日本では馴染みが薄いかもしれませんが、アメリカではほとんどの人が知っているOJシンプソン事件をご存知ですか?

OJシンプソンはアメリカの国民的スーパースターの元アメリカンフットボール選手(現在70歳)です。

この事件は彼が殺人容疑で逮捕され裁判になった事件であり、最終的に大逆転があった裁判で世界中から注目されました。

また、OJシンプソン事件はドラマ化(「アメリカン・クライム・ストーリー」)もされ、実際の事件を扱い現代社会に疑問を突きつけるなど、名作だと話題になっているようです。

そこで今回は、全米をゆるがしたOJシンプソン事件についてわかりやすくまとめて、事件の真相や現在にも迫ってみました!

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OJシンプソン事件の概要

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OJシンプソン事件を発生から裁判まで順番にわかりやすくまとめてみました。

事件発生

OJシンプソン事件の始まりは、1994年6月13日午前0時10分頃でした。

近所住民の通報によって、シンプソンの元妻のニコール・ブラウンと、その友人のロナウド・ゴールドマンの血だらけになった死体が、カリフォルニア州ロサンゼルスにあるニコールの自宅玄関前で発見されました。

最初に刑事として現場に駆けつけたのは、ロサンゼルス市警のマーク・ファーマン刑事で、シンプソンを追いつめたキーパーソンの1人です。

ゴールドマンは身長が180cmで格闘技の達人でもあったため、体格や腕力が彼に勝る男性が犯人だと考えられました。

事件発覚当時、シンプソンはイリノイ州シカゴにいました。

しかし、ニコールが生前にシンプソンからのストーカー被害に悩まされ警察に通報したこともあったことから、シンプソンがすぐに犯人として浮上していました。

カーチェイスの生中継

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事件から3日後の6月16日、シンプソンに第1級殺人罪で逮捕令状が下りました。

事件現場に残されていた血痕をDNA鑑定した結果、シンプソンの血液と一致したのです。

これにより、シンプソンは元妻を亡くした悲劇のスーパースターから一転して、容疑者となりました。

この時、シンプソンは友人の運転する車の助手席に乗っていて、ロサンゼルスのフリーウェイでパトカーの追跡を振り切りカーチェイスが展開されました。

このカーチェイスはとても有名な出来事で、20台のパトカーと20機のヘリコプターが動員され、映画さながらの光景は全米で生中継され2時間にわたる大規模な追跡劇が繰り広げられました。

全米で生中継されたため、逃亡するシンプソンの車を発見して追いかける者も多数出現しました。

また、カーチェイスは夕飯の時間と重なりましたが、テレビに釘付けとなりピザの注文が激増、その日のピザの売り上げはとても高かったようです。

いかに注目されていたのかがわかりますよね。

カーチェイス時にはシンプソンは逃げ切りましたが、その2時間後に弁護士立ち会いのもとで逮捕されることとなりました。

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刑事裁判

ここからは、OJシンプソン事件の刑事裁判についてわかりやすくまとめていきます。

凄腕弁護団「ドリームチーム」の結成

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逮捕後、シンプソンは完全無罪を主張し凄腕弁護団を結成しました。

そのメンバーにはどんな人がいるかと言うと…

①当時全米一の弁護士とされていたロバート・シャピーロ氏。

②マイケル・ジャクソンの裁判も担当したジョニー・コクラン氏。

③マイク・タイソンの事件を担当した憲法学者のアラン・ダーショビッツ氏。

④JFK事件などの調査をした法医学者のヘンリー・リー氏。

などによる凄腕弁護団が結成されました。

凄腕弁護団は、とてもわかりやすく「ドリームチーム」と呼ばれ、弁護士費用は約5億円とされています。

規模が凄すぎます!

刑事裁判の開始

1995年1月24日、刑事裁判が開始され全米のメディアにより連日法廷の様子が生中継されました。

裁判の法廷ではシンプソンからの発言は一切ありませんでした。

これは、シンプソンが頭の良い男ではないとの判断からで、弁護団が検察側の証拠を否定出来ればシンプソンが証言をしなくても、無罪を勝ち取ることが出来るとの考えからでした。

シンプソンが話すとボロが出ると思われていたとは…ドリームチームから信用されていなかったんですね~。(苦笑)

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事件現場には3つの物的証拠が!

