大人気歌手で1990年後半には『アムラー・ブーム』を引き起こした、安室奈美恵のことはみなさんすでに知っていると思います。
その安室奈美恵が、2017年9月20日に、自信の公式サイトである「Namie Amuro official Site」で、突然2018年9月16日を持って引退することを発表して、世間が大騒ぎになりました。
私はファンのため、引退の報道を聞いた時は寂しい気持ちや信じたくない気持ちでいっぱいになりました。
そこで今回は、年齢を重ねた今でも大人気の安室奈美恵の、デビューから引退までの軌跡をまとめました。
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安室奈美恵ってどんな人?
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私は安室奈美恵のファンなので、ある程度のことは知っていますが、引退発表後にツィッター上では、「安室奈美恵って誰?」と私にとっては衝撃的なツイートもちらほらと!!
年代の違いを感じました…(笑)。
そこでまず、安室奈美恵がどんな人なのかまとめてみました。
安室奈美恵は、1977年9月20日沖縄県那覇市生まれで現在は40歳です。
愛称は安室ちゃん。
所属レコード会社はavexで、レーベルはDimension Point、所属事務所はStella 88です。
ミュージシャンで音楽プロデューサーの小室哲哉さんは、安室奈美恵さんの数々のヒット曲を生み出していて、以前第一印象についても語っていました。
それは、たまたま見ていた「THE夜もヒッパレ」というTV番組でTRFの曲を歌っていたため、「TRFの曲は楽勝で歌って踊れます」とプレゼンしているのだと勝手に感じていた。
TRFの10代バージョンでやったらはまるだろうなと考えていた。
会ってみるとシャイな感じだけど、「大きい所でコンサートをやりたいとか、ジャネットジャクソンみたいなブラックミュージックをやりたいとか、コーディネーションハはこのスタイルでいきたいとか、明確なイメージを一人で用意して話せる子だったなどと話しています。
ファン層は、20代~30代後半までが半数となっていましたが、現在は老若男女問わずに幅広い世代から支持されています。
その為、ライブのチケットの入手は現在でも非常に困難になっています。
安室奈美恵のデビューから引退までの軌跡!
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安室奈美恵のデビューから引退までの軌跡をたどってみると、あらためて彼女の凄さが分かります。
1992年~1994年《SUPER MONKEY´S時代》
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1991年、沖縄アクターズスクール内ででダンスグループの『SUPER MONKEY´S』が結成されてメンバーに選出されました。
1992年、沖縄での活動中に東京のテレビスタッフの目に止まって芸能活動を開始することになりました。
1993年、音楽番組や、ドラマ、CM出演など活動の幅を広げていきました。
1994年4月、フジテレビ系の『ポンキッキーズ』にレギュラー出演し注目を集めました。
7月、シングル『PARADAISE TRAIN』をリリースした時から、グループ名をSUPER MONKEY´Sから安室奈美恵with SUPER MONKEY´Sに改名しました。
それと同時にライジングプロダクションの社長からMAX松浦を紹介されて、次のシングルでプロデュースすることが決まりました。
1995年1月、MAX松浦のプロデュースでシングル『TRY ME~私を信じて~』がリリースされて、73万枚を売り上げる大ヒットとなりました。
そしてこれは、ユーロビートのカバーで初のヒットを生み出すことになりました。
4月、日本テレビ系の音楽バラエティ『THE夜もヒッパレ』にレギュラー出演を始めて、リリースしたシングル『太陽のSEASON』から単独名義となって事実上ソロデビュー作品となりました。
そしてこの頃、MAX松浦と仕事のパートナーだった小室哲哉と出会って、8月には『avex dance Matrix´95 TK DANCECAMP』に出演しました。
1995年~2000年《ヒット曲を連発した小室哲哉プロデュース時代》
