犯人として最高裁で死刑判決を受けたのにも関わらず、なぜ恩赦になったのか理由が気になりますよね!
そこで今回は、大韓航空爆破事件についてや、金賢姫が恩赦になった理由や、現在について迫ってみました。
大韓航空爆破事件とは?
出典:https://www.google.co.jp/imgres?
1987年11月29日、イラクのミャンマーの近海で、バグダット発ソウル行の大韓航空858便が爆破される事件が起こりました。
それが、大韓航空爆破事件です。
事件当日の、大韓航空858便のフライトプランは、
①イラクバグダット(サダム国際空港)
②アラブ首長国連邦・アブダビ(アブダビ空港)
③タイ・バンコク(ドンムアン空港)
④韓国・ソウル(ソウル特別市金浦国際空港)
と、このようなプランになっていました。
出典:https://www.google.co.jp/imgres?
タイ・バンコクは、給油が目的だったため、乗客はアブダビかソウルでしか降りることは出来ませんでした。
事件当日の乗員は11名、乗客は104名で合計115名でした。
乗員の11名の中の9人は、移動するための搭乗だったため、業務にはついていませんでした。
11時23分、機内で爆発物が爆破して機体は空中分解しました。
そして、乗員と乗客115名全員が行方不明となり、その後115名全員が死亡と認定されました。
なお、空中分解した機体は海に墜落したと見られて、遺体の身元確認やバラバラになってしまった機体の回収は難航しました。
当初、爆発の原因はボーイング707-320BのHL7406号機固有の欠陥のためとされていましたが、その後の調べで航空機テロだったことが分かりました。
アブダビで降りた怪しい男女
出典:https://www.google.co.jp/imgres?
アブダビで降りた人は15名いましたが、その中に怪しい男女が1組いて、日本の旅券を持っていました。
翌年に韓国のソウルで「ソウルオリンピック」が開催されることが決定していて、東京でその妨害工作が目的で、偽造パスポート所持で日本赤軍の一人が逮捕されたという背景がありました。
その影響で、韓国は日本の旅券を持っている2人組を早い時点からマークしていました。
入国記録を調べると、日本人であればとても不自然な、航空券の「姓」が抜けているもので、2人組の持っていた旅券番号を日本の外務省で照会した所、偽造パスポートであることが確認されました。
2人組がバーレーンからローマ行に乗り換えてようとしていた所、身柄を拘束しました。
そして、2人組の1人の男は、仕込んでいた毒入りのカプセルを口に入れて服毒自殺をしました。
もう1人の女も、同じように服毒自殺をしようとしましたが、その場にいた警察官が全て噛み砕く前に吐き出させたため、自殺は未遂に終わりました。
そして、この女が金賢姫です。
男は服毒自殺により死亡しましたが、金賢姫は意識不明状態になったが、3日後に意識を取り戻しました。
偽造パスポートの罪は、日本の国内で法律違反でしたが、航空機爆破テロの事態が重かったため、日本は金賢姫の身柄の引き渡しを放棄しました。
金賢姫が自供!
出典:https://www.google.co.jp/imgres?
12月15日、金賢姫の身柄が韓国に引き渡されました。
その際には、バーレーンでの服毒自殺の前例があったために、舌を噛んで自殺しないようにマスクがつけられていました。
金賢姫は、工作員としての教育をされてきたため、日本語も中国語も堪能でした。
金賢姫は日本人(蜂谷真由美)になりすまして犯行を否認していましたが、中国人と証言するなど数々の矛盾がありました。
そして、捜査員が「日本で使用していたテレビのメーカーは?」の質問に対して、「チンダルレ」と北朝鮮のブランド名を答えました。
また、夜のソウル市街を捜査員と共に見た時には、金賢姫が聞いていた韓国の状況とかけ離れた繁栄ぶりで驚きました。
そこでは、一般市民が自分の不平や不満を口にしている姿を見て、北朝鮮ではそんなことが決して許されないため、金賢姫は衝撃を受けました。
最終的には、女性捜査員と入浴中に熱いお湯をかけられた時に、咄嗟に朝鮮語が出てしまい、隠しきれずに自供しました。
航空機の爆発は、金賢姫がカバンに入れて持ち込んだもので、時限装置が付いたプラスチック爆弾と液体爆弾によって起こったものでした。
アブダビテレビ到着した時に乗客は、一旦全員外に出されました。
金賢姫はその時、捜査を混乱させるためにアブダビからローマに向かう航空券と、バーレーンに向かったと思わせるために使用した航空券を持っていました。
アブダビで、予想外の航空券のチェックがあったため、用意していた航空券を使うしかなくなり、バーレーンに2人で向かって身柄を拘束されました。
アブダビでの予想外の航空券のチェックがなければ、2人はそのまま北朝鮮に逃げていたと考えられています。
犯行の動機は?
