レトルトカレーの歴史
最近では地震や台風、津波といった災害対策の一環として、非常食、保存食としての重要性も注目されているのがレトルトパウチ食品ですよね。
中でもレトルト食品でポピュラーな商品と言えばやはりカレーですが、カレーはインドで誕生したのちイギリスから日本にやってきて、日本食ともいえるあのカレーライスが出来上がったわけです。
しかしいつからカレーをレトルトパウチ商品にして発売されたのか、皆さんはご存知ですか?
そこで今回はレトルトパウチ食品、中でもレトルトカレーについて深く掘り下げてご紹介してまいりましょう。
外国では通用しない?レトルトカレーという言葉
そもそも「レトルトカレー」というのは和製英語だって皆さんは知っていましたか?
ですから外国の方に「レトルトカレー(retort curry)」と言っても通じないんです。
では何といえば世界で通じるのかと調べてみると、一般的には「レトルトパウチカレー(retort pouch curry)と表現するとニュアンスは伝わるようです。
しかしたとえばアメリカでは、調理済みの食品をポリエステルなどの袋に密閉して販売すること自体が少なく、大体は箱や紙に近い素材の袋に入れて販売されていたり、または缶詰での販売のため、イメージが湧きにくく通じづらいようです。
レトルト食品とは
ではまずはレトルト食品についてご説明しておきましょう。
レトルト食品とは、「レトルトパウチ食品」の略称であり、調理済みの食品をポリエステルなどの気密性や遮光性がある袋に密閉して、高温殺菌したものをいいます。
細菌は120℃で4分以上晒されると死滅することから、レトルト食品の多くは気密性容器に詰められたあと、120℃、4分以上の高温高圧の下で殺菌されています。
レトルト食品は長期保存ができますし、調理する手間を省けて食べるまでに手間もそれほどかからないという点が、人気を博している理由の一つではないでしょうか。
レトルト食品といえばカレー、という時代は過ぎ、今ではミートソースやシチューなどのルー関連だけではなく、牛丼やおかゆ、ハンバーグやミートソース、スープに至るまで多種多様な商品がラインナップされています。
とはいえ、多くのレトルト食品が販売されている現在でも、売上高の3分の1以上はレトルトカレーで占められているといいますから、いかに日本人にとってレトルトカレーが馴染み深いかということが窺えます。
レトルトパウチ食品の元祖
レトルトパウチ食品といえば袋に密閉しているもの、というイメージがありますが、広義では加圧加熱殺菌全般を指すため、缶詰も含まれています。
この元祖となるものを生み出したのが、フランス人の二コラ・アペール氏と言われています。
ニコラ・アペール氏は1804年、「細長いビンや広口のビンにあらかじめ調理した食品を詰め、コルクでゆるく栓をし、湯煎鍋に入れて沸騰過熱して30分から60分後にビン内の空気を除いて、コルク栓で密封する」という保存食品の製造法を考案しました。
それまでは塩蔵や乾燥、燻製などの長期保存方法しかなかったところ、これにより水分を多く含んでいるにも拘らず風味を損なわないという、大変画期的な保存方法が発明されたわけです。
レトルトパウチ食品の発祥とは
では、加圧加熱殺菌をする保存方法が発明されてから、いつ頃にレトルトパウチ食品が発明されたのでしょうか?
実は二コラ・アペール氏が上記の保存方法を発明してから、1917年にはフランスで回転式のレトルト装置が開発され、1940年代後半にはドイツで全自動型のレトルト殺菌装置が開発されていますが、100年以上の時を経た1950年ごろになって、アメリカ陸軍補給部隊研究開発局が缶詰に替わる軍用携帯食として開発したのがレトルトパウチ食品の発祥と言われています。
この時、アメリカ陸軍補給部隊研究開発局は缶詰の重さや、空缶処理の問題を改善するのが狙いであったといいます。
その後、NASAのアポロ計画において宇宙食として採用されたことで、多くの食品メーカーに注目されるに至りました。
実際、1969年のアポロ11号に積み込まれ、宇宙で食べられることで、多くに市民の目を引き付け代注目を浴びることになります。
しかしアメリカでは当時、既に一般家庭に冷凍冷蔵庫が普及しており、各種の冷凍食品が発売されていたことからまったく普及しなかったそうです。
レトルトカレーの誕生秘話とは
それではアメリカで普及しなかったレトルトパウチ食品、とりわけレトルトカレーはいつ日本にて誕生したのでしょうか?