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小室哲哉の音楽イベントに参加した翌週、小室哲哉プロデュース第1弾シングル『Body Feels EXIT』をリリースしてavexにレコード会社を移籍し、それ以降は小室哲哉がプロデュースを担当しました。
1995年10月、ファーストアルバム『DANCE TRACKS VOL.1』をリリースして初のオリコンチャート1位を獲得して、初のミリオンセラーも記録しました。
12月にリリースされた『Chase the chance』では、シングルで初のオリコンチャート1位とミリオンセラーを記録しました。
1996年、リリースしたシングル『Don’t wanna cry』、『You´re my sunshine』,『a walk in the park』が次々とミリオンセラーを記録しました。
その頃、若者のファッションリーダーとなって、安室奈美恵を真似するアムラーが続出して、この年の流行語にもなりました。
7月、リリースしたセカンドアルバム『SWEET 19 BLUES』が出荷350万枚と当時の過去最高記録を達成して、売上もトリプルミリオンを達成しました。
この年には、東映系の映画の主演をしたり、初の写真集も発売しました。
1997年2月、リリースした『CAN YOU CELEBRATE?』がダブルミリオンを突破し、オリコン年間シングルチャート1位を獲得しました。
そしてそれが、邦楽女性ソロアーティストの歴代1位のシングル売上を記録しました。
8月、10代の歌手として史上初のシングル&アルバム総売上2,000万枚の突破を達成しました。
10月22日、TRFのダンサーのSAMとの結婚を発表して、同時に妊娠3ヵ月であることも明らかにしました。
12月、大晦日の『第39回日本レコード大賞』で、『CAN YOU CELEBRATE?』が2年連続で大賞を受賞しました。
1998年、出産のために1年間の産休に入って、5月19日に長男を出産し、育児に専念しました。
12月、復帰シングルとなる『I HAVE NEVER SEEN』をリリースして、大晦日の『第49回NHK紅白歌合戦』では、1年ぶりに公の前に登場して、『CAN YOU SELEBRATE?』を歌って、感極まり涙を流しました。
1999年、シングル『RESPECT the POWER OF LOVE』発売日の3月17日に実母が殺害される事件が起きました。
事件のショックから、しばらくは活動休止になると思われていましたが、3月29日には音楽番組『HEY!HEY!HEY!』の生放送で仕事を再開しました。
9月、ダラス・オースティンのプロデュースでシングル『SOMETHING´BOUT THE KISS』をリリースしました。
2000年1月、小室哲哉とダラス・オースティンのプロデュースによるアルバム『GENIUS 2000』をリリースして、復帰後初となるライブツアーも開催しました。
7月、九州・沖縄サミットのイメージソングとなった『NEVER END』をリリースして、サミット歓迎会では各国首脳の前で披露し、那覇市民栄誉賞を受賞しました。
《SUITE CHICとしての活動やソロではセルフプロデュースを開始》
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2001年1月に発売したリカットシングルの『think of me/no more thears』が小室哲哉プロデュースの最後となりました。
8月、自身初の作詩を担当したシングル『Say the word』をリリースしました。
7月10日、SAMと離婚をし、当初の親権はSAMに渡りましたが、2005年には安室奈美恵に移りシングルマザーとなりました。
この年から、今井了介、ZEEBRA、VERBALたちとのコラボ『SUITE CHIC』の活動に参加して、本格的にR&BやHIPHOP系の曲をリリースするようになりました。
ソロではセルフプロデュースを開始して、シングルやアルバムも発売しました。
2004年5月、初のアジアツアーを成功させて、これ以降にリリースされたCDは日韓同時発売されています。
その他、DOUBLEやAIなどともコラボレーションしたり、“GIANT SWING PRODUCTIONS”のT.KURAやMICHICOとのタッグによる楽曲もあり、存在感をさらに大きくしていきました。
安室奈美恵がJ-POPにR&Bを浸透させていった影響力は、とても大きなものとなりました。
2010年以降もライブを中心に精力的な活動!
