最近ニュースで辺野古移設問題をよく耳にします。

そして、2018年12月18日には大人気モデルのローラさんが自身のインスタグラムで、普天間基地の名護市辺野古への移設工事中止の嘆願書署名を呼び掛けて大反響を呼んでいます。

今回のローラさんの行動については賛否両論が巻き起こっていますが、なぜ移設先が辺野古でそれを反対しているのでしょうか。

政府が移設を強行した理由なども気になりますね。

そこで今回は、今話題の辺野古移設問題についてわかりやすくまとめてみました。

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どうして日本に米軍基地があるの?

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辺野古移設問題をわかりやすく説明するために、そもそもなぜ日本に米軍基地があるのかについて振り返ってみたいと思います。

まず、沖縄には日本全体の米軍施設の約70%が集中しており、沖縄本島の約15%をしめています。

1945年8月15日、日本は第二次世界大戦に敗北し、沖縄も含めて米軍の直接の管理下に入りました。

1951年、サンフランシスコ平和条約が結ばれると日本にいた連合国軍は撤退したのですが、同時に凍結した日米安全保障条約により米軍は日本を守るためならば駐留が認められました。

そして、朝鮮戦争では東側諸国に対しての軍事基地となり、ベトナム戦争では後方支援基地として存在を発揮していきました。

その後も米軍基地の拡大を進めていきましたが、米軍による事件や事故、県民による暴動などが勃発し沖縄返還への動きが強まっていきました。

1972年についに沖縄返還となり施政権も日本に返されたのですが、現状を見ればわかるように米軍基地は沖縄県内に維持したままでの返還となりました。

日本全国には約4万人の米軍が駐留していると言われていますが、沖縄にはその約半数が駐留しています。

なんと、日本はアメリカ以外で米軍が最も多い国なんだそうです!

アメリカ側からすれば、沖縄に米軍を維持しているのはアジアに拠点を持つことで不測の事態に軍事拠点としてすぐに対応できるためだと考えられます。

わかりやすく言ってしまえば、アメリカの得になるからですよね。

沖縄になぜ米軍基地があるのかが理解できたところで、いよいよ本題の辺野古移設問題について説明していきます。

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辺野古移設問題とは

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現在、米軍の普天間基地が名護市辺野古へと移設する問題で世間を騒がせてますが、そもそも普天間基地は「世界一危険な飛行場」と言われているのをご存知でしょうか。

沖縄県宜野湾市にある普天間基地(普天間飛行場)は、太平洋戦争で沖縄が占領された直後に日本本土への攻撃の拠点として米軍が建設した滑走路から生まれました。

普天間基地は、元々はのどかな農村地帯でした。

しかし、戦後に飛行場周辺に民家が建ち商業活動も盛んになっていったため、結果的に市街地の真ん中に滑走路がある形になってしまったのです。

そして、普天間基地には戦闘機が訓練や燃料補給のため頻繁に離着陸するため、周辺の住民は爆音に悩まされ墜落事故などの恐怖に怯えてい生活しています。

このことから「世界一危険な飛行場」と言われています。

これらに加え、1995年9月に米兵少女暴行事件が発生したことで、普天間基地の移設問題に強い追い風が吹いたのでした。

どうして普天間基地の移設先が辺野古なの?

普天間基地移設問題が大きくなると、日米両政府が沖縄に関する特別行動委員会を設置して、沖縄米軍基地の整備や縮小、統合などの検討を始めました。

それ以降の流れは…

・1996年、当時の日米首相の橋本龍太郎氏とビル・クリントン氏の間で普天間基地の返還と移設に合意。

この時に合意された移設先は「海上」で、これが移設問題の発端となりました。

・1999年、当時の沖縄県知事の稲嶺恵一氏が普天間基地の移設先を名護市辺野古沿岸域と表明。

そして、当時の名護市市長の岸本建男氏も条件付きで受け入れを表明。

これらにより、政府が普天間基地移設に関する政府方針を閣議決定。

とこのような流れで、すでにこの頃に普天間基地の移設先が辺野古沿岸域と決まっていたのです。

なぜ今、移設先で揉めているの?

