みなさんは朝鮮戦争とは何かご存じでしょうか。

実は朝鮮戦争はまだ終戦しておらず、現在は休戦中の戦争なんです!

休戦中とは何とも恐ろしいですよね~。

朝鮮戦争については学校で習ったと思いますが、あまりよく理解していません。

そこで今回は、朝鮮戦争についての経緯や原因、被害などについてわかりやすくまとめてみました!

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朝鮮戦争とは

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朝鮮戦争とは、1950年6月に大韓民国(韓国)と朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)の南北に分断された朝鮮半島で勃発した戦争のことです。

北朝鮮が南下したかことから戦争が始まり、アメリカが韓国を支援して応戦、中国軍が北朝鮮を支援して参戦しました。

1953年に北緯38度線で休戦協定が成立したため、朝鮮戦争は休戦中となっており終戦はしていません。

朝鮮戦争が勃発した原因は?

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朝鮮戦争が勃発した原因について、わかりやすく説明していきます!

1910年、朝鮮半島は日本による韓国併合によって日本の植民地となりました。

第二次世界大戦の末期、アメリカはヤルタ会談やポツダム会談などでソ連が急激な領土要求をしたことで、ソ連が単独で朝鮮半島を占領することに対して警戒心抱き始め、北緯38度線で南北を分断することを提示しソ連もそれを認めました。

1945年、アメリカやソ連などの連合国が勝利し第二次世界大戦が終結しました。

そして、第二次世界大戦に破れた日本は朝鮮半島の統治権を放棄し、アメリカやソ連はそのまま軍を滞在させて支配を続けていくことになったのです。

以前からアメリカは資本主義、ソ連は社会主義という全く違う政治体制を取っていたため全く気が合いませんでした。

これも朝鮮戦争が勃発した主な原因の1つですが、この原因によりアメリカはソ連との対立姿勢を取るようになっていき「冷戦」という新しい対立構造が生まれていったのです。

1948年、朝鮮半島では南北で別々の選挙を行いそれぞれの国家を樹立することになりました。

朝鮮半島の南側のアメリカの統治地域では李承晩(イ・スンマン)により資本主義国の韓国が誕生し、北側のソ連の統治地域では金日成(キムイルソン)によって社会主義国の北朝鮮が誕生しました。

このように、朝鮮半島では2つの異なる政治体制により分断された国家が成立することになり、これが朝鮮戦争勃発の大きな原因となりました。

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朝鮮戦争の経緯

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朝鮮戦争の経緯についてわかりやすく説明していきます!

①北朝鮮軍が軍事行動を開始

1950年3月、北朝鮮を率いる金日成は朝鮮半島を統一するためにソ連を率いるスターリンや中国を率いる毛沢東に対して、朝鮮半島での戦争許可を打診しました。

当初はスターリンが戦争に消極的でしたがソ連の利益となると考えなおし、毛沢東の同意を得ることを条件として戦争許可を出しましたが、毛沢東からの異論はありませんでした。

1950年6月25日、金日成が率いる北朝鮮軍が軍事行動を開始し北緯38度線を超えて韓国に侵攻しました。

そこで、国際連合の安全保障理事会が緊急会議を開いて即時の停戦と北朝鮮の撤退勧告を決議しましたが、ソ連は中国代表権問題で他国と対立していたため理事会を欠席していました。

アメリカのトルーマン大統領は緊急だと判断し、アメリカ軍を単独で派遣することを決意し日本に駐留しているアメリカ軍に出動を命じました。

一方で北朝鮮軍は1950年6月28日にソウルを占領しましたが、金日成が当初期待していた韓国の国民の暴動や反乱は起きませんでした。

②圧倒的な北朝鮮勢力

北朝鮮軍の進撃は止まることなく米軍を破り南端にある釜山にまで迫りました。

朝鮮戦争は北朝鮮の奇襲攻撃により始まりましたが、最初は北朝鮮が圧倒的に優勢だったのです。

なぜならば、当時の北朝鮮軍の装備はソ連の兵器などを援助してもらっていたこともあり、韓国軍は比べ物にならないほど貧弱なもので北朝鮮軍の攻撃に耐えることができずアメリカ軍の援護もありませんでした。

