『ロッキード事件』を知っていますか?
何となく名前は聞いたことあるけど、どんな事件か全くわからない人が多いのではないでしょうか。
『ロッキード事件』は戦後最大の汚職事件と言われていましたが、とてもややこしくて、わかりにくい事件です。
そこで今回は、なるべくわかりやすく『ロッキード事件』について振り返ってみたいと思います。
まず最初に、事件をわかりやすくするために、重要人物の2人をまとめました。
『ロッキード事件』の重要人物①田中角栄
田中角栄は、大正7年新潟県生まれの政治家です。
高等小学校を卒業したあと、上京し猛勉強をして田中土建工業を設立して、その後自由民主党から衆議院に当選した。
昭和47年に自民党の総裁になり首相に就任した。
日中国交を回復するなど業績をあげたが、1993年(平成5年)75歳で亡くなりました。
『ロッキード事件』の重要人物②児玉誉士夫
児玉誉士夫は、明治44年福島県生まれの右翼運動家です。
18歳で国粋運動に参加してたびたび投獄されました。
第2次世界対戦中は、中国に行き軍部に協力して上海に海軍物資を調達するための児玉機関を設立した。
戦後にA級戦犯として収監されるが、その出獄後に巨額の資金を当時、鳩山一朗の自由党に提供して『政界の黒幕』と呼ばれるようになりました。
1984年(昭和59年)73歳で亡くなりました。
『ロッキード事件』の概要
『ロッキード事件』には、上記の2人重要人物がいることがわかりました。
それをふまえて、概要をまとめました。
長文になってしまうため、なるべくわかりやすくするために、話を分けて説明していきます。
①日本側にロッキード社から30億円以上のお金が渡る
1976年2月に、日本側にアメリカの航空機製造会社のロッキード社から30億円以上のお金が渡ったことが発覚します。
『ロッキード事件』のロッキードは会社の名前から付けられたようですね。
当時、ベトナム戦争の終結の影響などにより赤字経営になってしまっていたロッキード社は、破産寸前の状態に追い込まれていました。
その状態から抜け出すために、ロッキード社は飛行機を売って、経営状態を立て直すことが必要でした。
飛行機を日本に売りたくても、ロッキード社はアメリカの会社のため、橋渡しをして手助けしてくれる会社が必要でした。
その橋渡しをして手助けしていた会社が丸紅という会社です。
丸紅はロッキード社に、飛行機を日本に売るために政治献金をすすめました。
その時に、田中角栄にロッキード社から預かった5億円を渡しました。
その後、全日空はロッキード社からトイスターという飛行機を購入しました。
いくらお金を貰ったからといえ、話が順調に進みすぎな気がしますよね!
全日空には、ロッキード社から飛行機を買う必要が見当たりません。
全日空がロッキード社から飛行機を購入したのにはちゃんとした理由がありました。
なんと全日空は、飛行機を購入する歳に2億円の手数料を貰って、その一部を何人かの政治家に配っていたのです。
それは、国際線に進出することを目指す全日空が優位になるために、航空政策に働きかけを期待してとのことです。
これはいわゆる、全日空の賭博ですよね。
しかし、ロッキード社が日本側に渡したとされるお金は30億円以上とされています。
残りのお金は一体、何処にいってしまったんでしょうか?
②およそ21億円のお金を受け取った児玉誉士夫
ロッキード社から日本側に渡したとされる30億円のうち、5億円は田中角栄が受け取り、およそ2億円は全日空が受け取ったことがわかりましたよね。
そして、あとの残りのおそよ21億円を受け取ったとされるのが、児玉誉士夫です。
児玉誉士夫は、政界だけでなく裏社会にまで顔が利くといわていた人物ですが、ロッキード社は、なぜ児玉誉士夫に巨額のお金を渡したのでしょうか?
