世界になお今愛され続けている伝説のバンド

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世界になお今愛され続けている伝説のバンド「ビートルズ」ですが、皆さんはご存知でしょうか。

すでにビートルズは解散していますが、世界を席巻していた頃に日本にも来ていたことがあり、当時を知る人は今でも当時を思い出すと興奮されるほどです。

そこで今回は、ビートルズが来日した時のことについて、詳しくご紹介していきたいと思います。

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そもそもビートルズとは

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そもそもビートルズというのは元々クオリーメンという名前で1957年に結成されましたが、その後何度も改名を繰り返し、ビートルズと改名するまでに複数のメンバー入れ替えが行われています。

そして1962年の10月にビートルズとしてレコードデビューをしています。

ビートルズは母国であるイギリスでは多くのオリジナルアルバムを発売しており、うち11作が全英アルバムチャートで週間1位を獲得しています。

また、アメリカだけではなく各国でも高いセールスを記録し、ギネス・ワールド・レコーズに最も成功したグループアーティストと認定されていることも有名な話です。

残念ながらビートルズは1970年に事実上解散していますが、バンドメンバーだったメンバーは今なお、それぞれ輝かしい活躍をしています。

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ビートルズが来日したのはいつ?

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ビートルズが初来日したのは、遡ること1966年(昭和41年)の6月29日でした。機内サービスであったJALのはっぴを羽織ったバンドメンバー4人が羽田空港に降り立った姿はテレビでも中継され、非常に話題となりましたね。

4人は宿舎の東京ヒルトンホテル、現在のキャピトル東急ホテルへとそのまま向かい、仮眠後の午後3時ごろから報道陣約200人が待つ記者会見に望みました。

なお、ビートルズの日本公演は1966年6月30日から3日間、5公演が日本武道館で行われましたが、その後1966年8月のサンフランシスコ公演を最後にコンサートツアーが終了し、それ以降はレコーディング・アーティストとして活動することになるため、4人揃っての来日はこれが最初で最後となってしまいました。

全国民が歓迎ムードではなかった

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今でこそビートルズ来日は歴史的な出来事だったと語り継がれていますが、当時は全国民が歓迎ムードであったかといえば、実はそうではなかったようです。

というのも、当時ビートルズのメンバーを「長髪の不良グループのような外国人だ」と思っていた日本人も少なくなく、そんな外国人たちに神聖な日本武道館を貸して大騒ぎするなど言語道断だと非難する声も多かったといいます。

また、武道館側も拒否していたといいますが、映像権を手にした日本テレビやイギリスからの強い要望が押し通し、許可が下りたという逸話もあるほどです。

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異例の警備体制だった?

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一部過激なファンもいたことから、ビートルズが来日して滞在している間は、物々しい警備体制だったといいます。

入国審査は機内で、また移動ルートすべてに警官を配置し、首都高速道路は閉鎖されるといった異例の事態でした。

また、ビートルズが当初行く予定だった箱根もキャンセルされ、グループのメンバーはホテルからの外出禁止という状態だったようです。

会場も観客8500人に対して警官が1700人というから、相当の厳重態勢であったことが窺えます。

ビートルズ公演の前座がまた豪華

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ここまでビートルズが来日した時のことをご紹介してきましたが、実際にビートルズが講演した際、その前座を務めた方たちもそうそうたるメンバーだったことも有名な話です。

しかし現在では知らないという方もいらっしゃるかもしれませんので、今一度前座を務められた方々を振り返ってみましょう。

内田裕也

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今年3月17日に肺炎のために亡くなった内田裕也氏ですが、今でこそ言動や行動がダイナミックで有名なものの、当時は洋楽のカバーに重きを置くロックミュージシャンでした。

ビートルズの前座では7・3分けの内田裕也氏がアニマルズの「朝日のない街」をカバーしましたが、当時内田氏は「俺は前座じゃない、共演してやってんだ」と言っていたといいます。

なんとも内田氏らしい逸話ですね。

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尾藤イサオ

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尾籐氏は当時から「和製エルビスプレスリー」と呼ばれており、そのリーゼントが特徴的でした。

ビートルズ前座ではまず、内田氏やジャッキー吉川とブルーコメッツ、ブルージンズとともに「ウェルカム・ビートルズ」を歌っており、のちにビートルズからも「面白いバンドがいた」とコメントされています。

その後ドリフターズが歌った後再登場し、ブルーコメッツをバックバンドに「ダイナマイト」を歌っています。

ドリフターズ

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ドリフターズは3日間、5公演の中で何度か前座を務め「のっぽのサリー」を歌っていますが、特に6月30日公演の前座ではサビの繰り返しではドラムの加藤氏がふざけたフィルインを入れたり一同がずっこけたり、間奏で高木ブー氏と荒井注氏がステージを走り回るなど、ドリフターズらしい演奏を披露しています。

そして最後に演奏のあと、加藤氏が「ばっかみたい」と言って、いかりや氏が「退散」といって駆け去るシーンも有名ではないでしょうか。

これはドリフターズが登場する際に司会が「ザ・ドリフターズ」と紹介しようとしたところ「ザ・」と聞いて観客がビートルズが出てくると勘違いし、出てきたのがドリフターズなのを見て観客がわっと笑ったもので、歌い終わるや否やいかりや氏がとっさに「退散」と言ったという逸話があります。

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前座のメンバーはノーギャラだった

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そのほかにも望月浩氏、ブルージーンズなど、今振り返ってみてもとても豪華なメンバーが前座を務めていたということが分かりますね。

しかし当時、前座のメンバーは全員ノーギャラでこの大役を引き受けたといいますから、どれだけビートルズ来日が特別なイベントであったかが窺えます。素晴らしいですね。

ビートルズ記念日って知ってる?

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さて、ビートルズが来日した時のことについてご紹介してまいりましたが、日本を熱狂の渦にしたビートルズの記念日が存在していることを、皆さんはご存知でしょうか?

実はビートルズが初来日した6月29日を記念して、EMIミュージック・ジャパンが6月29日を「ビートルズ記念日」と制定したのです。

本当はビートルズ記念日は6月28日だった?

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6月29日を「ビートルズ記念日」と制定されたとご紹介しましたが、本当はビートルズは6月29日ではなく、6月28日に来日する予定だったことは、ご存知でしょうか。

実は元々の予定では6月28日午後5時15分に飛行機が到着する予定だったのですが、台風の影響で11時間以上飛行機が遅れてしまい、6月28日ではなく6月29日の未明に到着がずれ込んでしまったそうなのです。

しかし、そのおかげでビートルズが来日した時、羽田空港に降り立った時にはファンは500人程度だったため、特段の混乱もなく降り立つことができたとも言われています。

まとめ

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いかがでしたでしょうか。

来日から53年経った今でもなお、伝説のバンドとして語り継がれているビートルズについてご紹介してまいりましたが、改めて振り返ってみると、その凄さが伝わってきますね。

熱狂した日本のファンの姿が鮮明に思い起こされそうです。

今思えばビートルズが来日したことで、日本にはその音楽だけではなく、文化、ファッション、思想など、さまざまなものを一緒に連れてきたといっても過言ではありません。

ビートルズは解散してしまいましたが、ビートルズが来日した時にはまだ幼かった人や、まだ生まれていなかったような世代が魅了されて、今なおファンが増えていることを見ても、世界になお今愛され続けている伝説のバンドだということが窺えます。

これを機会に、ビートルズについてよく知らなかった方も、まったく知らなかった方も、ビートルズの世界観にぜひとも浸ってみてはいかがでしょうか。

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最後まで読んでいただきありがとうございました。

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