ドイツ最大の都市である首都ベルリンには多くの観光客が訪れていますが、ベルリンと聞くとベルリンの壁という言葉を思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。

ベルリンの壁はドイツの歴史の象徴であり、有名スポットとなっています。

しかし、ベルリンの壁という言葉は聞いたことはありますが、ベルリンの壁が作られた理由やどのように崩壊したのかまでは詳しく知りません。

そこで今回は、ベルリンの壁についての歴史をわかりやすくまとめてみました!

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ベルリンの壁とは

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ベルリンの壁とは、1961年にドイツの首都であるベルリンで東ドイツにより突然建設された西ベルリンの周りを囲む全長約155km、高さ3mの壁のことです。

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ベルリンの壁があった場所をわかりやすく説明すると、上の図の赤い線で囲まれた部分です。

ベルリンの壁は東西ドイツを分断していた壁だと勘違いしている人もいるようなのですが、東西ベルリンを分断していた壁ですので注意してくださいね。

第二次世界大戦後ドイツは東西に分断されており、東西の間にある国境が閉鎖されていたのですが、ベルリンだけは東西の往来が自由になっていました。

しかし、西ベルリンの周りを囲むベルリンの壁が出来てからはベルリンの西側部分が東ドイツと東ベルリンから分離されてしまい、東西ドイツを往来することが自由にできなくなってしまったのです。

ベルリンの壁が作られた理由は?

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ドイツは第二次世界大戦に敗戦後、アメリカ・イギリス・フランス・ソ連の連合国によって東ドイツと西ドイツに分断されてしまいました。

そして、東ドイツはソ連が占領したのですが、その中のあるベルリンはさらに東西に分断され東ベルリンはソ連が、西ベルリンはアメリカ・イギリス・フランスが統治することになりました。

わかりやすく説明すると、東ドイツの中に西ドイツの領地である西ベルリンがポツンとあり、まさに陸の孤島のような状態となってしまったのです。

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その後、ソ連社会主義の東ドイツと資本主義の西ドイツの経済格差は徐々に広がっていきました。

東ドイツの経済は悪化してきいましたが、西ドイツと西ベルリンの経済は成長し続けたため、市民の生活もとても豊かになりました。

当初は東西のベルリンの往来が自由だったため、住居は西ベルリンで仕事は東ベルリン(逆もあり)という人もいたのだとか…。

しかし、次第に西ベルリンの自由で豊かな生活を求めて東ベルリンから亡命する人が増えていき、亡命した人の人数はなんと約200万人にも上ったのでした。

そのため、東ドイツは国家の存続危機を感じて焦り東ベルリンの人々が西ベルリンに逃げられないように、壁を作ろうと考えそれを実行したのです。

1961年8月13日午前0時、東西ベルリンを分ける境界線が突然封鎖され、西ベルリンの周りを囲む有刺鉄線による壁の建設が開始され、6時にはほとんどの道が通行不可能となり13時に完成されました。

そして、2日後に石造りの壁の建設が開始されましたがそれで終了ではなく、乗り越えられないように数回作り替えられ最終的には、西ベルリンの周りを囲む高さ3m程のコンクリート製の2重の壁が完成しました。

2重の壁の間は数十メートルの無人地帯とされていましたがそこに人が入れば射殺され、犬が放たれたり地雷が設置されたりするなどあらゆる手が尽くされました。

本当に起きた出来事だとはとても信じられませんが、ある日突然作られたベルリンの壁によって、家族や友人たちと会えなくなってしまった人や、仕事に行けなくなってしまった人も大勢いたのです。

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ベルリンの壁による影響とは?

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西ベルリンの周りを囲むように作られたベルリンの壁でしたが、実際は東ベルリンの市民を閉じ込めるために作られた壁でした。

そして、東ベルリンの市民はベルリンの壁に近づくことすら許されず厳重な警備や有刺鉄線も張られていましたが、東ベルリンから西ベルリンへと逃げようとする人々はいなくならない状態でした。

1961年にベルリンの壁が作られてから東ドイツから西ドイツへと逃れた人々は23万人おり、その中でベルリンの壁を乗り越えて亡命した人々が約5,000人いました。

西ドイツへと逃れられた人々がいたのは、1964年頃まではベルリンの壁の国境管理がまだ甘かったためです。

最近の調査によると、1962年8月に西ベルリンに逃れようとベルリンの壁を乗り越えて銃で撃たれ死亡した18歳の少年以来、ベルリンの壁を乗り越えようとして亡くなった人が136人いたということが確認されました。

東ドイツから逃げるためにトンネルを掘ったり、気球で脱出に成功した人もいたそうですがまさに命がけの脱出だということがわかります。

亡くなった人の中には、壁の近くで遊んでいた子供たち2人の命も含まれています。

さらに、実際にベルリンの壁を乗り越えようとしたが未遂に終わったり、準備をした人々が6万人程いるとされています。

同じ世界の違う国で、このようなことが現実に起こっていたとは本当に信じられません。

ベルリンの壁がついに崩壊!