しかし、このような状況になりアメリカ軍が黙って見ているわけはありません。

1950年7月7日、国際連合の安全保障理事会は国連軍の派遣をソ連が欠席のまま決議し、米軍のマッカーサーを統一司令部に任命しました。

国連軍という名目でしたが、そのうちの9割はアメリカ軍によって構成されていました。

1950年9月15日、マッカーサーは北朝鮮軍に対してソウル近くの仁川への上陸作戦を展開し成功すると、一気に形勢を逆転させソウルを奪回しました。

そして、アメリカ軍は北緯38度線を越えて北上し、1950年10月20日には平壌も墜落させました。

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③中国の参戦と休戦協定

これらに対して中国政府が北朝鮮の支援を決意して、大量の中国人民義勇軍を送り応戦しました。

中国軍が参戦したことによりアメリカ軍が後退し北緯38度線の南川に押さえ込まれたため、アメリカ軍はソウルを放棄しました。

1951年4月、アメリカのトルーマン大統領はマッカーサー司令部を解任し、長い休戦交渉をして1953年7月27日に南北朝鮮の代表や米中代表などが板門店にて朝鮮休戦協定に調印しました。

この休戦協定の成立には、1953年1月にアメリカのアイゼンハウアー大統領が就任したことや、1953年3月にソ連のスターリンが死去したことで起きた政権交代が大きく影響したとされています。

朝鮮戦争による被害は?

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朝鮮戦争による被害についてですが、統計により戦死者数などの数字に大きな差があり正確な被害がわかっていません。

そのため、あくまでもさまざまな統計を総合して出した数字となっています。

まず、北朝鮮では北朝鮮軍が40万人、中国軍50万人が戦死し、毛沢東の長男も朝鮮戦争で亡くなりました。

そして、韓国では韓国軍が28万人、アメリカ軍4万人が戦死し、その他の国連軍は合わせて約3,000人が戦死しました。

さらに、朝鮮半島全土が戦場になったため多くの一般市民も犠牲になり、北朝鮮では250万人、韓国では133万人の膨大な人数の犠牲者を出してしまいました。

この他、国の方針に逆らい大統領の命令で暗殺されてしまった人たちも含めると朝鮮戦争での死亡者は500万人以上になるとも言われています。

統計により数字に差はありますが、朝鮮戦争は北朝鮮と韓国が共に大きな被害を受けて休戦する形になったことには間違いありません。

朝鮮戦争勃発による世界への影響は?

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朝鮮戦争は休戦中となりましたが、アメリカとソ連の対立姿勢はそのままとなりました。

また、冷戦により分断されたのは朝鮮半島だけではなく、ドイツやベトナムなども分断されてしまったのです。

ドイツではソ連の統治地域ではドイツ民主共和国となり、アメリカやイギリス、フランスがの統治地域ではドイツ連邦共和国として誕生しました。

その後、1960年には2つに分けられていたベルリン市内にベルリンの壁が建設され1989年に崩壊しましたが、このベルリンの壁も冷戦の象徴とされています。

ベルリンの壁については以前に詳しくまとめてありますので、よろしければこちらもご覧下さい!

ベルリンの壁の歴史をわかりやすく説明します!なぜ作られたのか。なぜ崩壊したのか。

そして、ベトナムでは北緯17度線を境として北側にベトナム社会主義共和国、南側にはベトナム共和国が誕生することになり、のちにベトナム戦争という朝鮮戦争のような戦争へと発展することとなりました。

朝鮮戦争が勃発したことにより、世界にも大きな影響を与えていたことがわかりました。

その当時の日本への影響はどうだったのかと言いますと、朝鮮戦争ではアメリカの前線基地としての役割があり、武器や兵器などは日本から発注されていました。

ですので、日本の製品は作ったら作った分だけ売れて儲かるこの特需景気により、第二次世界大戦による被害でボロボロだった日本は「もはや戦後ではない」と言われるほど、一気に復活することとなりました。

第二次世界大戦の空襲により大きな被害を受けていた日本でしたが、朝鮮戦争にて日本の産業が復活するとは…本当に世の中何が起こるか分かりませんね。

まとめ

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朝鮮戦争とは何かについてわかりやすくまとめてみましたが、いかがでしたでしょうか。

朝鮮戦争とは、1950年6月に韓国と北朝鮮の南北に分断された朝鮮半島で勃発した戦争のことです。

朝鮮戦争が勃発した原因をわかりやすく説明すると、朝鮮半島の南北を統治していたアメリカと北朝鮮の仲がとても悪かったからです。

朝鮮戦争による被害や世界への影響もとても大きいものだったことがわかりました。

現在、朝鮮戦争は休戦中ですがこれ以上の被害を出さないで欲しいと願うばかりです。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました!

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