日本で起きた未解決事件の1つ「毒入りコーラ事件」をみなさんはご存じでしょうか?

正式には「青酸コーラ無差別殺人事件」と言います。

現在の日本の飲み物は缶やペットボトルが中心ですが、かつては何度も繰り返して使用できるためビンが基本となっていました。

しかし、このビンの特性を悪用して開栓したコーラのビンに青酸化合物を入れ再び栓をし、未開封だと思い込みその毒入りコーラを飲んだ人が次々と亡くなる事件が発生!

さらには毒入りチョコレートまで出現しました。

この事件の犯人が全く特定できず未解決事件となってしまいましたが、無差別殺人事件の犯人が、今も何処かで普通に生活していると思うと本当に恐ろしいですよね。

そこで今回は、日本を恐怖に包み込んだ毒入りコーラ事件についてわかりやすくまとめてみました。

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毒入りコーラ事件とは

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毒入りコーラ事件とは、1977年1月4日から2月半ばにかけて東京と大阪で起きた無差別殺人事件のことてす。

この事件によって、青酸ソーダが入ったコカ・コーラを飲んだ会社員などが死亡しました。

この事件をわかりやすくするために、事件が発覚した順番に詳しくまとめてみました。

第1の事件

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1977年1月3日の午後11時半頃、東京都港区で東海道新幹線の列車食堂で働いていた従業員の男女6人が仕事を終えて、品川駅から徒歩5分ほどの会社の寮に戻るために歩いていました。

現在は品川プリンスホテルである、品川スポーツランドの正面にある電話ボックスの前を通りかかった時に、女の子の1人が電話ボックスの下に10円玉が落ちているのを発見しました。

そして、電話ボックスの中に入ってみると未開封のコカ・コーラ1本が転がっていました。

落ちていた物でしたが、「栓がしてあるから誰かが電話した時に忘れたものだろう。ラッキーだな!拾っていけよ。」という仲間の声もあり、拾って持って帰ることにしました。

しかし、女の子はコーラは飲みたくないとのことから、そのコーラを当時16歳だった男子高校生が受け取り持ち帰りました。

男子高校生は京都府在住でしたが、彼の父親が国鉄職員だったこともあり、冬休みの間に列車食堂の東京~大阪間でビュッフェボーイとしてアルバイトをしていました。

1月4日の午前0時過ぎ頃6人は寮に到着し、午前1時過ぎに男子高校生は拾ったコーラを飲みました。

男子高校生はすぐに異様な味に気がついて吐き出して、水道水で口をすすぎましたが5分くらいしてから突然倒れてしまいました。

男子高校生は両こぶしを握ったままうつ伏せに倒れて意識不明の重体に!

すぐさま救急車を呼んで病院に運ばれて、気管支を切開して胃洗浄などの救命処置が行われましたが、午前7時半過ぎに死亡してしました。

検死の結果から青酸中毒だったことが判明し、110番通報を受けた高輪署ではコーラのビンを警視庁科学検査所に送り毒物鑑定が行われました。

その鑑定の結果、ビンから青酸反応が検出されました。

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第2の事件

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第1の事件が発生した日と同じ日のことでした。

1月4日の午前8時15分頃、第1の事件で飲んだコーラを拾った電話ボックスから第1京浜国道を約600m北に行った歩道上でした。

そこで、当時46歳だった作業服の男性が倒れている所を近くにいた会社員が発見しました。

男性はすぐに病院に運ばれましたが、すでに死亡していました。

この男性は下関出身で、30歳で離婚を経験した後、窃盗で2度逮捕されました。

2度の逮捕は、起訴猶予と執行猶予だったため実刑には至っていません。

その後に故郷を離れて岡山で寸借詐欺事件を起こし、任意の取り調べ中に逃げ出してから13年間消息が不明になっていました。

そのため、4日の訃報によりその消息が家族に知らされることとなったのでした。

皮肉ではありますが、男性の身元が判明したのが以前逮捕された際に取られた指紋があったためだそうです。

男性の遺体に外傷はなく、所持品は現金25円とバックに入ったドリンク剤とタオルだけでした。

そのため、行き倒れとされ都監察医務院に運ばれましたが、遺体から青酸反応が検出されました。

警視庁が男性が倒れていた付近を調べたところコーラを吐いた形跡があり、その場所から約100m離れた電柱の下には栓がなく中身が7分目ほど残っているコーラが発見され、青酸反応が検出されました。