①血の付いた靴跡

マーク・ファーマン刑事は、血の付いた靴跡を現場で発見していました。

その靴跡のサイズはアメリカの中でも40店舗でしか販売されていない「ブルーノマリ」というブランドの靴で、サイズはシンプソンと同じ30cmでした。

店舗数は少いものの、その中の1つのお店がシンプソンがよく靴を買っていたお店だったのです。

これに対してドリームチームは実際に店に訪れて確認し、シンプソンにそれと同じ靴を販売した人はおらず、靴を持っていた証拠はないと反論しました。

当時、警察の捜査ではシンプソンの持ち物の中からこの靴は見つかりませんでしたが、シンプソンが靴を処分したのではないかと考えられていました。

②血の付いた靴跡の左側に残されていた血痕

マーク・ファーマン刑事は靴跡の左側に残された血痕も発見していました。

この左側という点から、犯人が左手にケガをしている可能性が考えられていました。

そして、事件翌日に事情聴取を受けたシンプソンは左手中指にケガをしていました。

さらに、事件当日の犯行時刻前の夕方にシンプソンが娘のダンス発表会に訪れた際に撮影された写真には、左手中指のケガはありませんでした。

これらの点から、シンプソンが左手中指にケガをしたのがダンス発表会後から事情聴取前までとされ、犯行時刻の可能性もありました。

現場に残されていた血痕をDNA鑑定するとシンプソンの血液と一致したため、検察は事件の夜にシンプソンがケガをして血痕を残したと主張しました。

この主張に対してドリームチームは、事件当日にシンプソンはニコールの家には行っておらず、左手中指のケガはシカゴのホテルで割れたグラスの破片でケガをしたと反論したのです。

まさかの反論でしたが、事件当日にシンプソンが滞在していたホテルの部屋を、警察が事件翌日に撮った写真には割れたグラスと血の付いたタオルが写されており証拠も残されていました。

③血の付いた黒い右手の手袋

マーク・ファーマン刑事は事件発覚直後に、事件を知らせるために元夫であるシンプソンの自宅を訪れていました。

その時シンプソンは不在でしたが、マーク・ファーマン刑事が落ちている血痕に気づきました。

そこで、捜査令状はありませんでしたがマーク・ファーマン刑事は門を乗り越えて自宅敷地内に入り、血の付いた黒い右手の手袋を発見しました。

そして鑑定の結果、その発見された手袋に付いていた血痕は、殺害されたニコールとロナウド・ゴールドマンの血液だということが判明しました。

この決定的な証拠を発見したマーク・ファーマン刑事には、市民から多くの賞賛の声が上がりました。

この決定的な証拠を前にして、検察は陪審員の前でシンプソン本人に手袋をはめさせることにしました。

その結果はなんと!

シンプソンの手にはあまりにも小さすぎて、入らなかったのです。

これ以上ない決定的な物的証拠だと思われましたが、手袋のサイズがあまりにも小さすぎたためシンプソンの物ではないとされました。

3つの物的証拠の発見によりシンプソンが犯人かと思われていましたが、犯人ではない可能性が浮上したためメディアはシンプソンの無罪の可能性を大きく報じることとなりました。

シンプソンの犯行が決定的だと思われていた3つの物的証拠は、ドリームチームに全て否定されるという結果に!

果たして真相は本当に明らかにされるのでしょうか…。

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物的証拠に捏造の可能性が!?

シンプソンの犯行だと思われた3つの物的証拠はドリームチームの弁護士により否定され、さらに弁護士は発見された手袋はマーク・ファーマン刑事が事件を捏造するために置いたものだと主張しました。

