1963年11月22日、アメリカのケネディ大統領が白昼堂々パレード中に暗殺されるという世界中に衝撃を与えた『ケネディ大統領暗殺事件』(以下、ケネディ暗殺事件)が発生しました。

この事件については、政府の調査委員会が実行犯の単独行動によるものだと結論付けたのですが、いまだに議論され続けている注目のとても高い事件です!

そして、2017年にはケネディ暗殺事件についての機密文書が公開されました。

機密文書の公開により、事件の真相や真犯人の存在は明らかにされたのでしょうか。

そこで今回は、ケネディ暗殺事件についてわかりやすくまとめ、事件の真相や真犯人について迫ってみました!

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事件の経緯

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それでは、ケネディ暗殺事件の経緯をわかりやすく説明していきます!

テキサス州で遊説

1963年11月下旬、ケネディ大統領はテキサス州内で遊説をしていました。

その目的とは…

①翌年に大統領選挙を控え、多くの資金の寄付金を獲得するため。

②大統領選挙でテキサス州だの指示を獲得するための選挙活動。

③テキサス州の民主党保守派であるコナリー知事と、ケネディ大統領が親しくしていたヤーポロー上院議員の関係が悪化していたため、2人の関係を修復させるため。

テキサス州は民主党にとっては支持を集めやすい地域だったのですが、ケネディ大統領がアフリカ系住民に対して人種差別政策を取り強い反感が生まれていたため、敗戦となる可能性がとても高かったのです。

わかりやすく説明すると、大統領選挙を優位に進めるために遊説をしていたということですね。

テキサス州ダラス市へ

1963年11月22日(金)の朝、ケネディ大統領夫妻は大統領専用機にてテキサス州ダラス市に向かいました。

11時50分、空港到着後にケネディ大統領夫妻とテキサス州知事夫妻はパレードに使用する1961年式のリンカーン・コンチネンタルに乗り込むと、遊説を行う予定のダラス市内に向けて出発しました。

この車はパレード用にオープンカー仕様にされていたのですが、席順は以下の通りでした!

最前列

・左側運転席…ビル・グリア

・助手席…ロイ・ケラーマン

※2人ともホワイトハウスのシークレットサービスを務めていました。

前列席

・右側…コナリー州知事

・左側…コナリー州知事の妻のアイダネル

後部席

・右側…ケネディ大統領

・左側…ケネディ大統領の妻のジャクリーン

車はオープンカーだったため、狙撃から身を守ることはとても難しく、透明の防弾カバーを取り付けるように提案されていたのですが、ケネディ大統領の側近が拒否したため取り付けはしていませんでした。

あの時、防弾カバーを付けてさていれば…。

あとからは何とでも言えますが、本当に悔やまれますね…。

ダラス市内でのパレード

ケネディ大統領を乗せた車を含めたパレードの車列が、時速16kmほどのスピードでダラス・トレードセンターへ向けて出発しました。

大通りを走行中に男性が走り寄ってきましたが、シークレットサービスによって制止されたためパレードへの影響はありませんでした。

ケネディ大統領を乗せた車は大通りを抜けディーリー・プラザから右折し、ヒューストン通りを抜けてテキサス教科書倉庫ビルの正面に向かい進みました。

その後、左折してエルム通りに入ると、テキサス教科書倉庫ビルから20メートルほど離れた場所で事件が発生しました!

事件発生!

12時30分、ケネディ大統領を乗せた車が教科書倉庫ビルの前を通過した後、ケネディ大統領を2発の銃弾が襲いました。

それは、およそ6~9秒間のほんの一瞬の出来事でした。

合計で3発の銃弾が襲いましたがその内の1発は外れ、1発はケネディ大統領の背中上部から喉仏を貫通し、前列に座っていたコナリー州知事に当たりました。

あと1発はケネディ大統領の即頭部に命中して貫通し頭部を激しく損傷することに!

これが致命傷となり、直接的な死亡原因となりました。

このパレードのコースは当初、ヒューストン通りを横切りメイン通りを直進する予定でしたが、なぜか当日にコースが変更された経緯があります。

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もしも、予定通りにメイン通りを直進していたら狙撃ポイントは遠い状況だったわけです。

コースの変更の権限はダラス市長にあったそうですが、当日に変更するとは普通では考えられず違和感しかありませんね~。

衝撃!!夫の脳みそを拾う!?