そして、近くのガードレールにはコーラの栓を引っかけて開けたとされるキズも確認されました。

さらに、警察の周辺の捜索により、4日の午後0時過ぎ頃、品川区にある商店の赤電話の所に青酸入りコーラが置かれているのが発見されました。

このコーラはその商店の当時15歳の息子が先に発見していましたが、用事があって出かける前だったため帰ってきてから飲もうとしていたもので、間一髪で難を逃れていたものでした。

その息子は帰宅した時に警察官からコーラに毒が入っていたことを知らされたそうです。

第1の事件と第2の事件は同一犯の可能性が!?

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警察ではこれまでの一連の事件を同一犯の可能性が高いと判断して、コーラが人気の若者世代や青酸化合物の入手がしやすい塗装業や加工業者をあたりました。

しかし、物証に乏しく犯人や犯行の特定にはいたらず、多くの謎を残したまま1992年1月4日午前0時に公訴時効となりました。

第3の事件

第1・第2の事件から約1ヶ月後に第3の事件が発生しました。

2月13日の午前6時20分頃、当時36歳の大阪府に住む男性が出勤途中にタバコを購入するために立ち寄った公衆電話にビンのコーラが置かれているのを発見しました。

そして男性はそのコーラを飲み、突然意識不明の重体に!

男性が飲んだコーラからは青酸反応が検出されました。

男性は病院に運ばれ一命を取り留めましたが、なんと翌日に自宅でガス自殺をしてしまいました。

遺書は残されていませんでしたが、家族などには死の直前に「東京で起きた事件を知っていたのに、このようなことになり世間に顔向けができない」と漏らしていたのだとか。

世間では大騒ぎになっていて注意をしていたところだったはずですから、同じ事件を繰り返さないためにも見覚えがないものには手を出して欲しくなかったですよね。

しかし、報道の中には男性がコーラを飲んだ所を誰も目撃していない点や、男性の症状には青酸中毒特有の症状がない点など、第1・第2の事件との関連を疑問視するものもありました。

第4の事件!?

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第1~第3の事件との関連性は不明となっていますが、毒の入ったチョコレートが発見される事件もありました。

第3の事件の翌日の2月14日、東京駅の八重洲地下街の階段にチョコレートが40箱入った紙袋が置かれているのを、当時43歳だった会社社長の男性が発見しました。

その男性は毒入りコーラ事件があったことから、「もしかしてこのチョコレートにも毒が…」と疑って警察に届けることにしました。

警察は遺失物扱いしていましたが、落とし主が現れないため製造者に返却し、製造会社がこれを調べました。

すると、製造番号が破りとられていて不審だったため、研究所で調べてみると青酸化合物が検出されました。

このチョコレートを製造者が警察に届けたため、無差別殺人事件として捜査されましたがこちらも犯人を逮捕することはできませんでした。

また、このチョコレートの箱にはカタカナのゴム印で文字が印された脅迫文のようなものも添付されていました。

その内容は「オコレル ミニクイ ニホンジンニ テンチュウヲ クタス」などでした。

世間が毒入りコーラ事件で恐怖に包まれている時に、また新たな事件の発生とは摸倣犯の仕業だったのでしょうか。

多くの人たちを巻き込んで、許されることではありませんよね。

第5の事件!?