そして、過去にマーク・ファーマン刑事が受けたインタビューの音声テープを用意していたのです。

その音声テープの内容は、マーク・ファーマン刑事が黒人差別や人種差別をする言葉を頻繁に使っているもので、裏の顔を暴く証拠となりました。

マーク・ファーマン刑事は物的証拠や捜査報告書の捏造について証言台にて問われると、黙秘権を行使して否定はしませんでした。

物的証拠を発見して市民から賞賛の声が上がっていたマーク・ファーマン刑事の裏の顔が明らかになり、一転して批難する声が上がりました。

一躍ヒーローとなったマーク・ファーマン刑事が、証拠を捏造した疑惑の刑事に転落してしまったのです。

このOJシンプソン事件の裁判が始まる約3年前、ロス市警の白人警察官が無抵抗の黒人を暴行し無罪判決が下され、黒人住民が暴徒化し人種間の壁が大きくなっていました。

そのため、黒人たちはシンプソンの無罪を、白人たちは有罪を信じる傾向にありました。

判決

1995年10月3日、OJシンプソン事件は判決の日を迎えました。

①物的証拠とされた手袋がシンプソンの手のサイズに合わなかったこと。

②手袋を発見したマーク・ファーマン刑事が人種差別主義者であったこと。

これらが陪審員に大きな疑問を抱かせ、その他にも証拠管理(DNA鑑定)の杜撰さなども重なり弁護側へ大きく有利に傾きました。

陪審員は全員一致で無罪と結論を出し、判決となりました。

アメリカでは検察の上訴は憲法修正第5条により認められていません。

わかりやすく言えば、判決が変わることはないのです。

しかし、刑事裁判の裏側には隠された真相もあったのです。

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刑事裁判の裏側に隠れた真相とは!?

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OJシンプソン事件の判決を下した陪審員は12人中、黒人が9人で白人が3人でドリームチームがシンプソンが有利になるために黒人の陪審員を増やすことに成功した形となりました。

OJシンプソンの手のサイズに合わなかった手袋については、シンプソンが裁判前に関節炎の薬を飲むのを止めていたため、関節が腫れていたとの報道もありました。

この報道が真実だとすれば、裁判で手袋をはめた時には手が腫れていてはまらなかったということに…。

先ほども言いましたが、これ以上同罪で問うことは出来ないため無罪である判決が覆ることはありません。

シンプソンが裁判後に、「検察が殺人犯を勝たせてしまったな」という言葉を残したそうです。

この言葉は何を意味するのでしょうか…。

民事裁判では有罪に!

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刑事裁判では無罪になりましたが、その後被害者のロナウド・ゴールドマンの父がペトロチェリ弁護士と共に起こした民事裁判では敗訴し、有罪判決が出ています。

さらに、40億円とも言われる賠償金の支払いを命じられまさにボロ負けしたと言えます。

それではなぜ、有罪判決が下されたのでしょうか?

民事裁判は、事実上シンプソンが犯人かどうかを問う最終手段となりました。

民事裁判は刑事裁判とは違い、喋ることを拒否すれば陪審員の印象は悪くなり負けたと同然になります。

そこで弁護士は、シンプソンにインタビューを依頼し、それに許可をもらうことに成功しました。

裁判所から与えられた期間は10日間でしたが、その10日間のインタビューでは確信に迫る答えを聞き出すことは出来ませんでした。

しかし、ペトロチェリ弁護士は決定的な証拠写真を入手して裁判所にインタビューの1日延長を申請し、許可されました。

この決定的な証拠写真は、刑事裁判では出されなかったものです。

その写真はこちら!

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なんとその写真には、事件現場で発見された靴跡と同じ靴を履くシンプソンの姿が!

かすかに見える靴底の模様もしっかりと一致していたのです。

この証拠写真を見せられたときのシンプソンの表情の変化がこちら!

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からの~!

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とてもわかりやすく、完全に表情に出ちゃってますよね!

この決定的な証拠写真を見せられた後のシンプソンは、曖昧な回答を繰り返しましたが、証拠写真を見て大きく見開いた目は殺人を告白したと等しいと見なされたのでした。

OJシンプソンの現在は?

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シンプソンは現在どのように過ごしているのでしょうか?

シンプソンは2007年に強盗事件を起こし、翌年33年の禁固刑を言い渡されていました。

しかし、2017年7月にネバタ州にある更生保護委員会から仮釈放が決定し、10月1日に刑務所から仮釈放されました。

そのため現在は、仮釈放中ということになります。

まとめ

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OJシンプソン事件についてわかりやすくまとめて、事件の真相や現在にも迫ってみましたがいかがでしたでしょうか?

刑事裁判での無罪から一転して民事裁判では有罪になり、世界中から注目された裁判でした。

刑事裁判の無罪判決の裏側に隠された真相には人種差別なども絡んでいて驚かされました。

現在は強盗事件を起こし仮釈放中ということで、国民的スーパースターだったシンプソンのなんとも悲しい現状でした。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました!

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