少しずつ暖かくなってきて、春の訪れを感じるようになってきましたね~!

まだ寒い日もあるようですが、もう少しで桜の季節です!

春のイベントの一つに「お花見」がありますが、みなさんは毎年お花見をしていますか?

私が社会人の頃は、職場の仲間たちとお花見をしながら飲んだり食べたりワイワイ騒いでいました。

あの頃は楽しかったな~。(笑)

現在は、子供と公園に行って「桜が咲いてるね~!キレイだね~!」ぐらいで終ってしまっています。

しかし、公園にはシートを広げてお弁当を並べ、お花見をしている人たちがいるわけで…。

子供「あの人たち何してるの~?」

私「お花見だよ~!」

子供「お花見って何?」「何で桜を見るの?」

私「………。」(苦笑)

と、子供たちからの質問が!

日本人はお花見が好きな人は多いですが、お花見の意味や由来はあまり知られていないのではないでしょうか?

そこで今回は、お花見についての歴史や由来を、子供向けにもわかりやすくまとめてみました。

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お花見とは

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お花見は古来から日本人が楽しみにしていた、春の訪れを喜び祝う風習です。

お花見といっても、この場合の「花見」は全ての花のことではなく、主に桜の花のことを意味しています。

梅は観梅や梅見、菊は観菊などとそれぞれの花の名前をつけて表現します。

お花見の歴史や由来

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お花見の歴史や由来について、時代の流れに沿って分けてわかりやすくまとめてみました。

お花見の起源は奈良時代!花見の中心は桜ではなく梅だった!

まず、日本のお花見の起源は奈良時代の貴族の行事だと言われています。

現在はお花見といえば桜ですが、奈良時代は遣唐使によって中国から伝来したばかりの梅が鑑賞されていました。

お花見=桜に代わったのは、遣唐使が廃止された平安時代のことでした。

このことは歌にも現れていて、奈良時代の「万葉集」には、桜を詠んだ歌が43首に対して梅を詠んだ歌が110首程ありました。

その後、平安時代の「古今和歌集」ではその歌の数が逆転して、桜を詠んだ歌が70首に対して梅を詠んだ歌が18首になっています。

奈良時代は徐々に桜の人気が高まってきていた時代だったんですね~!

平安時代にお花見といえば桜になった!

桜のお花見は、平安時代から宮中などで盛んに行われて多くの詩歌が詠まれるようになりました。

「日本後記」には、812年に嵯峨天皇が桜を気に入って、天皇のための庭園である神泉苑で「花宴の節」を催されたと記され、桜のお花見の記録としては一番最初とされています。

お花見は貴族たちが詩歌を披露する場所でもあったようです。

そして、平安時代には貴族たちの間で桜を邸内に植えることが大流行し、優雅にのんびりと暮らすことが良いとされていた時代でもありました。

鎌倉時代にはお花見が武士にも流行!

鎌倉時代になると、貴族の間で浸透していたお花見が武士にも浸透していきました。

この頃には、京都の寺や神社や山々にも桜が植えられ始め、日本に桜が浸透していきました。

また、室町幕府の8代将軍の足利義政が1468年に花頂山大原野の花見を行い、大規模なお花見も行われるようになりました。

その他に有名なお花見には「醍醐の花見」や「吉野の花見」があり、安土桃山時代に豊臣秀吉が開催しました。

農民たちが行っていたお花見もあった!?

これまでは、貴族の間で行われていたお花見をまとめましたが、実はこれとは別に農民たちの間で行われていたお花見もありました。

農民の間では古くから、春に農作業を始める前に山に入って豊作を祈願する「春山入り」や「春山行き」と呼ばれる風習がありました。

その風習は桜の木の下で、農民たちが重箱に詰めて持ち寄ったご馳走や酒と共に宴を催して、田の神様に豊作を祈願するものでした。

古来から桜は「サ(田の神)」の「クラ(座)」とされ、紙が山から下りて来ると桜が咲き誇ると信じられていたのです。

桜の木の下で飲んだり食べたりするのは、現在のお花見と似ていますよね!