倒れ込むケネディ大統領の姿を状況が飲み込めないままジャクリーン夫人が覗き込みますが、2発目の銃弾がケネディ大統領の頭部に命中すると状況を察知し、ジャクリーン夫人は車の後部に上がりその場を離れようとしました。

その時の様子が、後部座席にてを伸ばしてケネディ大統領の脳みそを拾っていたのでは!?と話題になりました。

とても衝撃的な話題ですよね~!

その時の画像がこちらです!!

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真相は不明なのですが、パニック状態になってしまうと人は何をするかわかりませんので、本当に脳みそを拾った可能性は否定できませんよね。

私には必死になって逃げようとしていたように見えますが、みなさんはいかがでしょうか。

そして、コナリー州知事が「皆殺しにされるぞ~!」と叫んだため、運転手は車を加速させました。

12時37分、ケネディ大統領は近くのパークランド病院に運び込まれると、ニュース速報で報じられました。

13時33分、病院の一室でキルダフ副報道官が大統領死去の公式発表を行いました。

ジャクリーン夫人は返り血を浴びたスーツの着替えを拒否し、そのままの姿でメディアの前に姿を現しました。

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犯人逮捕

ダラス市警察はケネディ大統領のパレードの車列にオートバイで伴走していましたが、犯人を探すために狙撃をしたとされるテキサス教科書倉庫ビルにすぐに入りました。

そして、ビルの2階の従業員食堂で男性を見つけ確認したところ、従業員のリー・ハーヴェイ・オズワルドだということが分かりました。

警察はまさか従業員が犯人だとは思わなかったため、そのまま階段をかけ上がり6階のダンボールが山積みにされてある部屋まで行きました。

するとそこには、ライフル銃一丁と発射した弾丸の薬きょうが3発落ちており、窓の手前のダンボールにはライフル銃を安定させたと思われる跡もあり、犯人はこのビル内にいた人物であると確信しました。

そこで、すぐさまビル内の人間を招集させ確認を始めたのですが、オズワルドだけが姿を消しており、警察はオズワルドが容疑者だと判断し追い始めました。

オズワルドは13時頃にはすでに下宿先の自宅に戻っており、後に管理人がオズワルドはとても息を切らして帰ってきたと証言しました。

オズワルドは自宅に戻り着替えると、13時30分頃には映画館に入っていきました。

その時、この映画館の切符販売の女性から切符を買わず館内に入っていった不信な男がいるとの通報を受け、警察が現場に急ぎ映画館を包囲してから劇場の照明を明るくして観客を1人ずつ調べました。

13時50分、逃げられないと感じたオズワルドは警察官に殴りかかり、その場で取り押さえられ逮捕されました。

しかし、ケネディ大統領の致命傷は明らかに前方から撃たれており、教科書倉庫ビルは車の方向とは反対で後ろ側になるため、オズワルドだけが犯人であることには矛盾が生じています。

その後、オズワルドは事件発生から2日後の11月24日11時21分にダラス市警察本部から拘置所に移送される予定だったのですが、移送の際の地下通路で射殺されてしまいました。

オズワルドを射殺した犯人はルビーという男性でした。

オズワルドは射殺される前に、「何度も俺は騙された!」と訴えていたようですが、詳しく調べる前に殺されてしまったのです。

ルビーがオズワルドを射殺したのは大統領夫人の敵をとる目的だったようですが、なぜ銃を持ちダラス市警の地下に入ることが出来たのかの真相はいまだに明らかにされていません。

一部ではルビーはダラス市警に親しい警官がおり、警官が手を貸したのではないかとの話もあります。

翌年に出されたウォーレン委員会の公式調査報告書には、ケネディ暗殺事件はオズワルドの単独犯だと結論づけました。

しかし、暗殺の動機や背後関係も分からぬまま多くの謎を残しており、数々の陰謀説が出ることとなりました。

そのため、事件から半世紀も経過しているのにも関わらずいまだに議論の的となっているのです。

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機密文書がついに公開!真犯人の存在が明らかに!?