アメリカでは冷凍冷蔵庫が普及していたことで普及促進に至らなかったわけですが、その頃日本では冷凍冷蔵庫の普及が遅れていたため、大方が常温で流通しており、保存できるのは缶詰が主流でした。
そんな中、1968年2月に大塚食品が世界初の一般向けレトルトカレーである「ボンカレー」を地域限定で発売したことで、爆発的なヒットとなります。
ちなみに、沖縄県では今でも当時とほぼ同じパッケージのボンカレーを販売されているところがあるようですよ。
大塚食品がレトルトカレーの開発に乗り上げたきっかけ
大塚食品が開発に乗り上げたきっかけとしては、カレー粉やカレー商品の普及が進んでいたもののメーカー間の競争は激化していき、他社との差別化を図りたいという思いからレトルト技術に着目したのではないかと言われています。
またなぜレトルト技術に着目したのかといえば、アメリカのパッケージ専門誌『モダン・パッケージ』に掲載された「US Army Natick Lab」の記事で、缶詰に代わる軍用の携帯食としてソーセージを真空パックにしたものが紹介されていたのを見てひらめいたと言われています。
しかし一説によれば、不良在庫のカレー粉をなくすためにはどうしたらいいかを模索していたところ、「関連会社の大塚製薬が持っていた点滴液の加圧加熱の殺菌技術を応用すれば、レトルトカレーが作れるのではないか?」という発想から生まれたのではないかとも言われています。
なお、カレーには多くのスパイスが使われているため、レトルト臭と呼ばれる加熱不快臭が発生しても食感に影響しにくいため、カレーはレトルトパウチ食品としては適切だったのでしょう。
試行錯誤されてアルミ箔パウチに
しかし当時のレトルトカレーのパウチは透明な合成樹脂によるものであったため、賞味期限を延ばすことができずに数か月しか持たなかったり、強度も弱かったと言います。
そこでパウチ素材にアルミ箔を使うことで賞味期限を大幅に伸ばすことに成功した大塚食品は、翌1969年4月にはパッケージングを改良して全国発売にこじつけることができました。
しかし当時は保存性よりも「お湯で温めるだけで美味しく食べられる」という便利性を前面に打ち出した広告展開となっており、保存食というよりはインスタント食品の一種として普及していったようです。
その後のレトルトカレーの遍歴
1968年に大塚食品から始めてレトルトカレーが販売されたのち、1971年にはハウス食品からもレトルトカレー「ククレカレー」が発売されます。
これによりレトルトカレーも競争社会となっていきます。
そして1978年には、のちに日本最大のカレーチェーンとなるCoCo壱番屋の1号店が名古屋でオープンし、1980年にはヱスビーから高級カレーである「フォン・ド・ボー・ディナーカレー」が発売されましたが、最初は缶詰で発売されていたようです。その後1982年にはレトルトの「フォン・ド・ボー・ディナーカレー」も発売されました。
ちょうどこの1980年代は空前のバブル期に突入していきます。
そうするとグルメブームの時代に突入し、それまではカレーといえば家庭的な食べ物というイメージでしたが、一気に高級志向へと転換されていったことが、ヱスビーの「フォン・ド・ボー・ディナーカレー」が発売された背景にあります。
また激辛ブームが巻き起こると、レトルトカレーでも激辛志向の新商品が続々と発売されました。
グリコから激辛志向のレトルトカレー「LEE」が発売されたのも1986年です。
この「LEE」は、いくつかの辛さのレベルから選べるようになっていましたが、基本的に全て辛口なので「甘口」「辛口」ではなく、「辛さ×10倍」「辛さ×20倍」というように表記されていました。
まとめ
いかがでしたでしょうか。今では私たちの身近にあるレトルトカレーですが、掘り下げてみるとレトルトパウチ食品の発祥やレトルトカレーの誕生秘話なども知ることができました。
こうしてみていくと、レトルトカレーが生まれるまでにもたくさんの紆余曲折があったんですね。
皆さんの周りにも、レトルトカレーのほかにも意外に歴史深い、興味深いものがあるかもしれません。ぜひ探してみてください。
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