第4の事件と同日の2月14日に東京駅の隣接駅である神田駅でも、男性がトイレでチョコレートを拾いました。

男性はなんと電車に乗ったあとに、このチョコレートを食べてしまい、意識不明となり秋葉原駅から救急車で病院に搬送されました。

病院で食中毒と診断されて命に関わるものではなかったため、男性は翌日には意識も戻り退院しています。

この時は病院で食中毒とされたため、第4の事件との関連性はないと思われ警察への届けもありませんでした。

しかし、翌年になり毒入りチョコレートの話を聞いた捜査員が男性が拾ったチョコレートを分析してみると、微量の青酸ナトリウムが検出されました。

毒入りコーラ事件があったのに拾ったものを食べてしまうとは…言葉がありません。

時代が違うと言ってしまえばそれまでですが、現在ではそんなことは考えられませんよね。

第6・第7の事件!?

第4・第5の毒入りチョコレート事件を受けて、警察は改めて捜査を行いました。

すると、2月14日以前に東京駅にチョコレート入りのバックが置かれているところを見たという証言が複数出てきました。

これらのチョコレートを置いた犯人と毒入りコーラ事件の犯人と同一人物の可能性が高いとされていましたが、未解決事件となってしまっているため真相は闇の中です。

すべての事件が未解決のまま終わり、とても後味の悪い事件ですが、世間をあざ笑うような犯人像から「愉快犯」という言葉が生まれました。

愉快犯の元祖が毒入りコーラ事件で誕生していたとは知りませんでした!

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毒入りコーラ事件の影響

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毒入りコーラ事件の発生後には、250mリターナルボトルの販売の数は急速に減っていきました。

リターナルボトルはあまり聞かない言葉ですが、わかりやすく言うと繰り返して使用できるビンのことです。

そして、同じような事件を防ぐためにも一度開栓したら元に戻すことのできない、プルトップが付いている缶が自動販売機の主流となりました。

平成生まれの方はプルトップをご存じないかと思いますが、開けるとフタが缶から離れるタイプのもので、道端に捨てられてしまうことが多いため社会問題にもなりました。

ペラペラの部分をバネにしてリング部分を飛ばして遊ぶ子供もいました。

プルトップをご存じない方のためにわかりやすく画像を載せておきます!

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ちなみに私は、飲み物を飲んでいる間はこのリングを指輪のように指にはめていて、飲み終わったら指から外して缶に入れていました。

なつかしい…。

なつかしさのあまり、話が脱線してしまいスミマセン(苦笑)。

ビンで販売する商品も無くなったわけではありませんが、缶と同じ自動販売機で扱えて一度開栓したことがわかるスクリューキャップボトルへ変更されました。

さらに、その場で購入したもの以外の飲食物は「拾い食い禁止!」の呼びかけをすることに!

これらの対応により同様の事件は起きていません。

現在は、落ちている物を拾って食べることは考えられませんが、他人から頂いた物も何か入っているかもと疑う人もいれば、スーパーなどで販売されている商品の産地や賞味期限を疑う人もいるほどです。

昔とは時代もだいぶ違うようですね。

まとめ

 第6、第7の事件?(東京)編集

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毒入りコーラ事件についてわかりやすくまとめてみましたがいかがでしょうか?

当時はまだ、監視カメラなどもあまり普及していなかったため、警察は犯人と思われる人物すら特定できませんでした。

これだけ無差別殺人事件を引き起こしながら、犯人逮捕まで至らずに未解決事件になっています。

現在も犯人が何処かで普通に生活を送っているかもしれないと思うと恐怖を感じます。

毒入りコーラ事件以降、ビン飲料の形式も変更され、缶やペットボトルが中心になりました。

また、見覚えがないものを飲むことは絶対しない時代になったため、同様の事件は繰り返していません。

約40年前に拾い飲みをしていたなんて、現在では考えられませんよね!

今ではすっかり忘れ去られている毒入りコーラ事件ですが何が起こるかわからない世の中ですので、子供たちにもこんな事件があったことを語り継ぎたいと思いました。

最後まで読んで頂き、ありがとうございました!

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