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2017年10月26日にケネディ暗殺事件に関する機密文書が2891件公開されました。

ようやくの機密文書の公開でしたが、実は公開前には多くの人たちが新たな真相や真犯人の存在は出てこないと予測していました。

しかし、それに反して事件に関する新たな真相が5つ発覚したのでした!

それらについて、わかりやすく説明します!

①犯行予告電話

機密文書の公開前には犯行予告についての情報はありませんでしたが、暗殺される25分前に匿名で犯行予告の電話があったとの真相が発覚しました。

電話が入ったのはイギリス新聞社のケンブリッジニュースで、犯行予告と言ってもはっきりとは明言しておらず、「ロンドンのアメリカ大使館に重大な知らせがあると伝えておけ」という内容で、この電話の25分後にケネディ大統領が狙撃されました。

この情報は当時のFBI副長官のメモに残されていました。

②暗殺が予想されていた

ケネディ大統領が暗殺される1週間前にルイジアナ州ニューオーリンズにあるバーで、「ケネディ大統領が3週間以内に暗殺される」と語っていた男性がいたことが発覚しました。

この話を聞いていた男性は酔っぱらって言っているだけだと思い信じてはいませんでしたが、その1週間後に実際にケネディ大統領が暗殺されたため、その話を聞いていた男性は事件に関係があるのではと思い、シークレットサービスに通報していたのでした。

この時のシークレットサービスが残したメモが機密文書として公開されたのですが、この暗殺の予想をした男性がオズワルドであったかどうかは完全に否定できないようです。

もしくは、真犯人の仕業だったのでしょうか。

③事件はキューバとの関連性なし

1962年10月から11月にかけて、キューバ危機が起こりました。

キューバ危機とは、当時のソ連がキューバに接近して核ミサイル基地を建設しようとしてたことがアメリカにバレてしまい、前面核戦争に突入かと思われるほどの緊張状態になった問題のことです。

さらに、キューバ危機の2年前には当時のアメリカのアイゼンハワー大統領がCIAとキューバのカストロ大統領の暗殺計画を進めていました。

これに激怒したカストロ大統領は、アメリカへの報復としてケネディ暗殺事件を計画したとの説が浮上していました。

そしてこの説はとても濃厚だと考えられていましたが、機密文書の中でキューバと暗殺事件は関係ないとの結論が出されていたことが発覚しました。

④事件にCIAやFBIが関与!?

機密文書の中には、当時のCIA長官に暗殺事件にCIAが関連していたか?オズワルドはCIAだったのか?などと事件の核心に迫る質問がありましたが、その答えとなるものは残されていませんでした。

また、当時のFBI長官はオズワルドが移送中に射殺されてしまったことをとても残念に思っていたとの発言も機密文書に残されていました。

しかし、この他にFBI長官がオズワルドにケネディ大統領を暗殺した事実を認める自白をさせておけばよかったと語るメモも残されていたのです。

これはやはり、世間にケネディ大統領を暗殺した犯人をオズワルドだと確信させるためですよね…。

そのような状況から、事件にCIAやFBIが関与した可能性が高いと言われています。

⑤事件の真相は闇の中!?

トランプ大統領は全ての機密文書を公開すると約束していたのですが、国家の安全保障に関わるとして前面公開は中止なりました。

国家の安全保障に関わるということは、やはり暗殺事件にCIAが関わっていることを遠回しに言っているような発言ですよね。

そのため、この先も真相を明らかにすることが出来ないほど闇が深いということではないでしょうか。

まとめ

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ケネディ暗殺事件についてわかりやすくまとめてみましたが、いかがでしたでしょうか。

ケネディ大統領は新世代の指導者であり、アメリカへの輝かしい未来に向けて『ニューフロンティア政策』を掲げて、国家や国民を勇気付けていました。

アメリカを新しい方向へ導いてくれる存在が突如暗殺されてしまい、その喪失感は現在も、消えることはありません。

機密文書の公開により真相が少し明らかになりましたが、全面公開を取り止めたことで世間には知られたくない重要な内容が隠されていることも明らかになりました。

真犯人の存在についても確信できる情報はありませんでしたが、CIAが事件に関与していた可能性は高そうですよね~。

今後も機密文書が公開される可能性は低いと考えられますので、事件の本当の真相は闇の中ということでしょうか。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました!

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