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1980年代の後半になると、ドイツ周辺のハンガリーやポーランドなどの東欧諸国では民主化の動きが強まっていきました。

1985年、ゴルバチョフ氏がソ連の書記長に就任すると「ペレストロイカ」という改革を実施したことをきっかけとして、自由化や民主化を求める声が強まりました。

1989年、民主化を進めていたハンガリーやオーストリアの国境が解放され、それらの国をを経由して東ドイツから西ドイツへと逃れる人が増えていきました。

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10月になると、東ドイツの人々が公然と自由を求めて路上で反政府のデモを行うようになり、デモの参加者も徐々に増えていきました。

この状況を受け止めた旅券局長だったラウラーが規制を大幅に緩和するため、「外国旅行を認め、出国ビザを遅滞なく発行する」政策を打ち出しましたが、閣議に通す前に謝って発表した人物がいたのです。

1989年11月9日、夜になると東ドイツ政府のギュンター・シャボウスキーが「すべての東ドイツ国民の出国を認める」と発表しました。

その発言に対して記者が「いつから出国が認められるのですか?」と質問すると、シャボウスキーは「私の理解では、今からです。」と発言したのです。

なんと、シャボウスキーの勘違いにより「東ドイツの国民が自由になるのは、今でしょ!」と言ってしまったのです!

こんなに軽い口調ではないと思いますが、わかりやすく説明するためですのであしからず…。(苦笑)

この記者会見が行われた直後に、東ベルリンの市民が西ベルリンへの出国を求めて壁に押し寄せ、あまりの混乱状態に1つの検問所が集まった人々を通し、他の検問所でも通し始めました。

集まった人々はハイテンションになり、ベルリンの壁によじ登ったりハンマーなどで壁を破壊し始めてしまいました。

28年間東西のベルリンを分断していたベルリンの壁の建設は突然でしたが、崩壊も一瞬でついに国境が開かれたのでした。

このベルリンの壁の崩壊によって、東西を分断していた国境が事実上なくなりました。

そらから約1年後の1990年10月3日、東西ドイツは統一されました。

ベルリンの壁は、ドイツの分断と東西冷戦の象徴とされています。

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 現在のベルリンの街は?ベルリンの壁はまだあるの?

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ベルリンの壁により家族や友人たちと突然会えなくなってしまった悲しい歴史があるベルリンですが、その28年間を取り戻そうとしたドイツ政府はベルリンの再開発に取り組みました。

そして、さまざまな問題と向き合い自分たちの歩む道を考えた結果、都市と自然の共生を目指して進んでいきました。

その取り組みの結果、ベルリンは絶対菜食主義者であるヴィーガンの世界一の人口を持つ街となり、寛容性や多様性に満ちあふれた街へと成長しました。

ベルリンは失われた28年間を取り戻すべく、一気に21世紀型のデジタル経済へと変化したのでした。

さらに、現在のベルリンは多くのアーティストも集まる街となっており自由な雰囲気もあり、他の大都市と比較すると生活のコストも安いようです。

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現在、ベルリンの壁の一部は残されていますがほとんどは撤去されていますが、壁があった場所には石が埋め込まれてどこに壁があったのかはわかるようになっています。

ベルリンの壁の跡地には世界中から観光客が訪れ、歴史に思いを巡らせています。

まとめ

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ベルリンの壁についての歴史をわかりやすくまとめてみましたが、いかがでしたでしょうか。

ベルリンには、東西に分断されただけでなく壁が建設されるという信じられない歴史があることがわかりました。

もしも突然、私の身の回りに同じような出来事が起きたらと考えただけでゾッとします。

現在のベルリンは再開発が行われ多くの観光客たちが訪れていますが、悲しい歴史があることを忘れてはなりませんね。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました!

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