先ほど当時の名護市長の岸本氏が条件付きで受け入れを表明したと言いましたが、当時の沖縄県知事の稲嶺恵一氏にも条件があったのです。

どんな条件だったかと言いますと…

稲嶺氏の条件は「期間限定で15年間限定で軍民共用飛行場を作る」というもので、岸本氏の条件は「地域振興策とセット」ならOKという条件でした。

この条件に対して「15年限定なんてありえない!」と米軍は合意しませんでした。

しかし、日米両政府が地元沖縄の意見を無視して、2014年完成予定の辺野古にV字滑走路案として合意案を作ってしまったのです。

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その結果、多くの人の予想通りかと思いますが沖縄側の反対が巻き起こりました。

さらに、2004年8月には普天間基地の米軍ヘリが宜野湾市にある沖縄国際大学の構内に墜落する事故が発生!

夏休み中だったため死傷者はいませんでしたが、周辺の住宅地に校舎の外壁や機体の破片が飛び散り大炎上となりました。

しかしその後、2006年には当時の名護市市長の島袋氏が、住宅の上空を飛行しないことなどを条件に計画に合意し、基地建設容認派の仲井眞弘多氏が県知事に当選したのです。

このまま辺野古への移設となるのかと思いきや、2008年の沖縄県議会では辺野古移設には反対決議が出ることとなりました。

2009年、当時の首相だった鳩山由紀夫氏から「最低でも県外」と、とんでもない発言が飛び出すと、状況はガラリと変わり反対派も容認派も「県外移設」で一致することになりました。

2010年、辺野古移設に反対した稲嶺進氏が名護市長選で当選します。

そして、多くの人たちの期待を背負った鳩山内閣でしたが、普天間移設先の具体的な代替案を打ち出せずに迷走した結果、移設先を「辺野古周辺」とする日米共同声明を発表することになりました。

この結果には、「最低でも県外だったはずなのに結局は辺野古じゃないか!」と地元住民は怒り爆発となり、前進するかと思いきや大きく後退することになってしまいました。

それにしても、鳩山氏の「最低でも県外」発言は一体何だったのでしょうか。

よく考えてみたのですが、普天間基地は沖縄に駐留している海兵隊が使用するための飛行場なので、飛行場だけ県外へ移動するなんて不可能だったのではないでしょうか。

いざ、飛行機に乗る時はどうやって飛行場まで移動する!?帰ってきた時は!?船で!?

かなり効率が悪いですよね…。

鳩山氏を信じていた人たちも半信半疑だったのかもしれませんが、票を集めるための発言だったとしたら残念でなりません。

その後、政権が変わると再び現行案で進められることになり、鳩山氏の発言後から県外移設に傾いていた基地建設容認派の仲井知事も、現行案を進めることを了承したのでした。

2013年末、安倍政権下では最終的に公有水面埋立を承認しました。

しかし、2014年11月に建設反対を掲げていた翁長氏が沖縄県知事に当選すると、再び事態が変化しました。

普天間基地の辺野古への移設反対は地元住民はもちろんのこと、稲嶺名護市市長、翁長県知事、県議会、地元市長、地元市議会の全てが反対意見で一致したのです。

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辺野古移設への反対派の意見は?

辺野古基地は何もない場所に完全に新しいものを建設するのではなく、既にある米軍海兵隊キャンプ・シュワブを拡張する計画です。

そして、近隣の住宅地からは1.5km離れ、市街地からも10km以上離れており、ヘリポートについては海上への設置を予定しているため、普天間基地に比べ事故や騒音を削減することごできます。

政府も何も考えずに辺野古に決めたわけではないんです。

もちろん辺野古以外にも移設候補地はありましたが、辺野古に決まった理由としては経済効果を期待する地元の声があったそうなんです。

2017年10月の衆院選では、沖縄県にある4つの選挙区のうち3つの選挙区が反対派勢力の当選となりました。

ではなぜ、今でも反対派が多いのでしょうか。

反対派の意見をまとめてみると…

サンゴやジュゴンなどの生態系への影響が心配!