この他にも、まだ天気予報がなかった時代だったため、農民たちが桜の開花具合からその年の豊作や凶作を占っていたそうです。

江戸時代になると現在のお花見スタイルが定着!

江戸時代に入ると、貴族の間で行われていたお花見と農民の間で行われていたお花見が融合して、現在のお花見スタイルが定着していきました。

そしてついにお花見が庶民にも浸透していきました。

庶民にも浸透したのは、当時の将軍だった徳川吉宗が、庶民の中に貧困などが原因で暴動や問題を起こす人がいることを見かねていたことが始まりです。

庶民にも娯楽を与えようと各地に桜を植え、徳川吉宗が庶民にもお花見を推奨したことから、お花見が全国的に一気に広まりました。

この頃からお花見が、大勢でにぎやかに無礼講で楽しめる行事になり、お弁当やお酒を楽しむ現在のお花見スタイルになりました。

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お花見団子の由来は?

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お花見といえば、三色団子を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか?

実は、三色団子は豊臣秀吉が開催した「醍醐の花見」で全国各地から甘味を集めて皆にふるまったのが始まりだとされています。

それまでの団子は甘いものではなくて、しょうゆなどを付けて食べていましたが、甘いもの好きな豊臣秀吉が三色の甘いお花見団子を考案させました。

その後、花見といえば三色団子となり、「花より団子」のことわざも出来ました。

三色団子のピンク、白、緑にはそれぞれ意味があり、季節を表現しています。

ピンクは桜の色で春、白は雪の色で冬、緑はヨモギの色で夏を表現していて、秋を意味する色がないため「飽きが来ない」とし、団子屋さんからも好評でした。

また、紅白でめでたいことや緑が邪気を払うとされていることから、お祝いの席でも登場するようになりました。

豊臣秀吉が甘い物好きだったとは、イメージが変わりました。(笑)

お花見について子供向けにわかりやすく説明するには?

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お花見について子供に聞かれたときにわかりやすく説明出来るように、子供向けにもまとめてみました。


今からずっとずっと昔の農民たちは、お米を作る田んぼには「田の神様」がいると考えていたんだよ。

田の神様は、冬の間は山に住んでいるんだけど春になると農民たちの住んでいる村に帰ってくると信じられていたの。

だからね、農民たちは春になって桜の花が咲くと、田の神様が帰って来てくれたと考えて、桜の木の下で田の神様におもてなしをしたことがお花見の始まりだったんだよ。

そして、お米がたくさん出来るようにおいのりしたり、桜がどのくらい咲いているかを見てうらないもしていたんだって。

今みたいに「桜の花キレイだね~!」って楽しむようなお花見になったのは、平安時代時代で、貴族と呼ばれる人たちが桜の花を見ながら、詩を作っていたのがもとになっているんだよ。

今はお花見は桜の花だけど、その前は梅の花だったんだって。

鎌倉時代になると貴族以外の人にも広まっていって、江戸時代にはみんなが桜の木の下で、お弁当を食べたり歌を歌ったりして、春が来たことを楽しむお花見になったんだよ。


私なりに子供向けにわかりやすくまとめてみましたが、いかがでしょうか?

子供向けですので要点だけだいぶコンパクトにまとめましたが、ぜひ参考にしてみてくださいね~。

まとめ

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お花見についてのまとめはいかがでしたでしょうか?

桜の写真を見るだけで、気持ちがパッと明るくなりますよね~。

現在はお花見といえば桜ですが、梅がブームの時もあったんですね!

子供向けにもわかりやすくまとめてみましたので、ぜひ参考にしてみてくださいね。

お花見は時代の流れによって、キレイな桜の木の下で飲んだり食べたり歌ったりするようになったとは、お花見好きな私にとっては嬉しい変化です!

ただ楽しいだけじゃなくて、場所取りなとで大変な思いをする人もいるかと思いますが…。(苦笑)

ちなみに、桜といえば「ソメイヨシノ」が主流ですが、これは染井村の植木屋さんが品種改良して作ったことから、桜の名所の吉野にあやかってソメイヨシノと名付けられたんだそうですよ。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました!

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