犯行の動機は、翌年韓国で行われる予定だったソウルオリンピックの開催を妨害するための、北朝鮮の工作だったことが理由と言われています。
しかし、北朝鮮はこれを否定しています。
大韓航空爆破事件後の北朝鮮
出典:https://www.google.co.jp/imgres?
北朝鮮は、事件への関与を否定しているため、現在も謝罪は当然していません。
北朝鮮は、金賢姫の存在そのものや、事件の真相などを「韓国のねつ造」だと、連日報道しました。
一方では、「金賢姫は平壌外国語大学日本語科に在籍していたが、調査部が連れて行った」という証言も出ています。
金賢姫が対外情報調査部に所属する工作員だったことは、卒業した金正日政治軍事大学の教官や生徒の誰もが知っていたそうです。
事件後に金賢姫が自殺に失敗して、犯行を自供したことに対して、金正日は激怒しました。
金賢姫は1991年に手記「金賢姫全告白いま、女として」を発売しました。
当然北朝鮮でもその手記が読まれて、金日正や大学関係者も読んで、金賢姫が裏切ったのは大学の教育方法の間違いのせいだと指摘しました。
金賢姫は手記で、教育されてきた韓国と実際の韓国の違いを見て、北朝鮮当局にだまされていたことを悟り転向したと述べています。
それにより金日正政治軍事大学では、韓国の実情を具体的に生徒たちに知らせる教育が始まりました。
金賢姫とは一体どんな人物なのか?
出典:https://www.google.co.jp/imgres?
金賢姫は、日本語や韓国語がとても堪能でした。
日本語を金賢姫に教えたのは、「李恩恵(リ・ウネ)」で、日本から拉致された「田口八重子」さんだと言われています。
彼女から日本語以外にも、日本の文化や習慣などを習って、日本人化するための教育を受けたそうです。
金賢姫は、手記で「李恩恵先生との二十か月」について書いていて、田口八重子さんの長男と会った時には、「恩恵先生は生きている」と発言しています。
しかし、北朝鮮側は、李恩恵の存在そのものを否定しています。
金賢姫は事件後に、初めて聖書に触れてイエス・キリストの存在を知り、裁判の期間中に牧師の指導により聖書を学びました。
その後、洗礼を受けて正式にクリスチャンになりました。
1989年韓国での裁判で死刑判決が下されて、1990年3月に確定しました。
金賢姫が恩赦された理由は?
金賢姫は最高裁で死刑が確定しましたが、事件の唯一の生きた証人であることが理由で恩赦されました。
北朝鮮の工作員として、洗脳され利用されて事件が起きたと判断されたのです。
これに対しては、事件の被害者の遺族から当然厳しい批判もありましたが、その中での韓国大統領の判断でした。
ちなみに恩赦とよく言いますが、正確には「大統領特別恩赦」と言います。
そのため、特赦とも呼ばれます。
これは、韓国の大統領にだけあたえられている特別な権利です。
金賢姫の死刑によって、事件が鎮静化した方が北朝鮮には都合が良かったと思われますが、恩赦によって金賢姫が生き続けることで、北朝鮮がしたテロ行為を国際社会に訴える意味もあります。
恩赦により刑の免除はされましたが、その後一般市民と同じように暮らせるわけではなく、一生涯監視下におかれます。
金賢姫の現在は?
出典:https://www.google.co.jp/imgres?
金賢姫は、1997年にボディーガードをしていた元国家安全企画部員の男性と結婚して、息子と娘の2人の子供がいます。
そして結婚後に改名して、現在は韓国のソウルで普通の主婦として暮らしています。
まとめ
出典:https://www.google.co.jp/imgres?
大韓航空爆破事件のまとめや、金賢姫がなぜ恩赦になった理由、金賢姫の現在のまとめはいかがでしたでしょうか?
金賢姫が爆破テロを実行しなければ、多くの人が亡くなることはありませんでした。
金賢姫は恩赦を受けて生きた証人になりました。
金賢姫は北朝鮮で暮らす人々が1日でも早く普通の日常生活を手に入れられるための使者となることが期待されます。
金賢姫は北朝鮮に生まれて、北朝鮮のためだけに生きるように教育されてきたため、爆破テロを拒否する選択肢がなかったはずです。
爆破テロを実行して、多くの被害者を出してしまった金賢姫ですが、彼女も北朝鮮の被害者だと私は思います。
現在は、結婚して子供もいて主婦として生活しているようなので、このままでいられることを願います。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!