この意見に対して、環境省はジュゴンは辺野古ではなくても絶対に生息できると判断しています。

排水などの環境汚染が心配!

この意見に対して、防衛省は浄化して排出するとしています。

漁業への影響が心配!

この意見に対して、国は漁業組合に36億円の補償金を交付するとしています。

沖縄ばかりに基地を押しつけている!

この意見に対して、多くの専門家が沖縄だから基地を建設するわけではなく、日本と有事になりやすい国に一番近いエリアが沖縄なので、たくさんの基地を配置する必要性があるとしています。

沖縄だからではないと言われても、反対意見が出るのは私にも理解できます。

しかし、残念ながら日本が絶対に侵略や攻撃をされないという根拠はありません。

日本は憲法上では攻撃しない国ですし、不測の事態が起きた時にはやはり自衛隊だけでは戦力不足だと思います。

絶対に何も起こらない国であれば基地を減らすができると思うのですが…本当に難しい問題ですよね。

沖縄県vs国

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色々ありましたが、辺野古移設問題への反対派の意見が変わらないまま政府は粛々と工事を進めていったため、地元と政府が対立していくことになりました。

翁長知事は、辺野古移設には反対でしたので「俺は認めない!」と、無理やり辺野古移設を中止にさせてしまい、さすがに国も怒り心頭で訴訟に発展することに!

そして、翁長知事も黙っているわけがなく訴え返して〜の、和解して〜ので、最終的には国が勝訴したことにより、2016年11月に工事再開となりました。

翁長知事は2018年5月に膵がんを公表し治療を続けていましたが、8月7日に容体が急変し8月8日に亡くなられました。

訴訟に敗れてからも、最後まで辺野古移設反対の意志は変わることはありませんでした。

翁長知事のご冥福をお祈りいたします。

2018年は沖縄選挙が注目されました!

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2018年は沖縄選挙が注目が集まりました。

そこで、選挙のポイントを簡単にわかりやすくまとめてみました!

名護市長選挙

2018年2月4日に名護市長選挙が投開票となり、安倍政権が支援した無所属新人の渡具知武豊氏がはつ当選しました。

投票率は前回を0.21ポイント上回る76.2%で、20,000表以上を獲得しての当選でした。

さらに、下位と約3,400票の差を付けての当選となりました。

渡具知氏の任期は4年間ですが、安倍政権が支援した無所属新人ということで移設工事が加速していくと言われています。

沖縄知事選挙

2018年9月30日に沖縄県知事選挙が投開票となり、辺野古移設反対派の前衆院議員の玉城デニー氏が初当選しました。

これでまたしても沖縄と国の足並みが揃わない形となったわけですね。

玉城デニー氏には代替え案などがあるのかと思いきや、対話路線で対抗しているようです。

現在の辺野古の状況は?

現在の状況ですが、2018年12月14日から辺野古の埋め立て予定区域への土砂の投入が始まり、辺野古の青い海は濁った海となっています。

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やはり青く綺麗な海が濁ってしまった様子を見ると、言葉がありませんね…。

まだ、住民の理解を得ていない段階ですので今後の地元と政府の動きにも注目ですね!

まとめ

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辺野古移設問題についてわかりやすくまとめてみましたが、いかがでしたでしょうか。

辺野古移設問題での地元と政府の対立は、地元の人たちの思いとは裏腹に政府が強引に話を進めてきたために、対立が深まってしまったことがわかりました。

現在、辺野古の埋め立て予定区域への土砂の投入が始まり移設工事は着々と進められています。

実際に土砂が投入された海を見てしまうと言葉がありません。

今でも地元と政府は対立したままの状況ですが、このまま工事は続けられていくのでしょうか。

今後の動きにも注目していきたいと思います。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました!

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