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近年はあまり公に姿を見せなくなりましたが、2010年以降もライブを中心として精力的な活動を続けています。
NHKのリオデジャネイロオリンピック放送テーマ曲の『Hero』のヒット曲がみなさんの記憶に新しいのではないでしょうか?
その他にもドラマのタイアップ曲もヒットしています。
そして、2017年9月16日、17日に2万6千人を動員したデビュー25周年記念野外凱旋スペシャルライブを『namie amuro 25th ANNIVERSARY LIVE in OKINAWA』を開催して、現在も変わらぬ存在感を示していた矢先の突然の引退発表となりました。
安室奈美恵CDシングル売上ランキングTOP10
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安室奈美恵は、10代、20代、30代の年齢での3年代にわたってミリオン突破を達成した、唯一のソロアーティストです。
凄い偉業を達成しましたよね!
本当にもったいない気がしてしまいます。
そこで、安室奈美恵の偉業を振り返るためにも、CDシングル売上TOP10をまとめました。
安室奈美恵CDシングル売上TOP10
第1位『CAN YOU CELEBRATE?』229.6万枚(1997年2月19日発売)
第2位『Don’t wanna cry』139.0万枚(1996年3月13日発売)
第3位『Chase the Chanse』136.2万枚(1995年12月4日
第4位『You´re my sunshine』109.9万枚(1996年6月5日発売)
第5位『a walk in the park』106.7万枚(1996年11月27日発売)
第6位『Body Feels EXIT』88.2万枚(1995年10月25日発売)
第7位『How to be a Girl』77.2万枚(1997年5月21日発売)
第8位『TRY ME~私を信じて~』73.3万枚(1995年1月25日発売)安室奈美恵with SUPER MONKEY´S名義
第9位『I HAVE NEVER SEEN』65.7万枚(1998年12月23日発売)
第10位『NEVER END』64.4万枚(2000年7月12日発売)
ランキングはいかがでしたでしょうか?
1位の『CAN YOU SELEBRATE?』は、結婚式の定番曲としても有名ですよね!
学生の頃、自分の結婚式でこの曲を流したいと思っていましたが、結婚しても式を挙げなかったので実現しませんでした(笑)。
その他も、ドラマの主権やCMのイメージソングばかりで、思わず口ずさんでしまう曲ばかりです。
この頃から現在まで活躍していて、あらためて安室奈美恵は凄いなと思いました。
大流行した『アムラー』とは?
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1995年に現れて、1996年頃がピークで女性の間で流行して、『アムラー』が新語・流行語大賞のトップ10に入賞するほどでした。
アムラーの特徴は、ミニスカート、厚底ブーツ、ロングヘアの茶髪にシャギーを入れた髪型で、極端に細い眉毛、日焼けサロンなどで焼いた浅黒い肌も人気になって、特に当時の10代女性に定着していきました。
私はアムラーではありませんでしたが(笑)、凄くなつかしいです!
この頃から現在も変わらぬスタイルをキープして、ファッションリーダーとしても活躍しているなんて、本当に女性の憧れです!
まとめ
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安室奈美恵の、デビューから引退までの軌跡をまとめはいかがでしたでしょうか?
自身が学んだ沖縄アクターズスクールも注目を集め、沖縄出身アーティストの先駆けとなるなど、その人気は社会現象となりました。
ここまで活躍したため順風満帆だったかと思いきや、デビューから引退までの軌跡をたどってみると、実母が殺害された事件など、引退してもおかしくない様なことも乗り越えています。
現在でも変わらぬ人気を保っているのは、凄い努力の現れだと思いますし、精神力もとても強いのだと思います。
思わず応援したくなる魅力もありますよね。
昔から可愛いですが、40歳になった現在でも可愛いんです!
むしろ、現在の方が可愛くなってる!?
20歳の息子がいるなんて、ありえません!
引退しても彼女の今後の活動を応援していきたいと思います。
最後まで読んで頂き、ありがとうございました!