ロッキード社は全日空にトライスラーを売り込みましたが、本当の目的はPC3ではないかと言われています。
PC3が何かというと、潜水艦を探査するための軍用機で別名、対潜哨戒機と呼ばれています。
当時の日本は、対潜哨戒機を国内で作ろうとしていました。
そのため、ロッキード社は日本に自力で対潜哨戒機を作られてしまったら、商品が売れなくなってしまうため、困ってしまうわけです。
しかし、日本は対潜哨戒機を国産で作るとなると、ものすごいお金がかかるそうで、それにロッキード社は目をつけて、アメリカから輸入することを勧めて欲しいと頼んだ人物が、児玉誉士夫と言われています。
③ロッキード社の本当の目的はPC3を売ること!?
さきほども説明しましたが、PC3は軍用機です。
軍用機を売りたいために、アメリカ側から日本側にお金が動いたと知られたら、アメリカ側の政府も立場が悪くなってしまいますよね。
そのため、アメリカ政府の力も加わって、PC3を売り込んだ事実は隠されたのではないかとされています。
『ロッキード事件』の翌年に、アメリカから日本がPC3を導入することが、正式に決まりました。
その後、日本がアメリカからPC3を購入した金額は総額1兆円を超えています。
日本がアメリカからの軍用機を購入すれば、アメリカはお金をかけることなく日本でも軍事力を上げることに繋がります。
ここまでが、『ロッキード事件』の大まかな概要です。
なるべくわかりやすくまとめましたが、いかがでしたでしょうか?
そこで、事件の内容をさらに深めるために、ロッキー社のトライスラーとはどんな飛行機なのか気になったので、調べてみました。
ロッキード社のトライスラーって、どんな飛行機なの?
まず、ロッキード社は軍用機でトップクラスの会社でした。
トライスラーは1970年11月に初飛行して、1972年4月に運航が開始された飛行機です。
正式名はL-1011トライスラーと言います。
ロッキード社は、大手の航空機製造会社ですが、初のジェット旅客機として開発されたもので、威信を威信をかけて開発されたものでした。
トライスラー内には、中二階の客室や貨物室構造にエレベーターが設置されたり、軍用機のトップクラスメーカーとしての力が発揮され、自動操縦装置に関しては、当時にしては前例がないほどの装備が施されていたそうです。
ロッキード社は、軍用機ではトップクラスでしたが、ジェット化の波に乗り遅れてしまったようで、民間機市場では地位は低下していたようです。
その上、ベトナム戦争の終結によって赤字経営になってしまい、トライスラーを販売して民間機市場での復活を狙っていました。
しかし、そう簡単にはいかず他社のジェット機メーカーとの販売競争に巻き込まれてしまって、日本でも日本航空が他社の飛行機の大量発注を決めたり、他国でも発注状況は伸び悩んでいました。
このような状況になっていたため、ロッキード社は各国の政治家や航空関係者に色々な働きかけを行っていて、それが『ロッキード事件』につながっていったようです。
『ロッキード事件』のその後
戦後最大の汚職事件と言われた『ロッキード事件』は、田中角栄や政治家、丸紅、全日空の幹部など16人が受託収賄や贈賄などの罪で起訴されました。
そして、田中角栄への5億円の資金提供に関係したとして、丸紅の檜山広元社長ら幹部3人は逮捕され、檜山広元社長は最高裁にて有罪が確定しました。
田中角栄は、一審、二審で懲役4年の実刑判決で有罪になったが、田中角栄が1993年に死亡したため、控訴棄却となりました。
まとめ
戦後最大の汚職事件と言われた『ロッキード事件』のまとめはいかがでしたでしょうか?
なるべくわかりやすくまとめましたが、事件の内容は伝わったでしょうか。
現在も、21億円のお金が渡った政府高官の解明はされていないそうです。
まだまだこの事件には解明されていないこともあり、闇は深そうです。
田中角栄は、当時官僚を使いこなすことが出来る天才と言われていました。
事件ばかりに目がいってしまいますが、田中角栄は当時、天才として絶大な人気があり、近年も田中角栄に関する本がベストセラーになるなどまだまだ人気があるようです。
私も今度本を読みたいと思いました。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!